彼が亡くなって2年。また、彼のいない夏が来る。

一橋大学の法科大学院(ロースクール)で学んでいた男子学生がキャンパス内で転落死した日からもうすぐ2年になる。

一橋大学の法科大学院(ロースクール)で学んでいた男子学生がキャンパス内で転落死した日からもうすぐ2年になる。

そして、「ゲイであるということをアウティング(本人の了解を得ず、公にしていない性的指向や性自認を暴露すること)された」「大学に相談していたのに適切な対応がなされていなかった」という情報と共に、彼の死が報道されてから1年が過ぎた。

昨年の夏、彼が亡くなったという報道を知って私は自分の気持ちをブログにまとめた。

どう言葉に表して良いのかわからず、苦しみながら書いた文章だったけれど、どうしてもその当時の気持ちを残したかったし、彼の事件を一人のでも多くの人に知り、考えて欲しいと思って綴った。

上記のブログでも綴ったが、大変残念なことながら、これは決して特別な事例ではない、という事だ。

言い換えれば、日本のどこにでも起こりうるし、実際に、日本のどこでも起きている事例だ。

彼は大変幸運にも(亡くなっている彼に幸運なんて言葉が適切だとは到底思えないが)、彼の死後ご遺族が彼の苦しみに気づき、弁護士に相談して裁判を起こしている。

裁判を起こされているご遺族の思いは以下

ただ、残念なことに、彼のように素晴らしい家族に恵まれる人が少ないように思えてしまう。

LGBT当事者のコミュニティの中で、LGBT当事者が自殺した話は聞かない話ではない。

「学校や会社に馴染めなかった」「家庭トラブルがあった」とかいう理由で受理される自殺のうちの何人かが、「家族や周りの人にLGBT当事者である自分を受け入れられなかった」という本当の理由を隠して死んでいったことを、残念ながら私は知ってしまっている。

今年2017年5月5日。

TOKYO RAINBOW WEEKの期間中に開催された、明治大学駿河台校舎での「一橋大学アウティング事件 裁判経過の報告と共に考える集い」

私はどうしてもこの集いに参加したくて知人と共に上京した。

集いの開始時刻より前に会場に着いたにもかかわらず、200人入るという明治大学の大きな講義室は既に満席になっていた。

しかも、立ち見をする人で講義室内の通路も満員、講義室に入りきらず廊下から音漏れ参加のような方も何十人も。

主催者が300部用意したという資料もすぐになくなってしまっていた。

会場で以前からの知り合いに何人か会った。しかし、誰もが皆これまで見たことがないほどの真剣な表情だった。

弁護士の方の報告やご遺族からのメッセージを聞いて、会場の至る所からすすり泣く声が聞こえた。

私も涙が出ないほど深い悲しみに包まれていたし、報告集会が終わってから少しの間呆然と立ち尽くしてしまった。

自分の悲しみを言葉に言い表せず、ただただ立ち尽くしていた。

この集いに参加して私が強く抱いた感想は以下だ。

・集いにこれだけ多くの人が全国から集まり、注目しているという点については、少し明るい未来を感じた。

・参加できて本当に良かった。

・事件や裁判の詳細について知れば知るほど、亡くなった彼やご遺族への一橋大学側の対応・裁判での答弁が、本当に酷くて、どう言葉に表したら良いのか分からないほど深い悲しみと怒りを感じた。

日本のロースクールの中で司法試験合格率トップである一橋大学が、アウティング(本人の了解を得ず、公にしていない性的指向や性自認を暴露すること)の危険性について全く認識していない、学校としての責任を認めていない、という点が大変悔しく、悲しい事件だと思った。

・こんな大学の法科大学院で学んだ人が法曹となり、今後の日本の裁判に関わっていくと考えると、とても不安に感じると思った。

また、この集いをきっかけに「一橋大学の(亡くなった彼とは)別キャンパスで学ぶ学生」や「(亡くなった彼と)同キャンパスの別学部で学ぶ学生」と知り合うことができ、集いのあとにこの事件について話を聞くことができた。

彼らは、

「報道があるまで同じ大学・キャンパスなのに知らなかった

「この事件を隠蔽するような大学で学んでいるなんて、とても恥ずかしい

「一橋大学に憧れて入学したのに、この事件への対応を知って大学のことが嫌いになってしまった

と、とても悲しそうに、そして言葉を絞り出すように私に語ってくれた。

彼が亡くなってから2年。

そして、彼の死が報道されてから1年。

私には何が出来ただろう。

一人でも、誰かの命を守れただろうか。

一人でも、誰かが死に向かう前に止める助けが出来ただろうか。

彼が亡くなってからのこの2年で、私は高校生から大学生になった。

高校生の頃抱いていた、「大学生になったら今よりずっと生きやすくなるだろう!」「自分のセクシュアリティをオープンにして生きてゆけるだろう!」という私の無責任な希望は、ほんの少し叶って、でも、少しと言えないくらい叶わなかった。

私は今でもカミングアウトできずに大学に通い、友人たちが「同性愛とかありえないよね~」「え?ホモなの!?きもい!」と笑う度にどんなリアクションをしていいかわからず、友人たちから目をそらして一人心の中で涙を流すことしか出来ない日々だ。

8月24日で、彼が亡くなってから2年。

彼が亡くなった事件に対して、「"ゲイである"という彼が悪い」という扱いをした人たちが、今日も日本のどこかで司法に関わっている。

そう思うと、いつもより空が暗くどんよりとしたように見えてくる。