心がつながるのが怖い――「友だちになろう」ってどうして素直に言えないんだろう?

どうしたら良好で緊密な人間関係を築けるのだろう?
『心がつながるのが怖い――愛と自己防衛』イルセ・サン作、枇谷 玲子訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン発行、2017年9月14日発売
イルセ・サン
『心がつながるのが怖い――愛と自己防衛』イルセ・サン作、枇谷 玲子訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン発行、2017年9月14日発売

友だちになれない言い訳を探す

いつからだろう。出会う人と友だちになれない理由ばかり探すようになったのは。

●「あの人はあくまで仕事仲間。友だちとは違う」

●「年齢が離れているから、仲良くなれないや」

●「育った環境が違うから、どうせ分かり合えっこない」

●「ママ友は子どもを介した関係で、ただの知り合いだもの」

友だちになろうよ、って言えたらいいのに

最近デンマークのセラピー本『心がつながるのが怖い――愛と自己防衛』を訳した。作者は『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』イルセ・サン。たくさんのブロガーさんたちがサイトに感想を描いてくださったり、声優の細谷佳正さんがラジオ番組天才軍師で本のことを語ってくださったりと、大きな反響を呼んだ。訳者として、この場を借りてお礼を申し上げたい。

イルセ・サン

ただ実は、ロシア人のデンマーク語翻訳者から、「私は『心がつながるのが怖い――愛と自己防衛』の方がすごい作品だと思う。とってもいい作品だからぜひ読んでみて」と教えてもらっていた。初めその言葉をにわかには信じられなかった。『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』が本当に優れた作品だったから。でも読んでみて、彼女の言葉の意味が分かった。

読みながら気づくと私は、わんわん泣いていた。自分の心にぽっかりと穴が空いていることに気付かされたのだ。

そうだ、私はいつも、

●私なんか誰にも愛されていない

自分には価値がない

●facebookやtwitterで友だちと近況を伝え合ってはいても、誰とも真につながれていない

と感じてきたのだった。

どうしたら良好で緊密な人間関係を築けるのだろう?

本には、

●私たちがどのようにして自分自身を守り、愛にストップをかける自己防衛の戦略をとるようになるのか?

●それらの戦略が良好で親密な人間関係を築く妨げになるのは、どんな時か?

●どのようにしたら不適切な戦略から脱却できるか?

●どうやって自分自身の心に寄り添いながら、他者と近しい関係を築くことができるのか?

が作者のイルセ・サンが実際に行ってきたセラピーでのクライアントの事例を交えながら、書かれていた。

も本当は誰かとつながりたい友だちになろうよって、手を差し出したい。でも拒絶されるのが怖い

自己防衛の戦略

作者がこの本で言及している自己防衛の戦略とは、他者または自己の内面、外の世界の現実から距離を置こうと、私たちが意識的、または無意識的にとる行動全般、鈍感になろうとしたり、他者や自身の内面と距離をとったりする戦略を指している。フロイトやキルケゴール達もこの人間の心の動きを認識していた。

幼少期に自分を守るため必要だった戦略を大人になっても取り続ける

自己防衛の戦略は幼少期の早い段階でとられるようになることがほとんどだ。子どもは自分を守るため、愛されていないとはっきり認識するのを避ける。小さな子どもは自身の親が親としての能力に欠けていると認識することで、命が脅かされる恐怖を覚える。その恐怖から逃れるため、愛情に満ちた強い理想の両親像を心の内に創り上げてしまう子もいる。作者のイルセ・サンは、強すぎる感情と距離を置くのは、時に適切である、と述べている。

しかしこの戦略が習慣化し、大人になってからも、必要以上に自己防衛の戦略をとり続け、自己の内面と距離を置きすぎることで、他人に心を開き、愛情に満ちた関係を築くチャンスをも逃してしまう。また他人に心を開けないのは、自分の性格なんだ、自分は劣った人間なんだと考え、自分を責めてしまう。

親に叩かれて育った人は、他人から物のように扱われるのを許してしまいがち

イルセ・サンは愛する親に叩かれて育った子は、自分は価値のない人間なんだと感じ、叩かれた苦しみを忘れるため、現実とは違う理想化した両親像を思い描くことで自分を守ろうとする、と述べている。

さらに子どもの時、物のように扱われた人は、大人になっても、他人からそのような扱いを受けるのを許してしまいがちだと言う。そして逆に自分自身もパートナーを物や道具のように扱ってしまうこともある。

心の傷がえぐられる

この本を読むことで私は心の奥にしまい、鍵をかけていた心の傷が再びえぐり出されるような感覚を覚えた。それはとても苦しく、辛い体験だった。1冊の本にこんなに感情を揺り動かされるなんて、不思議だ。実際、作者のセラピーを受けた人の中にも私のように泣きだし、感情を露わにする人がいたそうだ。

苛立ったり怒ったりしてばかりいる人の心には、悲しみや痛みが隠れている

すぐに苛立ったり、怒ってばかりいる人は、その胸に悲しみや痛みを抱えて、それらの感情を自覚するのを避けるため、苛立ったり、怒ったりしているのだ、とイルセ・サンは述べている。

他人を妬んだり、嫌ったりしてしまうのは愛情に飢えているから

他人を妬んだり、嫌ったりしてしまう人は、愛情に飢えている場合が多い。イルセ・サンは作品の中で読者に、そのような自己防衛の戦略をとってしまっていることを認識し、自身の悲しみや痛みを受け止め、感じることで、心が解き放たれ、愛情に満ちた人間関係を築くことができると優しくも力強く説いている。

いつも笑顔でいなくていい

イルセ・サン

作者は正しくあらねばという強迫観念が強すぎると、常に笑っていなくてはならなくなる、と指摘した上で、表の顔を持つのは悪いことではない、と述べる。 問題は、その仮面をはずすタイミングが分からなくなったり、ごく近しい人の前でも仮面をとれなくなったりすることだ。 作者はいい人の仮面をはずし、相手と視線を合わせ、落ち着いて話すことで、他者と心のつながりを感じられるようになる、と言う。私は私なんだ、と思うことで、相手にありのままの自分をさらせるようになる、とも。

ありのままの自分でいる

自分らしくいようと選択するのは、自己の内面をありのままに受け入れこと。また人生には自分の力ではどうにもならないことがある、と認めることでもある。相手にありのままの自分を知ってもらい、受け止められることで、愛されていると感じることができるのだ、と作者は言う。 自分らしくいようと決めることで、心を開き、相手を受け入れ、他者に注意を向けることができるようになる。そうすることで愛情に満ちた人間関係が築けるようになるのだと、この本には書かれていた。

そばにおいでよ

私は誰かから差し出された手を、これまで何度、つかみそこねてきたのだろう? この本のデンマーク語のタイトルは"Kom nærmere"(もっとそばにおいでよ)。 「そばにおいでよ」私も誰かにそう言えたらいい。