終わることのないパレスチナ紛争の根因:それをどう正すか

ユダヤ人が一民族だという見方は、シオニズムの土台をなすもっとも重要な信念である。
Hakan Caglav via Getty Images

The Huffington Post編集者ノート:著者は、元アムステルダム大学教授の社会学者で、第二次世界大戦を生きのびた一ユダヤ系オランダ人でもある。以上の紹介の後半部について、著者はそのことが本論考における彼の見解に関係するものとは考えていないが、われわれはそれを著者紹介に加えることが適切であると認めた。

板垣雄三 訳

「反シオニズム、それはなんと、こんにち反ユダヤ主義の大部分が採っている形態である。」

──アルヴィン・ローゼンフェルト

ユダヤ人が一民族だという見方は、シオニズムの土台をなすもっとも重要な信念である。シオニズムに固有の考え方を挙げればほかにもあるが、それらを網羅的に論じるのがここでの目的に適うとは思えない。ユダヤ人国家の観念が発明されたのは19世紀だった。19世紀のその他多くの発明品と同様、それを解体し埋葬するのには長い時間がかかっている。シオニズムという事業(プロジェクト)が引き起こした損失(ダメージ)は、どうしたら軽減でき、プラスへの逆転さえ可能になるだろうか、そのための平和的な政治手段はあるのか、という問題、それがこれから議論することである。

シオニズムは概念をもてあそぶイデオロギーで、そこでは、パレスチナの土地のある部分または全体が「ユダヤ人」のものだということが予定されている。もちろん、私たちが欲するまま何をどう思い込もうと、それはまったく自由だ。だが、そんな思い込みが、組織的征服や〔先住民〕追放や土地略取や、あるいは私たちが今ガザで目撃しているように野蛮な暴力の繰り返し、といった出来事へと導く場合は、それはまったく別の事柄となる。

シオニストの植民者らと彼らがやって来るまえからパレスチナに暮らしていた人びととの間でどのようにして「平和」を達成するかについて、これまで多くの提言が寄せられてきた。この論文はその種の平和を考えようとするものではない。つまり、現状を維持したまま和平を成り立たせる前提条件を見定めることなど、私の関心事ではない。私が考えているのは断固としてはるかに根本的な解決法であって、政治的な誘導によりパレスチナを私たちがパレスチナ人と呼ぶようになった人びとの手に返還することである。暴力の終結と公正な平和とを求める者にとっては、これから述べる私の議論に対して、少なくとも、まず心を開くことが必要である。

私がいうパレスチナ人とは、この地域に、それがトルコ〔オスマン帝国〕支配(1517~1917)のもとにあった期間をつうじて居住した住民すべてを指す。その一部はユダヤ教徒だった。私はこれらのユダヤ人をパレスチナ人に含める。なぜなら、彼らは、ほぼ1890年ころからこんにちにいたるシオニストのパレスチナ植民には参画しなかったからだ。

パレスチナは、1923年〔当時の〕国際連盟が英国の委任統治領として割りふった地域全体を指す場合もある。そこにはヨルダン川の東側の現在のヨルダンも含まれていた。しかし、ここで私が使う地域名のパレスチナは、かつての英国委任統治領の全体から今日のヨルダンを除いた範囲にあてはまる。過去およそ百年あまりの間、ヨルダンを除くこのパレスチナは、シオニストと自称する人びとが移住する目的地とされてきた。こうした植民者の出身地は、ユダヤ人が久しく暮らしてきた、そして今なお暮らしてもいる多数の国ぐにだった。私はこの移住を、外国権力が各地の住民に強制したものであることから、不法なものと見なしている。ところが、問題の地域〔パレスチナ〕の住民は、この移民の流入を撥ねかえすにせよ、入植を政治的・イデオロギー的に正当化してみせる理屈に断固それはウソだと反証するにせよ、そんな手段をまったく持ちあわせてはいなかったのである。

1917年〔英国がパレスチナでユダヤ人の「民族的郷土」設立を支持すると表明した〕バルフォア宣言は、そのような正当化の試みの一つと見なされる。しかし、当時の英国政府がパレスチナの土地をその住民以外の誰かに割り当てる権能をもっていたなどと主張できる人はどこにもいない。同様に、国際連合〔国連〕は、1947年のいわゆるパレスチナ分割においてパレスチナの一部分を移民たちに割り当てたが、委任統治下の住民の同意を得ることなしにはそんな決定を下す権利など存在しないことを、国連憲章は定めていた。

英国委任統治領の地元住民は、経済や政治の発展が貧弱な条件下で、シオニストの移住運動を阻止することができなかった。英国は、その移住運動が地元住民の利益をいちじるしく害するものだということを見て知っていた、にもかかわらず、である。

移民流入を停めようとする英国の企ては、まったく投げやりというわけではなかったとしても、不十分だったし、信頼性にも欠けていた。英国が弱い抑制力しか働かさなかった移民運動。そこには、そもそも合法的な事業(エンタプライズ)として定義できる根拠が乏しかったのだ。さらに、地元住民の意思に反して定着をとげたシオニストたち。彼らもまた、〔やがて〕国連憲章に基づく「住民」として分類できる根拠は乏しかったということになるのである。彼らは空き家でない家屋の不法占拠者(スクォッターズ)と見るべき存在だった。〔パレスチナ分割決議がおこなわれる〕1947年、国連の内部で主要な財政的・軍事的権能をまだ握っていた複数の植民地大国が、これら不法占拠者の定着を認め、ついで彼らの新ホーム(家郷)の整備を助けたのだ。

用心深く構成された分厚い書物『正義のシオニズム』(A Just Zionism)〔副題:ユダヤ人国家の道義性について、2008年刊〕で、著者ハイム・ガンスChaim Gans〔テルアヴィヴ大学教授・法哲学〕がまず取りかかるのは、パレスチナの地に対するユダヤ人の「歴史的権利」を証明すること。他の多くの論評者たちと同じく、私も異議を唱える。それは、彼の議論の筋道全体がいかがわしいからだ。現存のユダヤ人のなかに数千年前パレスチナに暮らしていた住民の子孫がいるという彼の主張は、よく言って一つの仮説である。しかし仮にその仮説を裏付ける有利な事例が得られたとしても、それでシオニストのパレスチナ奪取の合法性に基礎が与えられるわけではない。植民地化を推進する行為には、それを正当化する他の「証拠」を手に入れることが必要である。

そこでガンスは、想定上の「歴史的権利」を補強するため、「1930年代・40年代におけるユダヤ人迫害の恐るべき範囲と性質こそ、ユダヤ人がイスラエルの地で自己決定権を確立することに正統性を与えたのだ」という主張を持ち出す。彼はこの議論をさまざまな場所でいろいろな仕方で繰り返しながら、結局、ユダヤ人は本来の住民のごとき存在として権利を有し、「それゆえ」土地の分け前にあずかるべきだという彼の結論へと降り立つのである。この議論には、少年時代の彼を苦しめ、彼のきょうだいを皆殺しにして、虐待・蛮行をほしいままにした犯罪者たちの用いたありとあらゆる論理が含まれており、それは、なぜ彼の犯罪がじつは犯罪などでは全然ないかを説明するのに使われるのだ。

この紛争の脱出口の提案者になったつもりでいるらしい人びとの、標準的語法転換とも言えるこんな議論の筋道は、今なおイスラエルで、米国で、そしてヨーロッパで、多数の支持者を得ている。だが、それはまったく人を惑わすだけの話で、しかも捻じれた推論が核心のところで紛争の起点そのものを抱え込んだままなのだ。すなわち、土地を区画ごと移住者に非合法に分け与えたあとで、適正な描写は注意深く避けながら、宗教的・歴史的な鋳型にはめたご都合主義の議論を突き出すことにより、その行為を正当化するのである。パレスチナで起きているのは、いうまでもなく、古典的な欧米植民地主義なのであり、それは優越した軍事的・経済的手段と占領の強制とによってのみ維持されるのである。

あなたがたがどのように眺めようとも、ほぼ1890年以来、あるいは1947年国連による完全に違法の「分割」以後、パレスチナに赴いた移住者らは、まさしく入植者だったのだ。彼らは住民たちが明示する意思に反し、国連憲章に盛られた国際法の規範に反して、委任統治領にはいり込んだ。パレスチナ住民とその指導者たちは、身の周りの旧態依然とした手段でなんらかの抵抗を展開しようとはしたが、入植者らが欧米から引っぱりだしてきた財政・軍事機構の優勢な威力のまえに敗退した。

だが、この優勢な威力が合法性を創りだすわけではない。植民地主義が成り立つのは、いつでも、どこでも、植民地化されるがわの人びとに比べて断然優越した軍事力・経済力のおかげである。植民地がみずからを武装し組織化しないかぎり、植民地は占領軍を追い散らすことなどできなかった。例を挙げれば、ベトナム、インドネシア、インド、アルジェリアがそうだ。そのような解放がまだ達成されないところでは、パレスチナで、南米で、オーストラリアで、また米国で、先住民は悲惨な境遇で暮らすことを強いられている。

しかし、パレスチナの場合は、上記の他の例と比べると遥かのちになって植民地化されたので、特別のケースである。なんと、全般的な脱植民地化の時期になってから植民地化されたのだ。第二次大戦の直後、国連がまさしく植民地主義と不法な征服とを停止させるべく設立されたのちに、そこは植民国家となった。それは欧米の征服者植民地主義の末期に起きたドラマチックな激震の一現象である。今やありのまま歯に衣着せず語るべきときだ。つまり、植民地としてのイスラエルは暴力と紛争の恒常的な源泉である。それは旧植民地でないが、世界の多数者から承認を受けた部分でもない。それは中東のなかで欧米の軍事占領下にある一地域だ。占領の政治的合法性は、現在欠けており、将来も決して獲得できないだろう。イスラエルは存在理由をもたず、それを創造することができないからだ。

そのかわり、イスラエルの政策はつねに既成事実を創造し続けてきた。すなわち露骨な征服であり、それはヨーロッパと北米の「欧米」を構成する諸国からの持続的援助により強化されてきた。この政策は、これまで効果的な挑戦を受けることなく、今もなお、同じ調子で続行されている。イスラエルはさらに一段とつぎからつぎ既成事実の創造を実行していくことができ、巨大な優越した軍事力で拡大膨張してやまぬ占領者の地位を永続させようとするだろう。しかしそのイスラエルも、もし欧米の支持を失えば、もはや自衛手段をもち得ず、自国の存在を確保する力も、生存を支える原料素材も、いっさいを喪失することになるだろう。核兵器を使うことはできよう。だがそうすれば、いかなる意味でも、欧米の移植(インプラント)としてのイスラエルの正嫡性(レジティマシー)を強固にするどころではなくなるのだ。

出口

ここで私の提案は、何百万というシオニストのパレスチナ流入を逆転させよ、ということである。イスラエルに移住したシオニストたちに、出身地への帰還、またはいずれかの目的地の選択を、平和的に、かつ十分な補償を与えて、実行させる機会を提供するということだ。またイスラエルで生まれた移民の子孫には、彼らの父母や祖父母の国への帰還か、彼らが選択するいずれかの地への移住か、へと招き奨めるということでもある。

イスラエルを非植民地化しパレスチナを再建するために、国連の計画をうまく組み立て、パレスチナ人に降りかかったもろもろの不正義が繰り返されないようにすべきである。何十万というパレスチナ人が家族から土地から切り離され追放されたのに、このシオニストの事業により蒙った莫大な損害に対して、彼らはビタ一文も補償を受け取ってはいない。こんなことが今後二度と起きてはならない。そこで、私の提案は、イスラエル人をイスラエルから「放逐する」ことではなく、ずっと良い生活を他の場所で築く機会を与えることであり、この延長タイムがシオニスト事業のもつれをほどくだろう。今一度言いたい。1948年にシオニストがしでかした実例を再現してはならない。それを絶対に繰り返してはならない。到達目標は、植民地化前の状態を回復しようとする人びとの平和的運動を達成することである。補償が、(とき遅くではあるが)本来の地付きのパレスチナ人に対して、そしてまた征服地からの平和的出国に同意するすべてのシオニストに対しても、支払われるべきである。

この補償金は、国連が設立し管理運営する基金から支払われ、その資金は1947年のパレスチナ分割〔決議〕に手を貸した国ぐにからの大口の寄付に拠るべきである。すなわち、米国、ヨーロッパ、ロシアの責任だ。それらの国ぐには、かつてパレスチナ人の土地を奪った人びとが今度は自国に合法的移民として入国することを許さなければならない。他の国連加盟国も一定数のシオニスト移住者を受け入れるのは、言うまでもないことだ。

イスラエル出国と交換に思いきって優遇的な補償金を提供しても、パレスチナを人口学的に軍事的に占領し続ける場合と比較すれば、多大な資金の節約になるだろう。この補償提案は、リクード党の政治家モシェー・フェイグリンMoshe Feiglin (註11を見よ)がパレスチナ人に対する措置として起案したものと似ている。フェイグリンの見解では、安全保障のため常時多額の金額を支出するよりも、パレスチナ人に金員を払って退去させるほうがよい、とされる。彼が2013年、以下のとおり言明したように、だ。

二国家解決方式とオスロ合意とのため、毎年イスラエル国家が支出するのは、国内総生産GDPの10%に当たる。イスラエルは、分離フェンス、アイアンドーム〔ロケット弾迎撃システム〕、各コーヒー店に警備員1名配置などの費用を支払っている。やがて、われわれはテルアビブで各学校ごとにアイアンドームを設置しなくてはならなくなるだろう。われわれは、これらの予算〔金額〕で、ヨルダン川西岸のパレスチナ人全家族により良い生活をひらく場所への移住の奨励金50万ドルを与えることができる。欧米諸国は低出生率のため人口減に悩んでいるから、パレスチナ人は間違いなく欧米で受け入れられるだろう

法治国というイスラエル観─私はその見方に反対だが─では、これまでたえずパレスチナ人が「パレスチナのなかの自分たちの持ち分」に寄せる熱望に応える余地が予定されてきた。その議論は、もし仮にイスラエルがいわゆるパレスチナ人国家の創設に向けそれを育成するとすれば、その産出物は正当な一権利主張者としての地位の確固たる基盤を得ようとするだろうから、それで原住民との和平も可能となる、という筋書きで進むのだった。しかし、植民地としてのイスラエルという私自身の見方からすると、「分割」も平和もともに無意味である。植民地イスラエルは存在を続けることができないし、そこで、もう一つのパレスチナと存在の持続を「分かち合う」こともできない、のである。パレスチナ人は植民地主義の占領者から完全に解放される権利をもつべきである。植民者はいずれにしてもどこかに立ち去らなければならない。彼らの出身国か、彼らが選ぶ他の目的地か、に。これは、1948年のパレスチナ人には許されなかった贅沢だと言わなければならない。

軍備競争や軍事力拡大のスパイラルにストップがかけらえるようになれば、報奨、補償、「パレスチナ人解放」〔かつてフランス革命前後の西欧での「ユダヤ人解放」のemancipation[解放]概念を著者は意図的に使用〕の点からパレスチナについて考える斬新で非暴力的な思考が、きわめて重要不可欠なものとなる。パレスチナでは、千年間もそこに生活してきていた住民が、シオニストたちに場所を明け渡すため追い出された。追放というこの劇的な行為が、暴力的で高度に不正義の軍事抑圧を振り回すことにより、維持され持続している。見たところ、この暴力には終わりがない。イスラエル人は、すでに長年にわたって、この暴力から、土地支配および政治支配という形で最重要の利益を収穫してきた。だが、もし世界が、これまでと異なる戦略、つまりパレスチナ人の放逐と軍事的服属化とを終わらせる戦略を採用するようになるなら、これは、第二次世界大戦後の欧米政治がそれだけでもう取り返しのつかぬほど致命的な過ちを犯した非をはっきりと認めて、それを取り消す方向で踏み出す、善き第一歩となるであろう。

それに加え、さらに私たちは、イスラエルの経済生活を極度に困難なものにさせるべきである。あまり昔のことではない南ア〔ボイコット〕の場合と同じように、だ。そのような措置がイスラエルの政治的・道義的・経済的立場をおおいに変化させることになるのは、明白である。期日をあらかじめ定め(例えば、補償プログラム開始の12年後あるいは15年後というように)、パレスチナ人は彼らの全国土に全権(フル・オーソリティ)を与えられることになるべきだ。本来それは、国連憲章に基づき、1948年5月14日英国による委任統治の終了とともにパレスチナ人に与えられているべきものであった。パレスチナに残留することを望むシオニストにはその選択を許すこともできようが、選択権を認めるか否かはパレスチナ人の決定にかかっている。こうした残留する旧植民者は、別個のいかなる特権(道路使用、法令、保護、特区設定など)も持つことはない。パレスチナ人国家の内側では、彼らは現在享受しているものとはまったく異なる法制度のもとに置かれるからだ。

馬車馬式の目隠しをはずして、パレスチナに接近する

イスラエルの政策について語る評論家のほとんどすべてが、紛争の推移において目指すべき最良の状態とは何かをめぐる論議で、わざわざ、みずから進んで絶望的泥沼にはまる道を選んでいる。イスラエルにとって、この論議は、いつ果てるとも知れぬ大衆演芸場(ボードビル)のショーよろしく、おおいに価値をもつものなのである。訓練された動物たちのショーは、観客から遠く離れて演じられながら、宣伝効果は特大だからだ。

こんな訓練済み動物たちの大多数が、〔イスラエルにとって〕もっとも望ましいシナリオを擁護する。すなわち、イスラエルがパレスチナ人と和平を結び、パレスチナ人はやがて彼ら自身の国をもつだろう、というシナリオ。これは、言うまでもなく、パレスチナ人に追放〔と征服と〕は合法的だったということを受け入れよと要求するものだ。この空想の未来において、シオニストとパレスチナ人とは、パレスチナのおのおのの領分に別れて住み、分断された別々の暮らしを生きることになるだろう。イスラエルはその発足の最初の段階からずっとこの夢想(ファンタジー)を維持してきた。ひたすら問題なのは、そんな和平・平和を提案し成就するため、リーダーの出現、機熟す「とき」、既成事実を受け入れるに十分な諦め、のいずれもが、これまで一度も生じたことがなかったことだ。しかし、シオニストがゲームのルールをすべて決めてしまっている以上、そもそも、そんな平和が達成されるはずなど絶対にないのである。

そのかわり、植民地化プロセスは、1948年以来、拡大の一途をたどっている。そしてイスラエルの法律は、パレスチナ人が軍事的能力を奪われるだけでなく、法的権利をすべて剥奪されてきたことを証明している。イスラエルの「たえず膨張する占領」政策に対するパレスチナ人の反対は、逆にその政策の延長継続の口実づくりに利用されてきた。パレスチナ住民は、いまだからくも手許に残されてはいるが細切れで住むに適さず社会経済的に荒廃した地区で、しばしば殺しも厭わぬイスラエル軍の横暴な占領行政によって囲い込まれ、隔離壁と要塞化した入植地と道路ブロックとによって閉じ込められている。この種のありとあらゆることに目もくれず、〔外の世界では〕多くの人びとがイスラエルは先住民と「和平を結ぶ」だろうと信じ続けているのは、私を驚倒させることだ。夢物語の幻覚の旗のもと、イスラエルが(今あるごとくなるために)しなければならなかったことのすべては、この夢幻の「平和」(ファントム・ピース)を無限に延期することだったのだ。イスラエルはこれだけ強大になったので、もっとも手厳しいイスラエル批判者にだけはもともと明らかだったこと、すなわち植民者らが目指すのはパレスチナ全土からパレスチナ人を除去することだということを、イスラエル人もあえて声高にあからさまに口外するようになった。こうして、シオニズムのイデオロギー的─そして人種主義的─本質が満足させられることになる。

いわゆる「一国家解決方式」もまた、窮乏のパレスチナ人がなんらかの奇跡的手段によって植民者と同等の権利を獲得するだろうという、ユートピア的未来図に基礎を置いている。「一国家解決方式」を信用できるような人が存在するということ自体が、そもそも私には不可解なのだ。いかなる植民地権力も、大衆の大規模な闘争なしに、支配放棄に至ったためしはどこにもない。パレスチナで一体そのような闘争が成功を収めることができるだろうか?パレスチナ人がそれを現実主義的に可能なものとするのに十分な人員、武器、同盟者をこれまで獲得することができただろうか?もちろん、否である。「一国家解決方式」は騙された幻想なのだ。

「二国家解決方式」にも同じことが当てはまる。シオニストに監督権が預けられている限り、彼らが国を分かちあうことなど決して起きない。国は彼らに、彼らだけに、与えられたのだ。神と原爆とによって。彼らは過去60年の時間を使い、このことを明晰に証明した。ここから、残るはただ一つ、現実主義的解決だ。すなわち、植民地を完全に崩壊させ、1948年に着手された住民追放と土地略取とを終わらせること。これを実現するための唯一の道は、シオニストの現存および後続世代に動機づけを与えて、他の場所に再定住させる一方、問題の植民運動を軍事的・イデオロギー的・経済的援助で支えてきた欧米における植民地主義の基盤装置(ファウンデーションズ)を取り除くことである。

この観点はイスラエル批判を再定義する効果をもつ。つまり、イスラエル国家の諸政策に狙いをつけた批判の代わりに、何よりまず欧米が実行し続けてきた非人道的な政策への批判を提起するのである。「改善される」イスラエルとは、一つの論理矛盾にすぎない。私たちは、勇気をもって第二次世界大戦を最終的に終わらせ、イスラエルを賢明なやり方で解体・廃止すべきである。

2014年7月23日、ベヴァリー・ジャクソンによって、オランダ語から英訳された。

1)Alvin Rosenfeld, "'Progressive' Jewish thought and the new Anti -Semitism," American Jewish Committee, 2006, p. 8. この論文において、ローゼンフェルトは、彼がイスラエルに向けられるどのような形態の批判には正当性ありと考え、またどのような形態のそれを誤りで反ユダヤ主義的と考えるか、を説明している。

2)Shlomo Sand, The Invention of the Jewish People. London 2009. を見よ。

3)国連憲章第76条b項は、一領域の施政にあたる信託統治制度の基本目的をつぎのように定めている〔日本語訳http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/〕。

「2.信託統治地域の住民の政治的、経済的、社会的及び教育的進歩を促進すること。各地域及びその人民の特殊事情並びに関係人民が自由に表明する願望に適合するように、且つ、各信託統治協定の条項が規定するところに従って、自治または独立に向っての住民の漸進的発達を促進すること。」

4)例えば、Charles Enderlin, Par le feu et par le sang. Le combat clandestin pour l'indépendance d'Israël 1936-1948, Paris 2008. を見よ。

5)Ofri Ilani "Shattering a national mythology," Haaretz, March 21, 2008.

6)Chaim Gans, A Just Zionism, Oxford University Press, 2008, p. 25.

7)何十億ドルもの年間援助、世界最先端の武器へのアクセス、安保理における米国の拒否権で保証される政治的免責、その他あらゆる形態の援助が、歴代イスラエル政権の占領継続・強化を助けてきた。ウリ・アヴネリUri Avneri 2009年11月28日

8)それはすでに1973年に起きた。ジェリコ・ミサイルに核弾頭が装着され、作戦行動の準備を完了したのである。その結果、米国人はイスラエルに対して通常兵器の支援を増強することの緊急性を感知した。Farr LTC US Air War College, 1999. を見よ。米国は1967年以降、イスラエルに核戦力に対応できる装備の軍用機を供給するようになっていた。イスラエルが保有するドイツ製潜水艦の巡航ミサイルも核対応であると、ひろく考えられている。"Submarine Proliferation" NTI, 2006. を見よ。

9)イスラエル外相アヴィグドル・リーベルマンAvigdor Liebermanの発言:「交渉から期待できる何かがあるとは思っていない。たとい16年間続けたとしても、彼らは何の協定も産み出さないだろう。しかし、地球上を飛び回る私の旅を通じて、私は世界中が〔中東和平の〕平和会談が開始されることに大変興味を示すことを知った。たとい見せかけだけのことでもいいのだ。いくらでも話をするという乗り気の姿勢、それが我々の与えてやれる何かだ。それでどうして悪い?」 (Makor Rishon, April 30) 英訳アダム・ケラーAdam Keller

10) マイケル・ノイマンは、彼の痛烈な洞察力によって、シオニズムをユダヤ人の自衛という側面で理解する一般の通念からその神秘性をはぎ取った人ではあるが、シオニズムをあくまで理論として言及している。私の考えでは、理論という語は不正確だ。なぜならシオニズムの気取って見せる外見は学問的でなく、政治イデオロギーの世界に身を置くものだから。私たちは植民地主義を「理論」とは呼ばず、征服と収奪とを独特の文脈に従ってあの手この手で正当化することを重ねてきたイデオロギーと観る。同じことがシオニズムにも当てはまる。Michael Neumann, The Case Against Israel, 2005, p. 83.

11) モシェー・フェイグリンは、ネタニヤフをリクード党党首にして首相という座から引きずり下ろしたいという願いから、つぎのように言う、「我々は勝つだろう。われわれはリクード党員のほとんどが真に希求していることを代表するからだ。それは、この国がわれわれのもの、われわれだけのもの、ということを、はっきり大声で言う政府を!という要求だ。アラブが国家への忠誠を証明しないなら、アラブから市民権を剥奪せよと、私は明確に要求する。彼らには財政支援を与えて、ここから出て行かせるべきだ。イスラエルに攻撃を仕掛けてくるような地域は、どこであれ征服すべきであり、そこの全住民は強制退去させるべきだ。」(Yediot Aharonot - April 23, 2010)英訳Adam Keller

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