世界を変えたい人がいるほど、世界は変わっていく。

クレイジーでいいのだ。鋳型にハマってなくていいのだ。ジョブズはそう、製品を通してメッセージしている。それを素直に受け止めた人たち、ひとりひとりがこれから世界を変えていくのだと思う。ひとつひとつの変化が小さかったのだとしても、小さな変化がたくさん集まることで世界は変わっていく。

スティーブ・ジョブズの功績はMacやiPhoneを作り出して世界を変えたことだが、それより大きな功績は、誰にでも世界を変えることができることを人びとに示したことではないだろうか。

ぼくは二十年近くのMacユーザーで、映画『スティーブ・ジョブズ』は公開翌日に観に行った。正直、映画としての完成度はいまひとつだと思う。『ソーシャルネットワーク』の方がよほど優れた作品だ。でも映画として観に行ったのではないので気にならなかった。ジョブズについて描かれた映画であるだけで、ぼくにとっては価値がある。Macが好きで、そのストーリーをある程度知っている人なら、十分楽しめるはずだ。なにより、アシュトン・カッチャーがジョブズそっくりで、リスペクトして演じているのが伝わってきて素晴らしい。

ぼくは過去にブログで何度かジョブズについて書いている。

ぼくは決してジョブズによって人生を変えられたというほどの信奉者ではないけれど、Macのおかげで助かったことが多々あり、Macから伝わってくるメッセージに奮い立たされて生きてきた。ぼくはMacを使って考え、Macを使ってその考えをまとめ、Macを使ってそれを人びとに説明している。自分の表現力を増幅してくれるのがMacだった。

AppleTVに『スティーブ・ジョブズ1995〜失われたインタビュー』という作品が入っていた。テレビ番組用にインタビューされた映像が見つかり、未発表のジョブズの映像を90分に渡って見ることができる。こういうのが観れるのもVODのおかげであり、AppleTVのおかげであり、つまりはジョブズのおかげだ。そんなわけで、ジョブズのおかげでジョブズの話をこってり聞くことができた。

思いの外、素直に話していて、饒舌にいろんなことを喋るインタビューだった。

ひとつひとつ、かなり詳細に自分の考えや経験を語っているので、なるほどーと下手なビジネス本よりずっと役に立つ話が次々に出てくる。映画の方を見てもわかるのだけど彼はAppleの創業者とは言え、会社が大きくなってからは何でも思いのままにはいかなかった。だから彼なりに人の気持ちの高め方、組織の動かし方で苦労したことを語っていてそれだけでも十分面白い。

でもやはり、彼の考え方、ビジョンを語る部分が何より面白かった。

いちばん興味深かったのは、ブルーボックスのくだりだ。ジョブズは10代のころ、のちにAppleをともに創業するスティーブ・ウォズニアックと出会いいろんな"開発ごっこ"をした。たまたま見つけた記事にあったブルーボックスという、電話を不正に無料でかける技術に興味を持ち探し回ったあげく、図書館でAT&Tの技術資料を見つけた。それをもとに、独自にブルーボックスを完成させたのだという。それであらゆる国に国際電話をかけまくり、ついにはローマ教皇にかけて本人を呼び出そうとした。

ジョブズはこの時、感じたのだという。自分たちには何かを生み出せる。何かを生み出して巨大な何かをコントロールできるのだと。

つまりこの時、スティーブ・ジョブズは新しい製品によって世界を変えられるのだという一種の啓示を受けたのだろう。

これを語るジョブズを見た時、ぼくは90年代後半、ジョブズが復帰したあとではじまったAppleの"Think Different"キャンペーンを思い出した。「クレイジーな人びとへ。」そんな出だしだったと思う。アインシュタイン、ヒッチコック、エジソン、ピカソ、マイルスデイビス、そういった偉人たち、偉業を成し遂げた人びとが出てくる。彼らのことをクレイジーだと表現しつつ、そんな異端児たちが世界を変えてきたのだとメッセージする。Think DifferentとはなんとAppleらしいメッセージだろう。みんながWindowsを使っていてもずっとMacを使ってきたひとりとして、うれしいキャンペーンだった。そしてその後のAppleはiPod、iTunes、iPhoneそしてiPadを出し、ほんとうに世界を変えていったのだ。

ジョブズとアインシュタインと、どっちが偉人かと言えばもちろんアインシュタインだろう。あるいはエジソンと比べると、エジソンの方が大発明家ではないかと言われればまったくその通りだし、だからこそ、Appleがリスペクトする人物としてこういう人たちをあげたのだろう。でも、ジョブズがひとつだけ他の偉人にはない点があるとしたら、それは「世界を変えるために製品を生み出した」ことではないだろうか。世界を変えることが先にあり、そのために製品をつくったのだ。

その影響は計り知れないのだと思う。いまの一部の若い人びとは素直に「自分たちも世界を変えよう」と思っているようだ。少なくとも、そんなことを口に出して言っても笑われない。一昔前、例えば80年代にそんなことは恥ずかしくて言えなかったし、言ったら笑われていたと思う。いまよりずっと経済的には豊かだったのにだ。

クレイジーでいいのだ。鋳型にハマってなくていいのだ。ジョブズはそう、製品を通してメッセージしている。それを素直に受け止めた人たち、ひとりひとりがこれから世界を変えていくのだと思う。ひとつひとつの変化が小さかったのだとしても、小さな変化がたくさん集まることで世界は変わっていく。ジョブズがメッセージする前から、世界はそうやって動いてきた。

だからぼくたちはもう少しずつ、クレイジーでもいいのだと思う。ちょっとだけでもいいから、もっとこうしたい!ということを、口に出して言っていけばいい。きっとそれだけでも、世界はちょっぴりだけ変わったのだから。

※この記事はアートディレクター・上田豪氏と、続けてきた試み。記事を書いて挿し絵的にビジュアルをつくるのではなく、見出しコピーだけを書いたものに上田氏がビジュアルをつけて言葉とともにひとつの表現として完成させたもの。それをもとにあらためて本文を書く、というやり方をしている。ネット上での情報拡散はビジュアルが有効なので、その中にメッセージも入れ込んでみる、というやり方だ。期せずして、昔の企業広告のような見え方になっている。一昔前のグラフィック広告はこういうメッセージ性を帯びていたものだ。週一回程度、今後も続けていこうと思う。

コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

(※この記事は、2013年11月25日の「クリエイティブビジネス論!~焼け跡に光を灯そう~」から転載しました)

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