日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。

高校生の頃から、もやもやとした違和感を持っていた。何に対してかと言うと、自分を覆い包む空気のようなものに。少しでも明確に言えば、日本という国に漂う匂いみたいなものに、なんだかイヤだなあという気持ちを持っていた。

高校生の頃から、もやもやとした違和感を持っていた。何に対してかと言うと、自分を覆い包む空気のようなものに。少しでも明確に言えば、日本という国に漂う匂いみたいなものに、なんだかイヤだなあという気持ちを持っていた。

それは、周囲との同化を強いる。自己主張をしすぎるとまずいらしいとか。それからどうやら、新卒での就職が大事でそこで人生は固定されるらしいこと。その固定的な人生は会社という固定的なシステムに規定され、それを受け入れさえすれば平坦だが安泰な人生が送れるらしいこと。高校生でも、そんな世の中になっているらしいことは感覚的に理解していた。そしてそれが心の底からイヤだった。そういう固定的なシステムに覆われずに生きたかった。

それとともに、どうして日本は固定的なのかを知りたかった。いろいろ本を読むのだけど大概答えは、"日本だから、日本人だから"に収束していった。必ずそういう民族性に落ち着くのがまたイヤだった。日本人は村社会で同質性を好み、変化を嫌い、権力に屈する民族なのだと。だったら変えようはない。逃れられないじゃないか。

でもそうなのか?日本人にはそもそもDNAに"自由"が刻印されていないのか?固定的なずーっと変わらない生き方がすり込まれた民族なのか?そこまでつまらない国民性なのかなあ・・・?

95年に、2つの反証に出会った。ひとつは書籍、もうひとつはテレビ番組だったが長らくのぼくの疑問への答えであり、2つとも大きく見れば同じことを言っていた。

両方合わせた内容を簡単に書くと、今の社会経済制度は1940年代に戦争を乗り切るために整えられたものがそのまま稼働している。戦後GHQ主導で新制度もできたが、実は"戦時体制"は温存された。日本の制度は戦後に一新されたと思われがちだがそうではなく、むしろ日本人の精神性まで影響するような制度は戦時につくられたものだった。

制度を作った内務官僚は、戦前の貧しさを克服するために、当時新鮮だったソ連の制度を参考にした。彼らは満州国建国時にそれをその地で制度化し、40年代には日本に戻ってきて満州で鍛えた制度を日本にも適用した。それは会社組織を通して個人が安心して国家のために働くシステムで、終身雇用や会社別労働組合、銀行を軸にした間接金融制度、などなどなど。源泉徴収制度ができたのもこの流れ。会社に従うことで人生が保証され、個人のエネルギーが国家に集約される。だから国家は会社を守ることを通して国民を守る。護送船団方式の原点がここにある。

戦争を乗り切るために整えられた制度は敗戦後、結果的に日本の高度成長を見事に支え、経済での戦争で勝利をもたらした。

この2つに出会ったぼくは、目から鱗が落ちる思いだった。なるほど!と得心した。ぼくがずーっとひっかかっていた"なんでこんなに固定的なのか?"に対し、貧しさと戦争を乗り切るために明らかな意図の元に整えられた制度だから、というものすごく明解な回答を得た。なんだか息苦しさを感じていたのは、社会主義をモデルにした制度だったからだ。疑問のすべてに説明がついた。そして、それは決して"民族性"という絶望的な理由ではなかった。むしろ、戦前の日本社会は今よりずっと流動的だった。言ってみれば"自由"だった。それを知ったぼくも自由になったような気持ちだった。だったら、この国は変わるはずだ、変えられるんだ。前向きな気持ちになれた。

40年体制は、そこから派生した様々な制度を生み、それがまた日本人のライフスタイルにも影響を与えた。例えば、なぜ日本人は持ち家を持ちたがるのか、という議論の場合。よくあるのが「日本人は農耕民族だから土地への執着が強いからだ」という答え。だが実際には40年体制で借地借家法ができ、借りる側の権利が異様に強化されたことが原因だ。簡単に立ち退きさせられない法律になった。だから、家主が家を貸す際に用心するようになった。家族向けの住居は個人に貸すとでていってもらえないかもしれないので、法人貸しが中心になった。だから家族を持つと賃貸物件が借りにくいもんで持ち家が普及した。明治時代の都市は賃貸が主流で夏目漱石でさえ貸家に住んでいた。日本人が農耕民族だから持ち家にこだわる、というのは勘違いなのだ。

家族の形態もそうだ。女性は主婦になり男性は会社で働きつづける。これも40年体制の派生で、そういう前提で税金の制度を整えたのだ。家事が大変だった頃はひょっとしたらその方が合理的だったのかもしれないが、女性が働きやすい環境が必要ないま、どうなのか。

こうして見ていくと、日本の働き方、生活感覚、儀式や常識のかなりの部分は日本古来のものでも民族性に由来するものでもなく、つい最近、昭和の時代にできたものだと気づく。まだまだ、調べるといくらでも出てくると思う。結婚式は親戚や会社の上司を招いてホテルで披露宴をする、なんてほんとに戦後のものだ。でもなんとなく、日本人はそうするものと思い込んでいないだろうか。演歌は日本人の心だと言われるけれど、明治時代の演歌は政治社会の風刺演説に使われたもので、今"演歌"と言われる形態は昭和になってから発達したものだ。

そういう国なんだから、しょうがないよ。そういう民族なんだから、変わらないんだよ。そんな風にネガティブに考える必要はまったくない。いまおかしいと思っている制度や文化は、変えられるのだ。変えていけばいいのだ。

それから、この"40年体制"に立って物事を見ると、いま何が行き詰まっていて何を変えるべきかがわかってくる。今の制度は戦争遂行のためにつくられたのだ。そして戦争に負けた後、経済戦争には勝った。勝ったもんで制度を変えないでここまで来たが、勝った時の貯金がもう尽きようとしている。会社に成長を託す考え方をもう離れた方がいい。それに、政府が会社を守る方式も、行き詰まっているのだと思う。もっと個人が自律的に勝手にやった方がいい。会社ではなく個人を軸にした制度が、いま求められているのだと思う。

※この記事はアートディレクター・上田豪氏と、続けている試み。記事を書いて挿し絵的にビジュアルをつくるのではなく、見出しコピーだけを書いたものに上田氏がビジュアルをつけて言葉とともにひとつの表現として完成させたもの。それをもとにあらためて本文を書く、というやり方をしている。ただ今回は、長らくまとめて書いてみたかったテーマなので、本文は頭の中でできていたのだけど。このやり方は、さらに続けてみようと思っている。年内はもう一本用意してあるのでお楽しみに。

コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

(※この記事は、2013年12月17日の「クリエイティブビジネス論!~焼け跡に光を灯そう~」から転載しました)

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