テレビマンは、絶望せよ〜日テレからドワンゴに来た吉川圭三がニコニコドキュメンタリーに注ぐ情熱〜

ニコニコドキュメンタリーは、ニコニコ動画の中に設けられたひとつのコーナー。プロデュースは日本テレビからドワンゴに来た吉川圭三。

ニコニコ動画がドキュメンタリーをはじめたニュースは少し前に聞こえてきた。さらに、そのプロデュースは日本テレビからドワンゴに来た吉川圭三という人物らしいということも知った。

"吉川圭三"の名は、ネットでメディアについて論じる身として最近、気になっていた。BLOGOSなどで時折、辛辣で真剣なメディア論を目にする。『世界まる見え!テレビ特捜部』『特命リサーチ200X』『恋のから騒ぎ』『笑ってコラえて』をはじめ日本テレビの人気番組を手がけてきたベテランテレビマンがいま、テレビに危機を感じ将来を憂えているように見える。そんな吉川氏がニコ動でドキュメンタリーを展開するというのはとても興味深い。たまたまお会いできた縁もあったので、お話をうかがってみた。彼の言葉の奥底には、制作者としての熱い想いと、テレビへの愛と苛立ちが静かに流れていた。

ニコニコドキュメンタリーは、ニコニコ動画の中に設けられたひとつのコーナーで、7月にスタートした。ざっとのぞいてもらうとわかるのだが、タイトルを見るだけでなかなかハラハラする。ニコニコ動画のコンテンツには会員限定のものも多いが、ニコニコドキュメンタリーは誰でも視聴できる。当然ながらユーザーのコメントも画面を流れる。最初の作品『タイズ・ザット・バインド』を見ていると、質の高いドキュメンタリーとユーザーの毒々しいコメントの相乗効果に圧倒されてしまう。吉川氏には、この作品についてまず聞いてみた。

ニコニコドキュメンタリーの最初の作品が『タイズ・ザット・バインド』になったのはどういう経緯だったのでしょう?

吉川:ドワンゴに行くことになった時、川上(ドワンゴ会長・川上量生氏)に、こういうことやったらどうかといろいろ提案しました。中には無茶苦茶なプランもあったのですが「外国テレビマンから見た日本及びアジア」というテーマを出したら乗ってくれたんです。『世界まる見え!』で海外のドキュメンタリーをいろいろ見てきました。彼らは視点も撮り方も腕も我々と違う。そして、世界中にいろんな学者や専門家のネットワークを持っているので、そういう人たちに日本について語ってもらうと面白いのではと。ジャパニーズ・サブカルチャーでもいいし日本の田舎の高校生でもいい。それを、カメラアングルとか使っている機材とか編集とか構成とかナレーションとか全然ちがう海外の制作者が作ると新鮮だろうと考えたのです。 そしたら川上が"日韓問題をやりたい"と言い出して、じゃあそれをやってみようと決まりました。

実は最初、既存のコンテンツを買い付けてきたものかと思っていたら、クレジットに「著作:ドワンゴ」と出てきて驚きました。

吉川:『世界まる見え!』の頃からつきあいがあったので、BBCワールドワイドの日本支社に頼みに行ったのです。全面イギリスのスタッフで作りたいと言ったらいい話だと言ってくれました。BBC内部で作る話もあったのですが、一流制作会社ブレイクウェイを紹介されました。BBCワールドワイドとブレイクウェイとドワンゴの三社共同作業なんです。オリエンテーションとして、日韓で起こっていることをまとめてレクチャーしました。近年、日韓関係が色んな意味で先鋭的になってきたことを、東洋の片隅でこんなことが起こっているのだとまとめて、翻訳して送ったらやってみたいと言ってくれて。 イギリスから台本を一度送ってきたのですが少し違うなあと、イギリスに飛んで複雑な現状が伝わる写真なんかも渡したら、彼らもいろいろ調べてくれましたね。全体は日本と韓国は仲良くしようという内容になっていますが、日本の立場に立ったものではない。ニコ動で配信すると反響も多くあったし、コメントでは「もうニコニコなんか見ないよ」なんてのもありました。川上は逆に喜んで「ネガティブな反応は未来への可能性だ 」なんて言ってます。ニコニコ動画でおしまいではなく、地上波クオリティなので海外でも配給させるつもりです。

既存のメディアにはない切り口で、私も知らないことがたくさん出てきました。よくここまで掘り下げたものだなあと思いましたね。

吉川:通常は2年間はかけるところを8カ月で作ってくれましたね。日本・韓国・アメリカと、2月に行って調査して4月にはロケをして。そして、こんなこともありました。第一回目の荒編が来た時、歴史への誤謬に気づきました。65年の日韓友好条約で日本は韓国に賠償金を払っていますが、経済協力金の名目でした。これについて従軍慰安婦の女性の「あの金は我々はもらっていない」というセリフをつないでいました。従軍慰安婦問題は90年代に浮上した問題なので彼女たちが「もらってない」と言うのはおかしい。ところがこれについて川上と激論になりました。絶対直すなと言うんですよ。イギリス人が見た日韓問題なのだから変えるべきではない、と。私は事前にいろいろな資料で調べていたので、やはりこれはおかしいと主張しましたが、それでも変えるべきじゃないと言い続ける。議論の末、直すことになったのですがこの時、川上の考えがわかりました。イギリス人のドキュメンタリーを日本人に突きつけたいんですね。最初のほうに耳塚という、秀吉の朝鮮出兵の時に武将達が持ち帰った"朝鮮の人たちの耳"が埋められた塚が出てきます。日本ではほとんど知られてませんが、イギリス人はドキュメンタリーを作る際、過去を徹底的に調べます。いまを描くには過去を描かねばならないし、それによって流れを作る。川上はそういうイギリス流の感覚をそのまま日本人にぶつけたかったのでしょう。

今後はどんなドキュメンタリーが見られるのでしょうか。

吉川:我々が買い付けてきた、ヘビーなテーマの作品が続々待機中です。9月はアメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏が選んだ3本です。マリファナを1カ月毎日吸ってみたドキュメンタリー。 医療用に合法化されている州もありますが、大麻で人間は変わるのか。これを町山さんに解説してもらいながら視聴します。それと、イラク戦争でFOXチャンネルを通じてメディア王・マードック氏がブッシュに全面協力したことを追った「FOXテレビと戦争」。3つめは、アメリカ人の行動原理であるキリスト教原理主義を徹底的に追うもの。そのあとには『フードインク』が控えています。アカデミー賞長編ドキュメンタリーにノミネートされた作品で、薬品まみれ不法労働まみれのアメリカの食品産業を描きます。さらに『誰も知らない基地のこと』イタリアの米軍基地計画に反対するディレクターが、世界中に700のアメリカの基地ができている様子を追います。 沖縄にも取材していて、日米地位協定も追求している。何故世界中で米軍基地が増え続けているか?アメリカ最高の論客MITのノーム・チョムスキーも出て来てこの構造を解説し愕然としてしまいます。

どれも面白そうですねえ。ニコニコ動画がドキュメンタリーに取り組む意義や目的は何でしょうか?

吉川:問題提起と触れるべきタブーを扱うことです。アンタッチャブルなところに触れていこうと。 ニコ動でしか見れないものを徹底して見せていきたい。 例えば『フードインク』はスポンサーでひっかかって地上波では無理でしょう。 基地の問題も地上波でここまでは触れられない。来年公開予定の『サムライと愚か者〜オリンパス事件の全貌』も大作です。映画館でもニコ動放映と同時に公開する予定です。イギリスのBBC、フランスのARTE 、そしてドイツのZDF等の共同制作です。 日本の企業のいびつさを、ウッドフォード氏と彼を助ける人びとを通じて浮き彫りにします。これも地上波ではできないでしょう。ニコ動では討論会つきで配信します。ウッドフォードを呼ぶか日本の企業人を呼ぶか検討中ですが。 こうしたドキュメンタリーによって、ニコ動というサブカルチャー中心のチャンネルに多様性をもたらすことができます。

●テレビマン吉川圭三が抱く、いまのテレビへの想いとは?

喜々として語られますね。お話をうかがっていると、吉川さんがすごく面白がってらっしゃるのがよくわかります。

吉川:大げさに言えば、テレビマンの新天地です。テレビはいま批判に対してすごく弱くなっています。ちょっとでも何かあると、上から言われるわ、ネットを通してスポンサーに非難が来るわ。組織の中ではそれを過剰に受けとめてしまっています。放送作家の鈴木おさむ氏が言うには、批判を受ける物じゃないとつまらない、批判を乗り越える気概がないと面白い物はできない、と。本来はテレビ局の幹部が表現のために戦うべきなのですが、戦えない事情もあるし環境もあります。コンプライアンスに覆われた環境では言いたいことも言えない。ニコ動へ来て楽しいのは、会議で有害食品やオリンパスなんて問題について話せる。テレビ局では会議室でもそんな話ができないんですよ。ニコ動なりのコンプライアンスもありますが、良識の範囲であれば正しいことを喋ろうで通ります。ただ、なかなか頻繁に超有名芸能人は使えませんよ。テレビ局ほどのギャランティを払えないから。でもタレントにはお金を使えないけど、イギリスにはどんと制作費を出しましたね。ここが川上の面白いところですね。

テレビから来ると"え?こんな作り方なの?"ということもあるのではないですか?

吉川:それはもちろん、テレビではお金をかけて人も大勢使っていますしね。でもネットではまったく違う概念で作っていますから。例えば『23.5時間テレビ』でミジンコが繁殖する瞬間を狙うんですよ。みんなそれを今か今かと待ってくれる。地上波と同じようにお金をかけてタレントさんを呼んでセットを立てて、という映像制作ゲームになったら大変です。そのゲームに行かないために、ひとつ決めた方向がドキュメンタリーというわけです。

テレビマンの後輩にネットでつくってみることを勧めますか?

吉川:後輩達がネットのユーザーが満足できる番組を作れるかはわからないですね。ダイオウグソクムシが五年に一回しか餌を食べないのを追う企画がありましたが、その再生数がすごい。まったく感覚が違うんです。テレビマンがネットに来て番組を作って戻っていくのもいいけど、すべてが違うので。ユーザーの年齢や層や志向も違うし。だからテレビに戻っても役に立つとは言えませんね。いまのテレビは決まった手法で作っているとある程度のものが作れてしまう。タレント集める、ひな壇に並べる、海外ロケに行く、女子アナが喋る、当たり障りのない情報を入れる。テレビ番組の中からテレビを発想するので似たような番組になってしまいます。そして新しい企画を考えて万が一低視聴率なら社内外から非難されてしまう。自分がドワンゴでやろうとしているのは前が見えないので五里霧中の作業です。それがいまはとにかく面白いですね。

吉川さんから見て、いまのテレビマンは何をすべきだと思いますか?

吉川:徹底的に絶望すべきじゃないでしょうか。こんだけセットインユースが下がって、若い人がテレビを見てないと言われる状態で、もはやテレビはメインカルチャーでもサブカルチャーでもない。自分たちは一体、何をやっているのかと。「俺、クリエイター」とか言って業界人ぶって六本木で酒飲んでいても、新しいことを産み出してるのかと言われたら、現状に絶望するしかない。いま放送されているテレビのほとんどを鑑みるに、絶望してとことんまで落ちて、そのうえで新しい物を焼け野原のようなゼロの状態から産み出すしかない。絶望するくらい冷静に、客観的に置かれている状況を見てほしいですね。芸能界と仲良くするのはテレビの宿命です。それは解る。でも、誰々を出したからと喜んでないで、見ている人との関係性を見ながら新しいことに取り組む。相当やばいよ、恵比寿で合コンしている場合じゃないよ(笑)。新しい物を作ってないと難しくなってくるんじゃないでしょうか。失敗でもいいから、新しいことをやってるとワクワクする。お仕着せのパターン化した番組づくりをやめたほうがいいんです。

吉川氏は50代後半で、定年を考えてもおかしくない年齢なわけだが、話す内容と熱さは、30代の青年と変わらない。絶望せよと言いながら、ご本人はネットという新たな活躍の場を得て希望に満ちあふれているように見える。いやもしかしたら、吉川氏自身が一度絶望したからこそ、こうして喜々として語れるのかもしれないが。つまり「絶望せよ」とは、まだまだ何かを求めて頑張れとの強烈なエールなのだ。

熱いと書いたが、吉川氏の語り口は終始落ち着いていて、エネルギーをまき散らす雰囲気ではない。そのたたずまいがなぜか、修行僧のようなストイックさを醸し出す。吉川圭三の修業はまだまだ続くのだろう。その行く末に何があるのか、このあとのニコニコドキュメンタリーを見ながら追ってみたいと思う。

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