LINEやFacebookが息苦しい人に――ビジネスモデルの知識があなたを自由にする(尾原和啓『プラットフォーム運営の思想』第4回)

現代のプラットフォームが抱える様々な問題点は、別に悪意を持って皆さんに不利益を与えようとして、生じたものではありません。こうした歪みは、単に彼らが営利企業であり、市場でいかに価値を出していくかを考える中で、結果的に生じたものがほとんどです。しかし、そのことが私たちに息苦しさや不自由を感じさせています。こうした営利企業のビジネスモデルの追求が生み出す弊害を、僕は「ビジネスモデルの重力」と呼んでいます。

PLANETSチャンネルにて好評毎月連載中の 尾原和啓『プラットフォーム運営の思想』 の過去の掲載回を、月イチでハフィントン・ポストに定期配信していきます。

※ 冒頭の試し読みが公開されています NHK出版 『ITビジネスの原理』
初回の連載でも書いたように、僕はずっとプラットフォームビジネスの立ち上げに関わってきました。現在も組織の長として、プラットフォーム運営の魅力や楽しさを社員に伝えようと日々奮闘しています。
ただ、なかなか日本人にはこういう「アーキテクチャ」を巡る議論がわかりづらいのかもしれないと思うこともあります。どうしても、ハッカーやアーキテクチャのような言葉に「支配」のようなマイナスのイメージだけを抱く人も多いようです。
今回は、まさにSNS運営の持つ負の側面を話します。前回はSNSの正の側面を語りましたが、今回はその危険性について分析します。ただし、僕はそれを知らせて、皆さんをSNSから遠ざけたいのではありません。
では、なぜそんな話をするのでしょうか?――それは、こうした話を知ることが現代のリベラルアーツになると思うからです。
かつて大学で教えるリベラルアーツでは、言語と論理学が重視されていました。なぜならば、それを知ることによって人間は、自分の生きる社会の政治や法律、文化の仕組みを知り、自由(liberal)になれたからです。日本語ではリベラルアーツは単に人文科目くらいの意味で使われていますが、本来のリベラルアーツとは、そういう人間を自由にしてくれる技術のことなのです。
しかし今日、私たちの社会生活にはFacebookのようなSNSなどが深く浸透しはじめています。そうしたプラットフォームサービスは、私たちの生活を左右するインフラになり始めており、一種の公共性を担うようになってきました。
ここから見ていけば分かるように、現代のプラットフォームが抱える様々な問題点は、別に悪意を持って皆さんに不利益を与えようとして、生じたものではありません。こうした歪みは、単に彼らが営利企業であり、市場でいかに価値を出していくかを考える中で、結果的に生じたものがほとんどです。しかし、そのことが私たちに息苦しさや不自由を感じさせています。こうした営利企業のビジネスモデルの追求が生み出す弊害を、僕は「ビジネスモデルの重力」と呼んでいます。
そうだとすれば、僕たちは彼らプラットフォーマーたちの「ビジネスモデル」をよく知り、その「重力」から適度な距離を保つべきでしょう。ここから話す知識は、まさに論理学や言語がそうであるのと同様に、きっと情報社会に生きる私たちを「自由」にしてくれる技術だと僕は信じています。
そう――現代において「ビジネスモデル」とは、リベラルアーツの一科目なのです。
それでは、ここからSNSにおける「ビジネスモデルの重力」から生じる負の側面を話していきましょう。僕が特に問題だと考えているのは、以下の3つの論点です。
1.過剰なパーソナライゼーション
2.後発的多動症
3.ソーシャルゲームにおける過剰な社交性の煽り
ここからは、以上の3つがどういう問題なのかと、それがどのように解決されていくかの展望を語っていくことにします。

SNSの「負の側面」――1.過剰なパーソナライゼーション

まず一番目は、「過剰なパーソナライゼーション」です。
これはSNSというよりもウェブサービスそのもので起きている問題でもあります。例えば、Googleの検索結果は、各人のそれまでの検索ワードが示す傾向で表示を変えています。こういうふうに、個人の嗜好性に合ったサービス提供を進めることを「パーソナライゼーション」といいます。この施策が行われる理由は、本人の興味に合う検索結果を提供できるほど、そのサービスを長く使う傾向が高まるからです。
しかし、その弊害として、同じ言葉を検索しているのに、人によって受ける印象が全く違ってしまうという問題が起きました。その結果、各人に見える世界そのものがぐるりと変わってしまうのです。
SNSにおいても、同様のことが起きています。この場合には、自分と興味の近い人間同士でコミュニティを作るビジネスというSNSの特徴そのものが、問題を引き起こしています。なぜなら、自分に近い人々はやはり自分に似た価値観の人が多くなりがちだからです。
もちろん、それはSNSの良いところでもあります。しかし、自分の周囲が同じ興味の話題で埋めつくされたときには、単に一部の人間が騒いでいるだけなのに、あたかも世の中全体がそうであるかのような錯覚を起こしてしまうのです。
例えば、アニメが好きな人のTwitterのタイムラインには、深夜になるとアニメのつぶやきが流れてくるでしょうし、アニメ嫌いを公言するような人の発言があれば、周囲は「信じられない」と批判するつぶやきばかりになります。しかし、当然ながらアニメ嫌いの人のタイムラインには、きっと全く違う光景が見えているはずです。また、自分にまつわる話題の場合なんかでは、あたかも世の中の多数が自分に興味を持っているかのような錯覚も起きてしまうようです。自分への批判だったりすると、必要以上に落ち込んでしまうことにもなります。
ただし、パーソナライゼーションそのものには良い面が沢山あります。なにせ、自分に興味のある情報が得られる可能性が高まるのですから。そして、もうひとつ注意すべきなのは、別に運営者側が何かの悪意を持ってユーザーの情報を狭めているのでもないことです。むしろ運営としては、ユーザーの利便性を高めることで利用頻度を上げたいというだけなのです。それが、この問題の本質的な難しさでもあります。

SNSの「負の側面」――2.後発的多動症

もちろん、そういうふうに運営が良かれと思ってするサービスが、競争の中で本来あるべき範囲を超えて過剰になっていくことは、しばしば見られることです。まさに二番目の「後発的多動症」には、そのことが象徴的に現れています。
例えば、LINEやFacebookメッセージには、既読の通知機能がついています。その結果、私たちは他人からメッセージが飛んでくると、「すぐにでも返事をしなければ」と思ってしまいがちです。また、なにか面白い出来事があると、すぐにスマホのカメラを取り出して「Twitterにアップロードしよう」などと考えてしまったりします。
こういう行為を、僕は「後発的多動症」と呼んでいます。
なぜならば、目の前に幸せな出来事がある場合でも、まるで「多動症」のように集中できずにいるからです。例えば、レストランで美味しい食事を目の前にしていながら、写真をアップロードするのに専念している人がいます。あるいは、自分の愛する子どもと一緒にいるのに、ママ友からのメールに返信しなければと焦っている母親がいます。そうした事例を見ると、やはりSNSのせいで過剰な行動が生じていると言わざるをえないように思います。
アメリカでも最近、ソーシャルメディアのせいで注意が次々に飛んで行くことを「ハイパーアテンション」と呼ぶようになりました。これを一つの対象にじっと注意をむけるような、本来の「ディープアテンション」と比較するメディア論も登場しており、議論を呼んでいるようです。
それにしても、どうしてこの「後発的多動症」のような過剰な行動を引き起こす運営が行われるのでしょうか。それも、やはり「ビジネスモデル」が原因で生じたものだと言えるでしょう。そのことを理解するために、プラットフォームがどのように運営されているかを、少し皆さんに解説しましょう。

重力の正体とは:「利用頻度」と「滞在時間」を追求した結果...

運営者は何を考えて、日々のプラットフォーム運営をしているのか。
もちろん個別のサイトごとに特徴はあると思いますが、一般にはユーザーの行動から得られた数値指標(KPI=Key Performance Indicator)を追いかけることで、サイトの運営を行っているはずです。よく勘違いされがちですが、一つ一つの投稿を調査するような面倒なことは、そもそも運営者には基本的にできません。情報の数があまりに膨大すぎるからです(※ ただし、援助交際や薬物売買、誹謗中傷などの違法性の高い投稿については、カスタマーサポートと呼ばれる部署や専門企業が、例外的に調査をしています)。代わりに運営者が見るのは、ユーザーのクリック率やアクセスの上昇速度などのユーザーデータです。それらの情報から、総体的に状況を判断するのです。
このKPIの代表的なものとして、「利用頻度」と「滞在時間」という指標があります。利用頻度とは、(定義は色々とありますが)ユーザーがサイトに訪れた回数のことで、滞在時間はユーザーがそのサイトに滞在してくれた時間です。一般には、この二つの指標が大きいほど、ユーザーの満足度は高いとされています。
しかし、その方向でサイト設計を最適化していくと、悪く言えばユーザーを「そのプラットフォームの中毒者」にさせる作りに近づいてしまうことが、往々にしてあるのです。
例えば、「利用頻度」を上げるという観点から見ると、LINEの既読通知は「返事をしなければいけない」という同調圧力です。Facebookの「いいね!」ボタンは、手軽に褒められる快感を与えて、承認欲求ジャンキーにする誘導です。Twitterのタイムラインが絶えず鮮度の高い情報が流れるのは、「仲間外れにされたくない」という不安の喚起と言えるでしょう。
また、Facebookの「いいね!」ボタンは「滞在時間」という観点から見ることも出来ます。タイムラインでニュース記事が流れてきたとき、ユーザーがそれを読みに行ってしまうと別サイトへと離脱することになりますから、滞在時間は減少してしまいます。しかし、記事の中身なんて読みもせずに「いいね!」ボタンを連打するだけなら、サイトから出て行くことはないので、滞在時間は減らないのです。
ある意味では、ソーシャルメディアからの送客を狙ったバズメディアが、扇情的なタイトルの記事を量産してクリック率を上げようとする隠れた要因の一つとして、こういうSNS側のサイトからの離脱を防ごうとする運営による部分もあると思います。
もちろんですが、プラットフォームがこうしてKPIを気にする理由は、それが営利企業による運営だからです。
Facebookだって、彼らが単に「人間関係のOSをつくる」と標榜するNPO団体だったら、こんなことはやらないでしょう。しかし、既に上場している企業でもあるし、競合とのシェア争いもありますから、お金は必要です。現状で彼らが取っているビジネスモデルは、広告のクリックでお金をもらう「広告ビジネス」です。これはユーザーの滞在時間が収益に大きく繋がるモデルです。
逆に言えば、もし人々がインターネット上のコンテンツに課金してくれるようになり、広告ビジネスに依存しなくていい時代が来れば、この「後発的多動症」だって減っていくはずです。Facebookだって、滞在時間を気にしなくてよくなるのですから。
とはいえ、その場合には、今度は「いかに課金してもらうか」「いかに有料会員を退会させないか」などに運営者は気を使うようになるでしょう。結局、競合相手がいる以上、どうしてもプラットフォームが多かれ少なかれ中毒性を志向する面があるのは、避けられません。
そんな「課金ビジネス」のビジネスモデルで起きた問題点が、例えばソーシャルゲームで大きく問題になった「過剰な射幸性の煽り」です。

SNSの「負の側面」――3.過剰な射幸性の煽り

三番目の「過剰な射幸性の煽り」は、「コンプガチャ」問題などでニュースでも大きく報じられたので、認識している人も多いと思います。
GREEとDeNAのソーシャルプラットフォームは、ソーシャルゲーム内のアイテムを購入させる「アイテム課金」に大きく依存したビジネスモデルです。
そして重要なのは、Facebookと彼らの違いが生じたのも、煎じ詰めればビジネスモデルが原因だった側面が強いということです。Facebookが「滞在時間」を最適化したようにして、彼らはゲーム内でアイテムをいかに買ってもらうかに最適化を進めていったとも言えます。
実際、実はFacebookにだって、ゲームによる収益化に向かう選択肢はありました。しかし、タイムラインがゲームアプリのアラートで汚れてしまうのがユーザーの不評を買ってしまい、彼らはゲームへの導線を弱める選択肢を取りました。やはり、彼らにとっては「人間関係のOSをつくる」という最も重要な戦略であり、理念であるところの目的とのコンフリクトが、あまりにも激しかったのだと思います。
この「アイテム課金」は話し始めると長くなってしまいます。いずれソーシャルゲームの歴史やゲーミフィケーションの話題と絡めて再び取り上げた際に、本格的に論じたいと思います。

SNSの問題点の解決策――1.ユーザーが「ビジネスモデルの重力」を認識する

それでは、こうしたSNSの問題点は今後どのようにして解決されるのでしょうか。
先に結論から言ってしまうと、基本的に現在はインターネットの進化における過渡期にすぎないということです。少なくとも、現在生じているような問題は、僕の考えでは技術や運営手法の発展によって、自然に解消していくものです。
ただし、ユーザー側から可能なこともあります。「おかしくないか」という声を上げて、その速度を早めるのは重要です。そうした批判は、充分に運営に対して外圧になるはずです。そもそもユーザーなしには、プラットフォーム運営は成り立たないのです。その一方で、ユーザー自身が「ビジネスモデルの重力」を認識して、意識的に振る舞うことで弱めていける問題もあります。
例えば、1番目の「過剰なパーソナライゼーション」はその一つです。
そもそも、先にも言ったように、これ自体は必ずしも悪いことではありません。問題は、Googleの検索結果やTwitterのタイムラインを世界の全てだと思ってしまう、我々の誤解にあります。だから、まずは「自分のディスプレイに映るものが常にパーソナライズされている」という事実を認識することです。そのことだけでも、だいぶ呪縛から解き放たれて、息苦しさが解消されるはずです。もちろん、その次の段階として、あえて多くの人間をフォローして自分なりの「ウィークタイ」をつくり上げたり、新聞や海外テレビなどの別の情報経路を用意したりして、自分を「メタ認知」できるようにしておくのも大事です。
ちなみに、さらに僕の場合には、こうしたパーソナライゼーションを自分からコントロールしています。具体的には、Facebookのお気に入りやリストを積極的に活用して、月に一回は必ずメンテしています。その際に、相手のFacebookを見に行くことで「いいね!」のつく早さなどから、その人の周囲の人物とのやりとりの頻度を把握できたり、Facebookのエッジランク(NAVERまとめはこちら)で自分の投稿が相手のタイムラインに表示されやすくなるなどの嬉しい副産物(?)もあります。これなどは、ちょっとしたライフハックかもしれません。

SNSの問題点の解決策――2.エンジニアがテクノロジーを進歩させる

しかし、やはり重要なのは、テクノロジーによる自然な解決です。2番目の「後発的多動症」の問題などは、まさにその典型でしょう。
これはまず端的に、単に承認欲求を満たすためにやる行動としては、あまりにも時間がかかりすぎているのが問題です。しかし、『ITビジネスの原理』の第5章でも書いたように、ウェアラブル機器とギガビット情報をやりとりできるインターネットの登場は、人々が画像投稿するコストなどを大きく下げてくれます。
ウェアラブル眼鏡で一瞬にして写真が投稿できるようになれば、レストランでの撮影に時間をかける必要はなくなります。幸せな時間の最中に「後発的多動症」を起こして、スマホの画面に没頭する必要がなくなるのです。また、コンシェルジュ機能が整えば、スマホで検索しなくても、欲しい情報に自然とたどり着けるようになるでしょう。ソーシャル上で承認欲求を満たして楽しむのと同時に、リアルで一緒にいる人との時間を楽しむことも可能になるのです。
また、マッチング技術の向上も重要です。
現在のインターネットは、届けたい人に情報がうまく届かない仕組みになっています。食べログのように不特定多数に情報発信をするか、Facebookのような場所で過剰なソーシャルコミュニケーションを行うか、という感じで、依然としてノイズが大きいと感じます。まだまだ改善の余地があります。では、その精度が上がり、届けたいと思う人にしっかりと届くようになったら、どうなるのでしょうか。
確実に言えるのは、ひとまず承認欲求の餓えは満たされるということです。そこで、コミュニケーションは次の段階に向かうはずです。
僕の考えでは、おそらく次はそうして集まった同好の士と、より細部のコミュニケーションの楽しみを味わうような方向へと変化していくはずです。前回に紹介した「アイス・バケツ・チャレンジ」では、承認欲求を満たす「誇示的なインターネット」が「利他的なインターネット」に移行していく過程を分析しました。そこで詳しく書いたように、人間のコミュニケーション消費の原理は、同じものには快感を覚えません。だからこそ、コミュニケーションが進化していくと、やがて勝手に各々が細部の違いを追求し始めて、ついには互いに利他性を発揮しあうようになっていくのです。
ちなみに、こういう話をすると、「単にオタク同士が寄り集まる、世界の狭いコミュニティが生まれるだけじゃないか」と批判する人がいるはずです。でも、かつてオタクの世界が狭かったのは、オタク活動に莫大なコストがかかっていたからです。
例えば、「うなじフェチ」の人がいたとして、かつては同好の士が集まる場所に出向くしかなかったのが、いまや簡単に最新の素敵な「うなじ画像」を集めて、ネットで語り合える時代です。もう、目黒の喫茶店だとかで彼らと大事な休日を潰さなくてもいいのです。彼らと一日の時間をネットでほんの少しだけ使って、最新の画像を語り合う。それだけで、結構オタク的な欲望というのは満たせてしまうのです。
最近、よくオタクの閉鎖性が薄れてきたと言われます。その理由の一端として、情報技術のお陰でオタク活動に振り分ける時間が全体として短く済むようになり、他の活動に割ける時間が増えた面も大きいと、僕は思っています。

SNSの問題点の解決策――3.運営者がより良いKPIに変更する

また一方で、運営者がKPIの設定を変えることも、大きな変化を生むでしょう。つまり、「ビジネスモデルの重力」それ自体が変化することです。
これについては、SNS以外のプラットフォームで起きた事例が参考になります。例えば、かつてECサイトでは、1回のサイト訪問での購入にまつわる数値を重視していました。しかし、その結果として、セールスハンターのようにすぐに買っては出て行くようなユーザーたちばかりが集う状況が生まれてしまいました。
それに対して、現在のECサイトで主流のKPIは「顧客生涯価値」(LTV)と呼ばれる数値です。ECサイトの場合のこの指標は、顧客がそこのユーザーである期間にどれだけ買い物に利用してくれたかを計る数値になります。つまり、ECサイトの運営者たちは、ユーザーが長くそのサイトを使い続けてくれることが、何よりも重要だと気づいたのです。
その意味ではFacebookなども、こういう話に気づき始めているように思います。実は、アメリカのFacebookでは、ユーザーの投稿頻度が随分と低下してしまったことが問題になっています。まさに「mixi疲れ」のような状況が起きているのです。それに対して、最近Facebookが入れてきた「ノーティフィケーション」のアイコン化などは、「いいね!」ボタンのもつ刺激度を相対的に弱めようという意図を感じます。
(ただし、KPIで重要なのは測定しやすく、制御しやすい数値であることです。ECサイトにおけるLTVに比較して、SNSで顧客の何を測定すれば長期的な価値につながるかを見極めるのは、相当に難しい問題であるように思います)
そして、「過剰な射幸性の煽り」の例として出したソーシャルゲームの歴史も同様の歩みをたどりました。初期の頃にはユーザーに激しく課金させるビジネスモデルが主流でしたが、現在では長く遊んでもらえるビジネスモデルへと移行が始まっています(いずれ、この変化については詳しく書きます)。結局、ユーザーに負担をかける手法は、長い目で見たときに決して長続きしていないのです。
こうした事例を見たときに僕がいつも思うのは、結局どんなプラットフォームも、最後には必ずユーザーにとって良い方に向かっていかざるをえないということです。それは、おそらく――人間がプラットフォームを選ぶことができるからなのでしょう。
かつてインフラ事業は、基本的には国家が運営するものでした。しかし、人間は生まれる国家を選ぶことはできないので、国家には無茶な運営だってできてしまいました。でも、営利企業のサービスがそんなことをしたら、簡単にユーザーに逃げられてしまいます。なので、一時的に競合に勝つために中毒性の高い戦略をとったとしても、そういう手法は長続きしません。いずれ振り子を戻さざるをえないのです。
それに、僕はそういう不快なサービスをいつまでも運営するような企業からは、そもそも優秀な社員が逃げていくと思います。「ロマンチックなことを言ってるね」と笑う人もいそうですが、どうでしょうか。よくGoogleを「ビッグブラザーみたいだ」と批判する人がいますが、本当にGoogleがビッグブラザーになったら、現在いるエンジニアの半分以上は逃げていくでしょう。
この二つの市場競争に晒されている限り、一時的な中毒性が生まれたとしても、必ず最後には運営はユーザーを向かざるをえない。それは僕の基本的な信念です。
そういう意味では、過剰な射幸性や承認欲求の煽りなどではない、本当の意味で人を幸福に導くようなサービスが求められているとも言えるでしょう。我ながら、まるで宗教のようなことを言っているなと思います。しかし、まさにそんな宗教のようなサービスが登場したら、それこそが最強のサービスなのではないか――そんなことも思います。
もちろん、やはりビジネスには「振り子」のような側面はつきものです。たとえある過剰な問題が解決しても、別の方向での過剰さが生じてくるのは避けられないように思います。
ただ、それでも新しいサービスの登場を否定するのは間違っています。ここまで何度も書いてきたように、やはり新しいプレイヤーは、どうしても市場競争で自らのサービスを普及させるために、何らかの形で過剰になってしまうのです。でも、そんな彼らもやがて必ずユーザーを向く日が来ざるを得ません。だから、ユーザーとしては常にニュートラルな立場を取り、その過剰さと距離を置きながら、上手く付き合っていくのが大事でしょう。もちろん、あえてその過剰さをハックして使いこなすことから、新しい幸せの可能性をつかみとっていくのもまた、人生を豊かにする方法の一つだと思います。
(次回に続く)
▼プロフィール
尾原和啓(おばら・かずひろ)
1970年生。楽天株式会社執行役員、楽天株式会社チェックアウト事業長。京都大学大学院工学研究科修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab)、コーポレートディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、Googleなどの事業企画、投資、新規事業に従事。現職は11職目になる。また、ボランティアで「TED」カンファレンスの日本オーディションにも携わる。米国西海岸カウンターカルチャー事情にも詳しい。2014年1月に初の著書『ITビジネスの原理』(NHK出版)を出版。

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