「鏡に映る自分が嫌い」から「こんな自分も悪くない」へ-外見コンプレックス解消への挑戦

私は思春期の頃、自分の外見を気にし始めた頃から、自分の容姿が大嫌いだった。

医療問題ジャーナリストの熊田梨恵と申します。私は2015年、長男を出産後に「産後うつ」を経験し、初めてその苦しみと孤独を思い知りました。

仕事柄「産後うつ」という言葉は産婦人科医から聞いたことはありましたが、まさか自分がそうなるとは思いませんでしたし、妊娠中は誰からもそんな大変なことがあるとは聞かされませんでした。

私の場合は、産後うつや睡眠不足、片頭痛などから日常生活が送れなくなりました。そんな私がどうやって産後うつの苦しみと向き合い克服していったのか。このブログでは、産後うつ経験者として一つの体験談をお伝えしたいと思います。

前回までは、産後うつになる土台には両親の愛を求める子どもの頃の自分がいて、そのために恋愛依存・DVや摂食障害など数々の依存症が引き起こされ、死の淵に立ったという話を書きました(過去記事のリンクは下)。

そしてようやく回復の途上に立ち、今回は長年の課題だった外見コンプレックスの解消の話です。

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自分の過去の傷を癒していくことと並行して、私は自分の外見に対するコンプレックスの解消にも挑戦した。

私は思春期の頃、自分の外見を気にし始めた頃から、自分の容姿が大嫌いだった。

自分は誰からも愛される価値がないと思い込んでいたので、自分がひどく不細工だと思っていて、鏡を見るのも嫌だった。

目が悪くて眼鏡をかけているのも、一重の切れ長の目も、ほっとくとダサく曲がるクセ毛も、すごく嫌だった。

中高生の頃、クラスに一人か二人はすごく可愛い子がいた。女子からも男子からも好かれ、先生からも気に入られるような、華やかな雰囲気を持つ子たち。そういう子たちがすごく羨ましかったし、憧れた。

あんな風に可愛くて、人目を惹く容姿があれば。

あんな風に自信を持って大きな声で話せたら。

「〇〇君が好き」なんて話をちょっと恥ずかしそうにしながら楽しくできたら。

でも自分はどうしたってそんな風になれるタイプではなかったし、図書室で三島や太宰でも読んでる方が楽しかった。

運動部に所属していたのも、結局そのスポーツをしていた父親に気に入られたかったからであって、本心からそれがやりたかったわけではなかった(大切な友人ができたので、クラブ活動自体は楽しかった)。

それに、まずはいい成績をとって親に認めてもらうことの方が大事だったから、そういう華やかさを自分が持つことはあきらめていた。

高校に入ってコンタクトレンズに変えたり、大学に入ってストレートパーマを当てたり、化粧をしたり、雑誌の真似をして洋服を選んだりするようになっても、自分自身が変わっていなかったので、相変わらず容姿に自信がないままだった。

就職して東京に出てからは、道行く人たちが皆雑誌から抜け出たようにお洒落で、華やかで、女性はいい匂いがしたりするし、男性も清潔感があってこざっぱりしたりしていて、ますます自分が恥ずかしくなった。

こんなみっともない見た目と格好で、「こいつダッセー」と思われてないかな、といつも下を向いて歩いていた。

今になって思えば、東京にいる誰もがそんなにお洒落をしているわけでもないし、見た目に気を使わない人たちもたくさんいる。しかし、当時の自分には、自分以外の全ての人がお洒落で、素敵で、華やかで、美しく、カッコよく、こんなにみっともないのは自分だけだと思い込んでいたのだ(摂食障害もあったので、なおさらむくんだ顔の自分はブスだと思っていた)。

だから百貨店の洋服屋などは店員から「ダサいのが来た」と思われるのではないかと、怖くてなかなか一人では入れなかった。

今となってはこの頃にどこで洋服を買っていたのか思い出せない。たまに残っている写真を見ると、いつも私は黒か灰色の洋服を着ていた。

ある時期に付き合っていた男性がお洒落な人で、私は彼の言うままに洋服を買って着ていた。確かになんとなくお洒落に見えたような気もしたし、自分で考えて決めなくていいから楽だった。何より鏡に映った自分を「似合ってる」などと誉めてもらえるのが嬉しかった。

しかし、自分を好きになりたいと思い始めてからは、これではいけないと思った。

これまであきらめずに頑張ってきた自分を好きになるには、自分の見た目だって好きになりたい。

今のままではなく、今の自分をより生かせるようなお洒落や、お化粧や、振る舞いができるようになりたい。

そう思って、最初は勇気を出して百貨店の洋服屋に行ったり、化粧品カウンターに行ったりしたが、そこのブランドのものを売られるだけで、本当に自分に合っているのかがよく分からなかった。結局彼彼女たちは、似合うものを見立てるというより、客を商品に似合わせて売るプロなのだということが分かってきた。そこからお給料をもらっているのだから当然なのだが。

商品が主体になるのではなく、自分自身を主体として似合うものを見つけてくれるプロはいないのか、と探しまくった。

自分に似合う洋服や色の選び方のノウハウ本もたくさん読んだ。その中で、本人とその人生に視点を合わせて似合う洋服、色、素材などについて書いてある本を見つけた。大事なのは本人がどう生きてきて、これからどう生きていきたいかであり、似合う洋服や色はそのツールであるということが伝わってきた。自分自身を生きることの大切さが書いてあり、ただのお洒落のノウハウ本ではなかった。

私はこの人だ、と思って本に書いてあった著者の女性のメールアドレスに連絡し、個人コンサルタントをお願いした。

そして彼女に、私に似合う色や素材、形などを診断してもらい、実際に洋服の買物にも同行してもらった。

初めて買い物に同行してもらった日のことをよく覚えているが、冗談ではなく、魔法をかけられたようだった。

今までの私であれば決して手に取らない、鮮やかな赤や黄色、ピンクや緑、大きな花柄などの色物。

怖くて決して手を出せなかった、流行の形のパンツやスカート。可愛いバッグや靴、アクセサリー。

それらが様々な店で次々と選ばれ、私は目が白黒した。

今まで灰色や黒ばかり着ていたのに、こんなに鮮やかで華やかなものが、私に似合うのかと。

戸惑っていたら「本気で変わりたいの?」と問われ、向き直って「はい」と答えた私は、彼女の選んだものをすべて買った。

鏡の中には、生まれ変わったような自分がいた。

鮮やかで華やかな色、流行の形を着ているのに、しっくりと私に馴染んでいる。何より、とてもお洒落だった。びっくりするほど、お洒落だった。それなのに、無理して頑張っている感じは微塵もなく、自然だった。

どうしてこんな風に選べるのだろう、と思った。

彼女は、私の顔の骨格、目の色、唇の色、頬の色、額の色、耳目鼻口などの各パーツ、髪型、首の長さ、胴の厚み、胸の形、脚や腰の形と長さ、トータルのバランスなど、私の体のあらゆる部分のすべてを客観的に見て、何が似合うのかを冷静に分析して、商品を選んでいた。そして私が今人生のどういう時期にいて、これからどうしたいのかも考慮して。

ちょっと顔の骨格が違ったら、彼女はまた違うアクセサリーを選んだだろうし、頬の色が違ったら、別の色の洋服を選んだだろう。私の身長が低かったら、違う靴を選んだだろう。

何一つ、「流行っているから」「この商品の色が可愛いから」などといったものはなかった。

徹底して、私を中心に選ばれたものばかりだった。

彼女は、私しか見ていなかった。

私は自分が恥ずかしくなった。

私は今まで自分の何を見ていたんだろう。

いや、全く見ていなかったのだ。自分の体も、顔すらも。

20代後半の今まで、これだけ長く自分の体と付き合っていたくせに、会って数回のこの女性の方がよっぽど客観的に私を見ていた。

私は改めて、自分がどれほど自分を蔑ろにしてきたを思い知った。

それから、私は彼女の講義を聞いたり、何度も買い物に同行してもらって、自分に似合うものとはどういうものかを知り、選び方や考え方、その他色々なことを学んだ。

私は自分をもっと知り、もっと好きになるために、自分で買い物に行ったり、雑誌を見たり、苦手だったハイソな洋服屋にも入ってみるようにして、とにかく目を養おうと思った。

最初は慣れないお洒落にぎこちなかったが、だんだんと「こんな私もなかなかいいじゃないか」「今日の私いい感じだ」と思えるようになってきた。

そのうちに人から「お洒落だね」と言われるようになることが出てきて、「美人だね」と言われることまであった。

言われる内容や回数は、自分の自分に対する肯定度合いに比例していたと思う。

他人は自分の鏡なのだと、ここでも私は思い知った。

化粧も、一般の女性向けにメイクの技術を教えているところを見つけた。

メイク教室というと、プロ向けのものか、化粧品ブランドの宣伝のものが多い中で、そこは一般女性向けに開催していて、本人に合わせて似合う方法を教えてくれていた。

元々持っている雰囲気や顔のつくり、性格などによってメイク方法は変わった。

確かに人の顔は100人いれば100人違うのだから、雑誌に書いてあるメイク方法が自分にも当てはまるとは限らない。「流行の色」だから自分に似合うわけでもない。

そのメイク教室も、大事にしているのは本人の生き方、人生に対する向き合い方だった。

どんなことでも、突き詰めていくとそうなんだ、と思った。自分自身がどうしたいのか、どう生きたいのか、そういう自分はどういう人間であるのか。

そのために大事なのは、自分がしっかりと自分を見つめ、受け入れていること。肯定していること。

それさえあれば、洋服やメイクはおのずと決まり、自分を助けさえしてくれる。

私はこの頃になって初めて、似合う洋服や色に助けられる、メイクに助けられる、という感覚を知った。

ちょっと疲れている時や元気が出ない時、少し似合う色を取り入れるだけで外に出てみようかと思えたり、仕事に向かうやる気が湧いたりする。メイクをして笑顔になれたりする。

今まで洋服は「着なければいけないもの」、メイクは「しなければいけないもの」で、楽しさなんて一つもなかったが、ようやく楽しいと思えることが増えてきた。

こうして私は、自分を受け入れ、認めていく過程の中で色や洋服、メイク、お洒落に助けられ、これらを生きていく自分のツールとして使えるようになってきた。

ちなみに今、自分の容姿が好きかと問われたら何と答えるだろうと思うと、「普通に好き」だと思う。ちょっと頑張ってお洒落した時は「よし頑張ったぞ」と思えるし、気の抜けた格好をしている時は「まあこんなもんだ」と思う。少なくとも、以前のように「大嫌い」ではない。

そう思えるぐらいに努力した自分のことは、好きだと思っている。

(2017年5月26日「ロハス・メディカルブログ」より転載)

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