【東京オリンピック・パラリンピックを考える】2020のその先の未来へ「共生社会」という遺産を残そう

労働運動がオリンピック・パラリンピックにより深く関わるようになった契機は、2012年ロンドン大会だ。

リオデジャネイロでは、熱戦が繰り広げられたオリンピックに続いて、9月7日〜18日の11日間、パラリンピックがついにはじまった。4年後は、いよいよ2020東京オリンピック・パラリンピックだ。

私たちには、何ができるのか。

パラスポーツ(障がい者スポーツ)の魅力を伝え、「共生社会」を東京パラリンピックのレガシー(遺産)にしようと精力的に活動している、NPO法人STANDの伊藤数子代表理事に話を聞いた。

その先の未来のために

―4年後のパラリンピックは、発祥の地である東京で開催されます。

「観客席をいっぱいにする」ことが重要です。内閣府の世論調査では、「パラリンピックを知っている」は98・2%、「観戦に行きたい」は36.4%なんですが、そのうち「ぜひ観戦に行きたい」は4.5%しかいないんです。

チケットを持っていても観戦に行かない人は多く、ロンドンパラリンピックではチケットが完売したのに、観客席には空席が目立ちました。だから、これからの4年間でパラスポーツをもっともっと知ってもらい、「ぜひ観戦に行きたい」人を増やしていきたい。

ただ、もちろんそれだけでは成功と言えません。東京開催決定後のIOCのセミナーでは、開催の意義がこんなふうに語られました。

「オリンピック・パラリンピックはスポーツの世界最高峰の競技大会であるとともに世界の平和の祭典です。一都市のイベントで終わらせるのではなく、その先の未来をどうしたいのか、深く議論を重ねてビジョンをつくり、行動に移してください。オリパラはそのきっかけになるし、世界にアピールする絶好の機会になる」と。

なるほどと思いました。今、めざすべき未来像として共有されている「共生社会」は、1964東京オリンピック・パラリンピックから受け継いだ遺産でもあります。また、初のパラリンピックを東京で開催したことは、パラスポーツに対する日本国内での考え方を大きく変えるきっかけにもなりました。

―どのような変化が?

1964年の東京オリンピックの1カ月後、22カ国が参加して、世界初のパラリンピックが開催されました。これは脊椎損傷の人たちの大会で、日本からも53名の選手が参加しましたが、ぜんぜん勝てなかった。開催国として「選手」を集めたものの、当時の日本では、脊椎損傷の人がスポーツをするなんて考えられないことでした。

ところが、欧米の選手たちは、試合が終わったら、選手村にタクシーを呼んで、銀座や浅草へと観光に繰り出していく。選手村の施設で歌ったり、踊ったりしている。日本人選手は、その姿に衝撃を受けました。話を聞くと、彼らは病院ではなく家にいて、スポーツをしたり、働いたり、結婚して家庭をもったりという生活を送っているという。

そしてアメリカの選手から「あなたたちが弱いのは、練習量が少ないとか、技術の習得が足りないとかということではない。日本では、障がいのある人に対する考え方が僕たちの国とは全然違うからでしょう」と言われたそうです。

障がいがあっても、身体を動かすことで、心身ともに健康を取り戻し、仲間ができ、社会に復帰していける。こうした考え方は、第2次世界大戦の頃から欧米諸国ですでに始まっていました。そして、それは当時の日本社会にはまだないものでした。

この体験を通じ、日本の選手は「障がい者の自立」という理念を獲得しました。翌1965年には日本身体障害者スポーツ協会が設立されました。

ある選手は、病院に戻ると主治医に働きたいと訴え、リハビリをして車の免許を取得し、義肢装具士の資格を得て73歳まで働き、良き伴侶にもめぐまれました。

私たちは、この「障がい者の自立」という遺産を受け継ぎ、次の2020年大会では「共生社会」をレガシーにしようと動き出しているんです。

大会はボランティア無くしては成り立たない

―連合に期待することは?

東京オリンピック・パラリンピックでは、8万人を超えるボランティアを募集します。大会はボランティアの存在なくして運営できません。ボランティアの語源は、「自由意思」を意味するラテン語「voluntas」で、「いてもたってもいられなくて、何かやりたいという気持ちで行動すること」。連合の皆さんには、熱い思いと団結力、行動力があります。「共生社会」をめざし、パラリンピックを大成功に導く大きな力になってくださると期待しています。

連合東京パラスポーツセミナー(2016.7.22) 連合東京では、2020東京オリンピック・パラリンピックに向けて、昨年12月3日にスタートセミナーを開催。今年7月には、NPO法人STANDの伊藤代表理事を講師に三多摩地区と23区で「パラスポーツセミナー」を開催した。

~連合のスタンスと取り組み~

世界的スポーツイベントから未来を創造する社会的祭典へ

リオが閉幕すれば、4年後は東京だ。すでに、2020東京オリンピック・パラリンピックに向けた大会組織委員会が立ち上がり、開催に向けて準備が始まっている。

労働界からも神津連合会長と岡田連合東京会長が大会組織委員会の顧問となっている。また、行政などとの事務局ベースでのやり取りも始まっている。

労働運動がオリンピック・パラリンピックにより深く関わるようになった契機は、2012年ロンドン大会だ。乱暴な言い方だが、それ以前の近年のオリンピックは、国威発揚や商業的成功をめざすイベントといった色合いが強かったと思う。

これに対し、ロンドン大会では、世界的スポーツイベントにとどまらず、それが開催される社会にとっても意味あるものでなければならないというスタンスに立った。市内の貧困地区をメイン会場とし、将来を展望した「人と環境にやさしい街づくり」を進めるとともに、会場建設・資材調達などにあたって良質な雇用の創出とディーセント・ワークの実現、労働安全対策の徹底などに取り組んだ。

さらに、ロンドン市だけでなく英国内1000カ所以上でさまざまな文化プログラムも行われた。まさに、未来を創造する人間の可能性を表現する社会的祭典として展開された。最近のテロ事件などを見るにつけ、そうした視点の重要さを再認識する。

労働組合ならではの観点から大会運営への参画を

2020年の東京大会は、1964年に続く2度めの開催となる。ロンドン大会の良い点に学びつつ、戦後復興・高度成長から成熟社会へと移行した日本がどのような社会づくりをめざしていくのか世界に発信していく必要がある。

大会のキーコンセプトとして、「働くことを軸とする安心社会」にもつながる、多様な人々の参加と、公正・連帯を求めたい。

連合は、大会組織委員会が発足した後、速やかに要請を行い、それをきっかけにステークホルダーの一つとして具体的な計画策定に関与することとなった。大会準備のための「持続可能性に配慮した運営計画」に人権・労働の視点が明確に盛り込まれたことは、こうした働きかけの結果である。

当面の具体的テーマは主に2つ。1つは、大会施設の建設や大会で使用する備品や食材・サービスなどの調達にあたって、法令遵守や環境の視点に加え、児童労働や人種・民族差別、組合つぶしなどを許さないルール設定、およびそうした指摘があった場合の公正で透明性の高い苦情処理の仕組みづくりである。

引き続き、大会組織委員会や行政の検討プロセスに参画し意見反映に努めていきたい。

もう1つは、大会ボランティアへの協力である。とりわけ、パラリンピックにおいては国民的関心度合いが相対的に低く、「連合の組織力を生かして支えてほしい」との期待が寄せられている。選手として出場する組合員もいるだろう。

今からパラリンピックへの関心を喚起するとともに、ボランティアの人材育成やボランティア休暇の創設・拡充など、政労使が協力して進めていく必要がある。

今を共に生きる者として一人ひとりが積極的に関わっていこう。まさにオリンピック・パラリンピックは「参加することに意義がある」のだから。

伊藤数子 いとう・かずこ

NPO法人STAND代表理事

新潟県出身。北陸を拠点に企画会社を運営していたとき、パラスポーツに出会い、NPO法人STANDを設立。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問、スポーツ庁スポーツ審議会委員を務める。

著書に『ようこそ、障害者スポーツへ─パラリンピックを目指すアスリートたち』など。

2005年設立。国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」の一環として、パラスポーツ事業を展開。大会のネット中継を行い、2010年にはパラスポーツサイト「挑戦者たち」(http://challengers.tv)を開設。東京パラリンピックに向けて、全国各地でパラスポーツ体験会を開催し、昨年から「ボランティアアカデミー」も開講中

仁平 章

連合総合企画局長

※こちらの記事は日本労働組合総連合会が企画・編集する「月刊連合 2016年8・9月合併号」に掲載された記事をWeb用に編集したものです。

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