特定秘密保護法は医の倫理と正面衝突

多くの国民から不安視されながら昨年12月6日に強行採決で成立した特定秘密保護法。色々と心配なことはあるにしても医療と関係する話ではない、と思っている方も多いかもしれません。しかし、施行されれば極めて深刻な問題をひき起こす可能性があります。

■本人の同意なしに患者情報を知らせるのか?

多くの国民から不安視されながら昨年12月6日に強行採決で成立した特定秘密保護法。色々と心配なことはあるにしても医療と関係する話ではない、と思っている方も多いかもしれません。しかし、施行されれば極めて深刻な問題をひき起こす可能性があります。

特定秘密保護法の「国家秘密」に関しても論じたいことは多々あるのですが、その問題点は様々なメディアで報じられていますので、「患者と医療従事者を繋ぐ」メディアである弊誌では、あえて扱わないこととします。今回指摘したいのは「個人の秘密」や「医師・患者間の信頼関係」が危うくなるということです。

この影響を与えそうなのが、同法12条(条文は下)に定められた適性評価です。

主に「薬物の濫用及び影響に関する事項」「精神疾患に関する事項」を調査する際、医療機関に対して照会が行われます。政府は、国会審議で、医療機関には回答義務があるとの見解を示しています。

患者本人から医療機関に対して照会に応じるよう要請があれば問題はないのですが、要請がない場合、医療機関が患者に対して負っている守秘義務と、どちらを優先するのかという問題が発生します。

いやいや条文「3」には、「本人の同意を得て」と書いてあるじゃないか、同意なしに照会なんかされないよ、と思っている方もいるでしょうか。あるいは、どうせ公務員の話でしょ、と思っている方もいるかもしれません。

ところが、です。

参院の特別委員会で強行採決が行われた当日の12月5日、社民党の福島みずほ参議院議員に対して内閣官房作成の「特別秘密の保護に関する法律案【逐条解説】」なる文書が開示されたそうです。

福島議員の同日付ブログで公開されているその文書を見ると、適性評価に関する調査権限について解説した部分(下写真、条文では4となっている項目が「5」となっていますが、前後の解釈と照合すると12条「4」の解釈に間違いありません)に、ビックリすることが書いてあります。

「評価対象者本人が提供する個人情報が正確かつ必要十分とは限らないこと、情報を行政機関の長が適正に評価するためには、医者等の専門家の所見を必要とする場合も想定されることから(中略)運用上の措置として(中略)照会し報告を求めるに当たり評価対象者本人の同意を得る方法と行政機関の長が公務所又は公私の団体に照会し報告を求めることができる旨を本法に規定し、根拠を明確化する方法の2つの方法が考えられるが、相手方の理解及び協力を得られる制度とする必要があることを考慮し、後者の方法によることとする」だそうです。

本人の同意を得る方法ではない運用をする、とハッキリ書いてあるわけです。念のためですが、特定秘密に触れる可能性があれば、照会対象は公務員に限られません。隠居生活でもしているのでない限り、照会対象にならない保証はなく、自分の情報が照会されているのを知らないことだって考えられるのです。

政府は、保険者に対して受診医療機関を照会することもできるそうです。つまり本人が知らせたくないと思っている受診行動であっても、健康保険証を使う限りは捕捉されてしまい、照会される可能性があります。照会されたくなかったら、自費診療にするしかないということになります。一体どこの国の話でしょうか。

■それは合法なのか

逐条解説がもっと早く開示されていれば、照会に本人の同意を義務づけるような修正ができていたかもしれないと残念ですが、このまま法が施行されると、本人の同意のない状態で医療機関は情報照会に応じるのかという問題が発生しそうなこと、ご理解いただけたと思います。

法で決まっていることなんだから、医療機関側は答えるしかないじゃない、と考えるのが一般的なところかもしれません。しかし、条文に医療機関の回答義務が明記されておらず、他の法律への違反を免責されるとも書いていないことに注目してください。義務と思い込んで回答すると、場合によっては違法行為になる可能性があります。

というのも、「(弁護士会は弁護士の申し出に応じて)公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる」(弁護士法23条の2)という法に基づいて弁護士会から照会を受けて回答した京都市の区長が、違法な公権力を行使したとして損害賠償を命じられたという最高裁判例があるからです(コラム参照)。

弁護士会前科照会訴訟

自動車教習所の技能指導員をしていた原告が解雇され、地位保全を求めて京都地方裁判所と中央労働委員会で争っていました。教習所の代理人だった弁護士が原告の前科と犯罪歴について「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」とだけ記載して弁護士法に基づく照会を申し出、弁護士会が区役所に対して照会し報告を求めました。これに対して区長は原告の前科を回答しました。弁護士を通して事実を知った教習所は、原告が前科を秘匿して入社した経歴詐称を理由に予備的解雇を通告、また教習所幹部らが中央労働委員会や京都地裁の構内などで、大勢の人に対して原告の前科を言いふらしました。

これについて原告が区長に対して損害賠償を求めて訴えました。二審・大阪高裁は、区長に照会に応じて報告をする義務はあるけれど、前科等の公表は慎重に取り扱われなければならず、犯罪人名簿を一般的な身元証明や照会等に応じて回答するため使用するのは違法であるとして、原告の請求を一部認めました。区長は上告しましたが、最高裁でも、この判断は変わりませんでした。

この時は弁護士法に従ったけれど、その結果、守秘義務違反になった、と判断されたのです。特定秘密保護法についても、憲法や他の法律との関係を裁判で争った場合、どういう判断がくだされるのか、まだ分かりません。

ただし、『医療崩壊』の著者である小松秀樹・亀田総合病院副院長は、医療ガバナンス学会発行のメールマガジンの中で以下のように指摘しています。

「司法はどのように関与できるでしょうか。医師が回答を拒否した場合、罰則があれば、司法に持ち込まれる契機になりますが、罰則はついていません。あいまいな強制力で争点を生じさせないようにすれば、司法の場に持ち込まれにくくなります。(編集部補筆・一方で医師が回答に応じた場合、)適性評価の対象となっている個人が、医師や医療機関を訴えることは考えられません。勝訴することが、本人のメリットにつながらないからです。三権分立は権力の暴走を防ぐための仕組みであり、健全な国家運営に必要なものです。照会・回答は、人権に関わる問題であり、司法による判断が重要な領域です。司法をできるだけ排除しようという意図があるとすれば、危険だと言わざるをえません」

適性評価が違法な公権力行使となっていないか、裁判で争われづらい構造になっているというのです。困ったものです。

■まさに悪法問題

問題はこれだけに留まりません。万が一、医療機関への回答義務づけが合法だとしても、医師や医療機関には、別に考えなければならないことがあります。

以前、ロハスメディカル叢書05『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識』(平岡諦著)のエッセンスとして、世界標準の医療倫理をご紹介したことがあります。

医師が最優先すべきは患者の人権であって法の要請ではない、法が患者の人権を脅かす恐れのある時は従ってはいけないというものです(悪法問題)。つまり、今回の場合も本人の同意がない限り、医師は照会に応じてはいけないということになります。

ちなみに個人の自由を制限できるのは、別の個人の自由と衝突した場合だけだというのが、近代以後の世界的合意です。ですから、そもそも国民主権の国で法が市民の人権を脅かすような事態は想定されづらいのですが、全体主義的な国では、国家を市民より上位に置くため、法が市民の人権を脅かす事態が起こってきます。

小松氏は前出メールマガジンの中で「第二次大戦後、医療倫理についてさまざまな議論が積み重ねられ、医療における正しさを、国家が決めるべきでないという合意が世界に広まりました。国家に脅迫されても患者を害するなというのが、ニュルンベルグ綱領やジュネーブ宣言の命ずるところです。これは行政上の常識にもなっているはずです。ナチス・ドイツでは、国の暴走に医師が加わることで、犠牲者数が膨大になりました。医療における正しさの判断を、国ではなく、個々の医師に委ねなければ、悲劇の再発は防げません。これは日本の医師の間でも広く認識されています。(中略)ジュネーブ宣言は、世界医師会の医の倫理に関する規定です。臨床試験についての規範を定めたヘルシンキ宣言などとともに、日本を含む多くの国で、実質的に国内法の上位規範として機能しています。ジュネーブ宣言は、医師に徹底して患者の側に立つことを求めます」と書いています。

■日医はどうする?

ここまで大仰なことを書かずとも、イザとなったら秘密を明かされてしまうかもしれない医師に対して患者がどこまで心を開けるのか、信頼関係が成立するのかということだけ考えても、医師が本人の同意なしに照会に答えるのは、現代医療の前提を根底から引っくり返すことになると、ご理解いただけることでしょう。

実際、国会で医療機関に照会への回答義務があるとの政府見解が示された直後には、医師たちの間でかなり話題になり、「そんなバカな」という反応が多くを占めました。

ただし、ではイザという時は医師が防波堤になって回答を拒否してくれるのだな、と安心するのは早いです。医師たちも、法施行後にどういうことが起きるのか、まだよく分かっていないからです。

現実問題として、医師の側も、個人で責任を取らなければいけないとなると、「義務だ」とされているものを拒否するのには相当の勇気が要ります。拒み切れず回答してしまう医師も出てくることでしょう。そして1人でも回答する医師が出てくれば、患者の側は、目の前の医師が絶対にそうではないと信じることができにくくなります。信頼関係の崩壊です。

信頼関係を壊すことのないよう、医師が防波堤の役割を果たすには、医師団体が何らかの見解を出し、その見解に対して全医師に従うよう明言する必要があるでしょう。

しかし残念なことに、これも『医師が「患者の人権~』の主要テーマでしたが、我が国最大の医師団体である日本医師会(日医)が、世界標準の医療倫理に沿って行動するつもりがあるのか、今ひとつハッキリしないのです。この表現は日医に甘過ぎるかもしれず、戦時中に中国で人体実験を行った(人権侵害した)ことが明らかになっている731部隊に関する総括と責任追及をしないうちは、世界標準に沿って行動するつもりがないとみなされても仕方ない、というのが著者の見解でした。

法施行まで1年を切っています。日医をはじめとする医師の団体には、この問題に対して早く見解を明らかにし、患者と医療従事者との間の信頼関係が損なわれることのないような行動を求めたいところです。

(2014年2月号「ロハス・メディカル」紙面より転載)

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