薬害エイズ事件と映画『羅生門』:学生に何が出来るか考える

不適切な報道がされることもある。どうすれば真実を見極めることができるのだろうか。

薬害エイズ事件は、私の生まれる前の1980年代に起きた事件である。HIVに汚染された血液製剤が、医師の手により血友病患者の治療に利用され続けた。その結果、日本における全血友病患者の約4割にあたる1800人がHIVに感染し、600人以上が死亡してしまった。これが世間一般の認識ではないだろうか。

しかしながら先日、元厚生省生物製剤課長・郡司篤晃氏の著書「安全という幻想−エイズ騒動から学ぶ」が出版された。郡司氏は今年9月にご逝去されたが、「私の命も先が短くなったので、問題の全容について客観的にリビューが行われるきっかけづくりだけでもしたい。」と述べられている。著書は被害者とは異なる視点から書かれており、読んだ後に私の事件に対する認識は大きく変わっていた。私は、この事件はまるで黒澤明監督の名作「羅生門」のようだと感じた。

映画「羅生門」は、1950年に公開された黒澤明監督の名作で、日本映画初となるヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、アカデミー賞名誉賞を受賞した作品である。ある殺人事件における関係者等の食い違った証言が、それぞれの視点から描かれている。

ここで注目する登場人物は、盗賊・多襄丸、夫婦の武弘、真砂の3人である。ある日、武弘が死体となって発見され、盗賊の多襄丸が殺人の疑いで捕らえられた。しかし、事件に関する証言は3人それぞれ異なるものであった。

多襄丸は、「真砂を強姦した。その後、真砂が武弘か私のいずれかに添い遂げると言ったので、私は武弘を殺した。」という。

真砂は、「多襄丸は強姦後に去った。私は夫・武弘の蔑む目に耐えられず、武弘に自分を殺して欲しいと頼んだ。しかし私は気を失ってしまい、その間に武弘は自害していた。」という。

霊となった武弘は次のように証言した。「多襄丸に妻になれと口説かれた真砂は、快諾したうえで多襄丸に私を殺すよう命じた。結果的には、真砂は多襄丸から逃れた。そして1人残された私は自害した。」

三者三様の証言で真相は闇の中だ。

薬害エイズ事件においても同様に、被害者側と医師側の視点で見解は異なった。薬害エイズ事件の登場人物は、「血友病の権威・安部英医師、医師側の弁護士・弘中惇一郎氏」、「血液製剤を投与された被害者、被害者を代弁したメディア」、「当時の厚生省生物製剤課長・郡司医師」である。各々「羅生門」の多襄丸、真砂、武弘に相当する。弘中惇一郎氏は、薬害エイズ事件における安部英医師の一審無罪、ロス疑惑の銃撃事件で三浦和義の無罪を勝ち取るなどし、「無罪請負人」の異名も持つ弁護士である。

医師は厚生省と一緒になって血友病患者に危害を与えたと思われている。世間では血友病患者への血液製剤投与は、「毒と知りつつ投与」と報じられたが、弘中氏は著書で次のように述べている。「研究班で塩川医師が『血液製剤によるエイズなんてほっとけば収まる問題ではないか』との超楽観論を述べたので、安部医師が『自分は、臨床医として、使っている薬が毒かもしれないという危機感を抱きながらやらざるを得ないのだ。』とたしなめた(略)。」

1994年2月6日には、櫻井均氏、今井彰氏製作のNHKスペシャル「埋もれたエイズ報告」が放映され、同名の書物も出版された。そこでは、「生物製剤課の郡司課長は、これらの一連の動きの端緒となった6月2日の情報をエイズ研究班のメンバーに報告していなかった。」と述べられており、トラベノール社によるロットの回収に関し郡司氏が研究班会議に報告しなかったことにより、エイズ感染が拡大したと主張されている。一方で、郡司氏は次のように述べている。「私は何度も、いろいろなジャーナリストからも『回収があったことを研究班に報告したか』と聞かれたので、覚えていないと答えてきた。(略)NHKの櫻井均氏と今井彰氏は、私が覚えていないなら、『報告しなかった』ことにして話を作ってもいいだろうと思ったのだろう。私の記憶というきわめて不確かなことの上に『埋もれたエイズ報告』という『物語』を作ってしまった。」後に「埋もれたエイズ報告」は、東京地方裁判所で証拠として上映され、日本ジャーナリスト会議本賞を受賞した。しかし、1998年7月に第1回エイズ研究班会議の録音テープが発見され、郡司氏がロットの回収に関し研究班会議に報告していたことが判明している。

薬害エイズ事件のように、時として適切でない報道がされることもある。私たちはこのような時、どうすれば真実を見極めることができるのだろうか。

私は、「情報公開の徹底」と「自分の頭で考えること」が重要だと思う。

まず、「情報公開の徹底」に関してだが、薬害エイズ事件においては情報の不透明さが際立っていた。エイズ研究班は僅か10名程で構成されていた。そこで内密に話し合われた事柄が、一般の人々の耳に簡単に届いたはずがない。

また、厚生省は本来国民を守ってくれるものだと思われていたが、薬害エイズ事件という大事の時にその役割は全うされなかった。本件で安部医師が逮捕された1996年、日本において社会に対する不安はピークに達していた。官僚等の隠蔽も続々と明らかになり、人々の信頼が失われつつあった時期でもある。

そのような中、当時厚生大臣であった菅直人氏は、信頼を取り戻すべくメディアを利用しポピュリズムに乗じた。具体的には、テレビでいわゆる「郡司ファイル」を提示して、「こんな重要な書類が隠されていました」と謝罪することで、報道を見た人々の信頼を勝ち取った。後にこのファイルは事件とは無関係の「ゴミファイル」と判明したが、私自身その当時報道を受けていたとしても、真実を見極められたとは思えない。

薬害エイズ事件当時の人々の情報源は主にテレビ、ラジオ、新聞であり、自ら調べる環境は整っていなかった。しかし、私たちはネット世代である。テレビやラジオとは異なるインターネットの特性の一つに、国家等の制度から制約を受けにくい点がある。この性質のおかげで、私たちは多方面から自由に発信された情報を基に、自ら調べ議論することができる。

情報公開の必要性を感じた最近の事例としては、東京五輪エンブレム問題が記憶に新しい。選考委員の選出、エンブレムの審査や修正の過程など、選考過程の不透明さが指摘されている。薬害エイズ事件当時と比べ、問題が発覚してから一般の人々が情報を得るまでの時間は格段に短くなった。しかし残念なことに、関心はデザイナー個人の責任追及に集約してしまい、なぜ問題が起こったのか、責任はどこにあるのかという本質的な議論に発展しなかった。

それでは、公開された情報を基に「自分の頭で考える」ため、具体的にどうすればよいだろうか。

私は、一つの事柄に関し異なる見解の情報を幾つか得たうえで、独自の考えをもつことが重要だと思う。さらに身近な人と考えを共有し、お互いに意見し合うことができれば、考えは一層深まると思う。私自身、薬害エイズ事件に関し1冊の本を読んだだけでは、偏った考察をしていたに違いないと感じている。ジャーナリスト・櫻井よしこ氏の著書「安部先生、患者の命を蔑ろにしましたね」からは、安部氏の責任の重さや患者のために法廷で争う櫻井氏の想いが伝わってきた。弁護士・弘中惇一郎氏の著書「安部英医師『薬害エイズ』事件の真実」では、安部氏に関する数々の報道が如何に不当なものだったか検証されていた。

情報収集する過程では、先入観をもたずニュートラルな姿勢を心がけることが大事だと思う。一旦先入観を抱いてしまうと、無意識的にそれを補強する情報を集めてしまいかねないからだ。新聞に書いてあるから、偉い人の発言だから、皆が言っているからという理由で正しいとするのは不十分である。テレビや新聞のようなメディアから正しい情報を読みとるためには、日頃から各メディアの特性や報道の傾向を理解しておくことも不可欠だ。

本質が何なのか判断するために、私たちは自分の頭で考えることを一層意識していく必要があると思う。

(2015年11月9日発行「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)

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