『アイス・バケツ・チャレンジ』はなぜ流行したのか――尾原和啓『プラットフォーム運営の思想』 第3回

多様性を加速する装置としての贈与と交換によって、たった4日間の日本での「アイス・バケツ・チャレンジ」において、私たちはいろんな視点、視座を創発しながら学ぶことができたのです。

PLANETSチャンネルにて好評毎月連載中の 尾原和啓『プラットフォーム運営の思想』 の前月配信分を、月イチでハフィントン・ポストに定期配信していきます。

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今年初めに出版された『ITビジネスの原理』(NHK出版)が大好評の、楽天株式会社執行役員・尾原和啓さん。ほぼ惑では、その続編として、本では語られなかったより個別具体的なウェブの使い方からその本質を解き明かしていく連載『プラットフォーム運営の思想』を月イチで配信しています。連載第3回となる今回のテーマは、今夏にネットを大いに騒がせた「アイス・バケツ・チャレンジ」です。

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前回の記事ではSNS運営の手法について話を進めてきました。今回からはそれを引き継ぐ形で、SNSが私たちの社会にもたらしている影響を考えていきましょう。

まずは、今回の前半ではSNSの登場が私たちにもたらした「正の側面」について考えていきます。もちろん、「負の側面」についても次回以降論じる予定ですが、まずは先にSNSのポジティブな影響について確認しておきたいのです。

そして後半では、このSNSのポジティブな側面が非常によくあらわれた事例として、今年の夏にネットを賑わせた「アイス・バケツ・チャレンジ」を取り上げます。一体、なぜああいう形で話題になり、そして様々な議論を巻き起こしながらも収束していったのか。

実はその過程には――しかも、あれが"すぐに収束してしまった"点にこそ――現代のSNSの素晴らしさが凝縮して示されているのです。

先に結論から言いましょう。SNSがもたらしてくれた「正の側面」は、「Thin relationship managemnt」(以下、「シン・リレーションシップ・マネジメント」)と「Social amplifier」(以下、「ソーシャル・アンプリファイアー」)の二点にあると僕は考えています。その内容についてはこれから説明しますが、この2つのうち、前者は関係性強化、後者は情報収集に関わってくると考えておいてください。

まず、前者の「シン・リレーションシップ・マネジメント」についてです。これは日本語に訳すると、「薄い関係性の管理」となります。

例えば、Facebookの登場が革命的だったのは、リアルではせいぜい20人程度しか管理できない友人関係が、これによって200人などの数が扱えるようになったことです。それによって、どうしても狭く濃くなりがちなリアルの人間関係とは違う、広く薄い関係性をSNS上で私たちは持てるようになったのです。

その鍵となったのが、タイムラインの登場であり、画像の隆盛です。画像であれば一人の人間のポストの消費時間はせいぜい1,2秒で済みますから、タイムラインを下れば30秒で数十人の人間の行動を確認することが可能になります。言ってみれば、かつては「最近どうしてるの?」から始まり10分ほどかかっていた会話を、毎日のようにたった1秒程度くらいでこなし続けているようなものです。

特に重要なのは、この「毎日のように」でしょう。なにせ、SNS以前の時代ですら優先順位が低い人は月に1度会うかどうかという程度だったわけです。それが、いまや毎日その人の情報を確認することができるわけですから。実際、SNS以降に長く会っていない人と顔を合わせて、「久しぶりという感じがしないよね」と話した経験がある人は多いのではないでしょうか。

(余談ですが、私は携帯の電話帳を、この人は月に一回は話す人、3ヶ月に一回、年に一回とフォルダー分けして、暇があるとそのフォルダーから電話をしたり、アポをとったりしていました)

これによってもたらされたのは、スタンフォード大学の社会学者・グラノヴェッダーが提唱した「ウィークタイ」の増加でしょう。彼は多くの調査を通じて、人生の転機において決定的な影響を与える情報が「ちょっとした知り合い」からもたらされることが多いと発見して、それを「ウィークタイの強み」という論文にまとめました。

SNSとは、まさに「シン・リレーションシップ・マネジメント」を通じて「ウィークタイ」を増やすことが可能になるプラットフォームです。かつて狭く閉じた世界に閉じがちだった人間関係が、200人や2000人という規模の人間関係をマネジメントすることが可能になるからです。その多くは、まさに「ちょっとした知り合い」程度の人たちでしょう。

「ウィークタイ」が増えることで、周囲の人の新しい情報が常に自分のところに入ってくるようになります。これによって、例えば自分の生き方の幅や視野を広げていくことが可能になるわけです。

もちろん、「ウィークタイ」には情報収集に関わる、より実利的な側面もあります。先に述べた「ソーシャル・アンプリファイアー」です。

これは、例えばTwitterのRTの連鎖のようなものをイメージしていただければよいと思います。「誰が」RTしたか、「誰が」コメントを付けたか、という情報が元の情報に対してどんどん付加されていき、情報が増幅される(アンプリファイアー)されるのです。

「それはキュレーションではないですか?」と思う人もいるかもしれません。しかし、「複数人によってソーシャル上で情報がどんどん増幅されていく」という話ですから、少々異なっていると考えた方がよいと思います。これを意識的に実装したのが、Facebookが1年ほど前に始めた、ひとつのリンクを複数のフレンドが共有した際に下に連ねて表示する機能です。これによって、「お、複数の人が、しかも、あの人がコメントしているから重要な情報なのだな」などと読む前にリンク先を判断できるようになったのです。

さて、「ソーシャル・アンプリファイアー」はメディアリテラシーの点でも有効です。例えば、自分の周囲や発信力のある著名人の間では語られていないけれども、フレンド2000人の中にいる6人がある話題について話しているということがあります。自分の周囲の井戸端会議のような会話と、有名人が発信するようなメジャーな話題との間に、こうした形での情報収集が入ってくることによって、自分と情報との距離がなめらかにつながれるのです。

もちろん、情報の受け手としてのメリットだけではなく、発信者としてのメリットも当然あります。自分が発信した情報に、多様な立場の人からのコメントが書き込まれるからです。こうしたこともまた、自らが多様な視点から情報を得ていく助けになるでしょう。

SNSをメディアとして利用することは、しばしば勝間和代さんや堀江貴文さんなどの発信力の高い著名人をフォローしていく行為として語られがちです。しかし、実は200人いる友人の100番目以降の友人の5,6人がつぶやいたことだって有益な情報になるのです。昔の高校の友人、趣味でのつながり......そうした繋がりからのコメントが重なりあい、情報が流れてくる過程が可視化されることで、複数の視点から物事を見られるようになります。

そこにこそ、マスメディアの画一的な情報供給とは異なる、「ソーシャルアンプリファイアー」にもとづくインターネットならではの情報取得があると言えます。

こうしたSNS以降の「ソーシャルアンプリファイアー」は、ウェブの言論空間の発展にも大きな影響を与えました。「善意のコメント」の可視化です。

かつてのパソコン通信や2ちゃんねるのような掲示板は、縦一列に並ぶ板にコメントをつけていくだけでした。こうした世界は、いわば「荒らしの楽園」です。一つの善意あるコメントが付いても、悪意のコメントが10個つけばすぐに埋もれてしまうからです。しかし、この「ソーシャルアンプリファイアー」以降の世界では違います。発言者がどういう属性の人間であり、どういうクラスタがコメントしているのかが可視化されて、まとまった形で見られるようになったのです。その結果、たとえ悪意のコメントが、最初は波紋のように広がったとしても、やがて善意の波紋もまた少しずつ可視化されていきます。やがて、そうした善意の波紋がつながり、共鳴し合い、悪意の波紋に均衡していくことになるのです。

これは、まさに単一の軸で情報が並んでいく「1次元」の掲示板文化から、複数の軸で情報が並ぶ「N次元」のソーシャルメディア文化への進化の賜物と言えるでしょう。

そして最近、こうしたN次元のソーシャルメディア文化のもつ構造が最もわかりやすく見える事例が登場しました――それが、最初にも記した今年の夏にウェブを賑わせた「アイス・バケツ・チャレンジ」です。

まずは「アイス・バケツ・チャレンジ」について、簡単におさらいしましょう。これは筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の研究を支援するために、バケツに入った氷水を頭からかぶるか、またはアメリカALS協会に寄付をするというルールで、次々に相手を指名していく運動です。

元々、慈善運動の資金調達に氷水をかぶってみせて、次の人を指名する手法が、どうやらアメリカにはあったそうです。今回の場合は、その中である人物が米 ALS 協会を寄付先に選び、さらにALS 患者の関係者を指名したことで、ALSコミュニティの中で広まったのがキッカケになりました。やがてこの運動はFacebookやYouTubeで大きく広がりを見せるようになり、結果的に米ALS協会はたった3週間で1330万ドルもの寄付金を集めたのだそうです。

この「アイス・バケツ・チャレンジ」は、当初あまりにも強すぎる「善意」として日本に登場してきました。

そうなると、「ALSへの興味に本当につながるのか」「他人を3人指名するのはやりすぎ」などの批判的な意見がネット上に混じってきます。また、「自分はかぶるが指名はしない」と間のラインを取ってくる人も登場しました。印象的だったのは金城武さんで、彼は「貴重な水を使うのはいかがなものか」という意見を踏まえて、除湿機の水をかぶっていました。

実は、こうした意見がかわされたのは、私の観測では実質的に4日程度です。しかし、その短期間に私たちは、これほど多様な意見が世界に存在することを学びました。善意のお祭りだからといって単純に乗ってよいかという戸惑い、それへの毅然とした批判、そして、そうした弱点を取り込んでなお善意を活かすための工夫......私たちは、お互いにこのチャレンジをめぐる態度を表明し合う中で、あっという間に考えを深めていきました。それを可能にしたものこそが、「ソーシャル・アンプリファイアー」に他なりません。

それにしても、この「アイス・バケツ・チャレンジ」は、どうしてこれほど流行ったのでしょうか。

まず、大前提として押さえる必要があるのは、この数年でFacebookやTwitterに動画再生が非常に簡単にできる環境が整ったことです。例えば、Facebookには"On Wall"再生という、TL上でそのまま動画再生する機能が整いました。つまり、これまでのように「よっこらせ」と別の動画サイトに飛んで行くような面倒なことを行う必要がなくなったのです。つまり、非常に容易に「アイス・バケツ・チャレンジ」の視聴を体験できるインフラが整ったのです。

その上で重要なのが、「誇示的なインターネット」と「利他的なインターネット」というふたつの要素です。

まず「誇示的なインターネット」とは、文字通り自分の存在を誇示するためのネットの使い方です。例えば、Facebookに「いいね!」がつくのを狙った投稿を繰り返す人がいますが、彼らの究極系のようなものをイメージすればよいでしょう。具体的には、「俺、すごいでしょ」と旅行先や食事の画像を投稿して自慢するような行為です。

率直に言ってしまうと、自分が寄付行動に参加している動画をわざわざ他人に見せる行為には、やはりこうした自己誇示の側面は存在しているはずです。しかも、友人を3人指名する際に、大抵の人は自分より偉い人を指名しています。これも、「俺はこんなすごい人にトスを渡せるんだぜ」という誇示行為の側面が確実にあったでしょうし、(少々ずるいところではありますが)多少仲よくなくても、善意の行為であるがゆえに受け取る側は断りにくいだろうという判断もあったはずです。

ただ、インターネットに何かをアップロードする行為は誇示行為であると同時に、情報を他者に提供する「贈与」としての側面が必ずあります。ここで重要なのは、最初がたとえただの誇示行為でも、受け手という他者が喜ばなければそれが3人、4人と連鎖していくことはないということです。したがって――「誇示的なインターネット」における連鎖現象は「利他的なインターネット」へと移行せざるを得ないのです。今回の件の場合であれば、やがてALS以外の難病の存在をいかに伝えるか、などの方向に議論が進んでいくことになりました。以上のように、「アイス・バケツ・チャレンジ」はインターネットのある種の本質を凝縮して見せてくれたイベントであったように思います。

ちなみに、この「アイス・バケツ・チャレンジ」には、もう一つの人間に備わった性質も関わっていることを指摘しておきましょう。それは、これまでのアメリカが得意とする均質なインターネットの発想とは真逆にある、多様でカラフルな――特に日本という国が得意としてきたインターネットのあり方につながるものです。

それは、「リレー」という行為それ自体をみんな楽しんでいたことです。

ニコニコ動画のN次創作の連鎖や、掲示板でのリレー小説の企画など、みんなでバトンを渡しあっていく楽しさは、実は皆さんのよく知るインターネットにずっと存在してきたものです。今回の流行にもそうした側面は確実にありました。

その楽しさは、大きく2つの要素から説明できるように思います。ひとつは、先に記したような誇示行為の中でバトンを渡していくことで、誰かから誰かへとつながっていく喜びです。そして、もうひとつは連鎖の中でズレが生じることで、当初は思いもしなかったような姿へとリレーで生まれたものが変貌していくことです。

僕が今年聞いた言葉で最も感動した言葉に、武邑先生の「贈与と交換は多様性を内包する」というものがあります。この言葉をネットに置き換えて説明すると、まず贈与とはインターネット上に何かをポストする行為に当たります。それに対して、交換とは誰かがコメントを返してくることなどが当たるでしょう。

先にも述べたように、人間が贈与する際には、やはり「だれかを喜ばせたい」という意志が含まれるのです。

大抵の場合は、特定の誰かに対してか、不特定多数のグループでしょう。いずれにせよ、贈られるものに、受け取る人がもっていない「差異」や想定していない「驚き」があるから、喜びが生じるわけです。そこには、「差異」や「驚き」のズレが必然的に生じていく所以があります。しかも、リレー行為の場合にはコミュニケーション消費も生じやすい。「前の人間がああしたから、俺はこうするよ」というように個性を競い合うのです。

そうした連鎖運動でズレが高速で生じていくのが、リレーという行為の面白さであり、そのズレの集積の中に急速に多様性が生まれていく。それこそが「贈与と交換は多様性を内包する」という言葉の意味だと思います。それは一回一回のコミュニケーションのズレそれ自体を楽しむことであり、同時にそのズレが生み出す多様性それ自体を味わうことでもあります。

この多様性を加速する装置としての贈与と交換によって、たった4日間の日本での「アイス・バケツ・チャレンジ」において、私たちはいろんな視点、視座を創発しながら学ぶことができたのです。

ここで重要なのは、この「アイス・バケツ・チャレンジ」が始まったのは、アメリカからであることです。別にアメリカのインターネットが、均質化と効率化を追求するだけの場所になっているかというと、実はそうではありません。同様に日本のインターネットが、過剰性と余白を楽しむだけの場所かというと、それも違います。

そもそもを言えば、インターネットの技術それ自体がズレを楽しみやすい設計になっているのです。だから、それに適したネタがあればそこで人間が盛り上がるのは必然なのだと僕は思っています。実際に例えば、アメリカではローティーンがSnapchatで盛り上がっていますが、あれなどは従来の発想で言えば大変に日本的なインターネットの楽しみ方に見えます。iPhoneが生まれてから7年、スマホを空気のように吸って育った彼らの姿は、2ちゃんねるの交流系の板ですぐに消えるアップローダーに写真を上げて楽しんでいた若い人たちによく似ています。

技術をどう楽しむかというのは、それを使った時代に大きく規定されます。インターネットが始まった当初のアメリカは、まだ細い回線を使っていたためにテキストでの交流が主流でした。そこでは均質的な利用法を楽しむことが効率的でした。しかし、現代のアメリカのティーンエージャーは一日中太い回線でネットにつながり続けています。そうなれば、一つのコンテンツを均一的に楽しむよりも、気の合う連中と気の合う一期一会のコミュニケーションを楽しみたくなるのは当然のことです。

更に、今回の「アイス・バケツ・チャレンジ」は、ビル・ゲイツのようなおじさん世代もハイコンテクストを発揮していました。ゲイツは自らバケツをひっくり返す機械装置を設計し、溶接してかぶったことで、見事にギーク少年の心を失わない彼らしいウィットを表現して、世界中から喝采を浴びました。そこにあったのは、まさに過剰さと多様性を楽しむインターネットの姿に他ならないと僕は思います。

(続く)

▼プロフィール

尾原和啓(おばら・かずひろ)

1970年生。楽天株式会社執行役員、楽天株式会社チェックアウト事業長。京都大学大学院工学研究科修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab)、コーポレートディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、Googleなどの事業企画、投資、新規事業に従事。現職は11職目になる。また、ボランティアで「TED」カンファレンスの日本オーディションにも携わる。米国西海岸カウンターカルチャー事情にも詳しい。2014年1月に初の著書『ITビジネスの原理』(NHK出版)を出版。

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