ぼくたちはもうコンテンツを所有なんてしなくなるのかもしれない

アマゾンが日本でVODサービス、インスタントビデオを開始したのをきっかけに、二回ほどVODについて書いてきた。VODは今後もぐんぐん伸びると思うし映像視聴全体へ大きな影響を与えると思う。それはDVDレンタルに取って代わるものだが、放送にとっては生かし方次第で味方にもなりえると思う。

アマゾンが日本でVODサービス、インスタントビデオを開始したのをきっかけに、二回ほどVODについて書いてきた。

VODは今後もぐんぐん伸びると思うし映像視聴全体へ大きな影響を与えると思う。それはDVDレンタルに取って代わるものだが、放送にとっては生かし方次第で味方にもなりえると思う。そのあたりはまた別途書いていきたい。

今日はその派生的な雑感みたいな内容。

この日曜日、前々からやらなきゃと思っていたHDレコーダーの整理をした。具体的には『あまちゃん』全156話をブルーレイディスクに焼いてハードディスクをその分あけたかったのだ。

ブルーレイは容量が25GB。『あまちゃん』1話分は1GB弱で、一枚のディスクに24話分をダビングしていく。1枚のダビングに20分程度かかり、7枚のディスクへのダビングを2時間くらいかけて完了させた。その間、料理をしたり本を読んだりスマホいじったりして過ごすのだけど、家から離れられず窮屈な思いをした。レコーダーという便利な機器を使うために不便を味わった感じだ。

最初は「よしこれで『あまちゃん』は永遠にぼくのものだ!」と前向きな気持ちで取り組んだのだけど、途中からイライラしてきた。そして大いなる疑問が湧いてきて後ろ向きな気持ちに陥ってしまった。

この作業に意味あるのか?

せっせとディスクにダビングして、もう一度観る機会はやって来るのだろうか?放送終了から2カ月が経ち、「あまロスになっちゃうよお」などと悲しがっていたが、この2カ月間もハードディスクには全156話は存在していた。でも一度も観なかった。「あまロス」は実際にはやってこず、次の朝ドラ『ごちそうさん』にしっかりハマっている。

前にもハードディスクからブルーレイにいくつかの番組をダビングしたがまだ一度もそれらを観たことはない。それどころか、何度も観るぞ!と意気込んで買ったいくつかのブルーレイの映画も、買った日に飛ばしながら観ただけで、そのあとはまったく観ていない。

そうだな、わかってる。自分でわかってるのだけど、ぼくはこのブルーレイにいれた『あまちゃん』をもう一度観ることはないだろう。

ではなんでダビングしたかというと、せっかく全話録画したのを消してしまうのが忍びなかったからだ。そんな感じでいろいろ残していたら、また次々に番組を録画するもんで1テラのハードディスクがあっという間に埋まってしまっているのだ。もうパンパン、いっぱいいっぱいだ。だから『あまちゃん』をどこかに移しておく必要があった。正確には必要があったと自分に言い聞かせた。

ところでブルーレイディスクは10枚で1400円弱だった。そのうち7枚使ったのだから、980円分くらいを『あまちゃん』の保存に使ったことになる。

NHKの知人に冗談半分に言われたのだけど、『あまちゃん』は保存しなくてもNHKオンデマンドを使えばいいんじゃないの?

NHKオンデマンドには<特選見放題パック>というのがあって、月945円なのだ。さっきのブルーレイディスク代980円とほとんど変わらない。

ものすごくせこい計算をすると、『あまちゃん』全話をある月にぜんぶ観たいなと思ったら、一カ月だけオンデマンドでパックを使えばブルーレイディスク代と変わらない金額で観れてしまうのだ。まあそんな計算をすること自体にあまり意味はないけどね。でも保存に費やした労力とイライラを考えると、どっちがトクかわからなくなってくる。

ここで言いたいのは、番組をブルーレイディスクにダビングする、そのことの意義がどんどん薄れているのではないか、ということだ。そんなことしなくても、ちょっとした小金で、観たい分を観たい時だけ観ることが可能なサービスが、すでに出ているし今後もっと便利に使えるようになるはずだ。それでいいのではないか。わざわざ2時間も使ってディスクを買ってきて機械の前に張り付いてダビング作業をする、それによってその番組を"所有したぞ"と言えることには、もうほとんど意味がなくなってるのだ。

ぼくたちはもう、映像コンテンツを所有したいと思わなくなるだろう。

これは映像コンテンツに突出して言えることではある。音楽は気に入ったら何度も何度も聴くので、所有することは重要だ。本はあとで気になるページだけ読み直したり、資料として一部の内容を確認したりすることは多い。映像は何度も何度も観ることは少ないし、一部だけという観方もプロでない限りあまりしないだろう。

だから映像はそもそも、音楽や本と所有の意味が違っていた。

でも拡張して考えると、音楽や本も"所有との距離が遠のいていると言える。だから書籍の電子化が進んでいるのだ。CDを買わなくなっているのだ。

このことは、今後の著作権をとらえ直すための、重要な鍵になるだろう。これまでの著作権のとらえ方は、物理的な複製と所有について規定していたからだ。コンテンツは必ず複製されて"もの"となりそれを所有するために対価を払うものだった。でもこれからは、ものではなく、データとしてクラウド上に存在するコンテンツを"一時的に視聴する"ようになっていく。著作権はそのための制度として作り直す必要があるのだと思う。

だからと言って、すべてのコンテンツがクラウド上のものになるわけでもないと思う。このタイトルはぜひ所有しておきたい。この映画は自分に大きなインパクトを与えたので、ブルーレイで持っておきたい。こっちは別に一度観ればいいからVODで十分面白かった。そんな使い分けをしていくのだろう。

コンテンツはその数があまりにも膨大になった。それらを所有するのはもう無理だ。映画視聴とは映像が自分の脳みその中に流れ込んでいくことで、そもそも所有なんてできなかった。脳みその中でカオスのように漂っている映像を、ぼくたちは時々思い返して整理する。クラウド化とは、そんな脳みその状態を再現することなのかもしれない。

コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

Google共同創業者、ラリー・ペイジ

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