豊かさって、カネを使うことなの?

こんな世の中で、以前のような豊かさを取り戻すことは不可能ではないか。ぼくらの前には絶望しかないのではないか......。暗澹たる気持ちにとらわれている人が少なくない。
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オトナたちが、自信を失っている。

かつての日本にはモノがあふれ、カネを湯水のように使うことができた。消費を愉しむことができた。しかし最近ではGDPは右肩下がりで、少子高齢化が進行中。景気は上向きそうにない。こんな世の中で、以前のような豊かさを取り戻すことは不可能ではないか。ぼくらの前には絶望しかないのではないか......。暗澹たる気持ちにとらわれている人が少なくない。

ぼくたちはどうして消費に冷めてしまったのだろう(あるいは、なぜあんなに消費が楽しかったのだろう)

絶望に打ちひしがれる前に、まずは「なぜ消費を愉しむことができたのか?」という疑問について考えてみよう。

いまの私たちは、どこかの企業に入社して、与えられた作業をこなして、それでお給料をもらうことを「当たり前」だと考えている。

しかし、昔は違った。

たとえば縄文時代の人々は、自給自足の生活を送っていた。そして生産物のうち余剰な部分を、ほかの村との物々交換に充てていた。貨幣が発明される以前から、長距離の交易があったことも分かっている。

その後、国家が成立すると、その強い信用力を背景に通貨制度が発達していく。日本ではコメが通貨として扱われる場合も少なくなかったようだ。いずれにせよ、江戸時代までは大半の人々は農作業に従事していた。まずは自分の食べるぶんを生産し、余剰な作物を売ることで現金収入を得ていた。貨幣経済が発達していたとはいえ、「会社で働いてお給料をもらう」という現在の生活スタイルとはかけ離れていた。

産業革命が、すべてを変えた。

1779年、イギリスで"ミュール式紡績機"が発明される。糸の生産を自動化したこの装置により、史上初めて"単純作業をするだけの労働者"が登場した。食べ物を生産するわけでも、職人として特殊技能を身につけているわけでもない。そういう人でも"給料"を得てメシを食えるようになった。

乱暴な言い方をすれば、以後200年は"単純作業をするだけの労働者"が増え続けるだけだった。作業の内容は多様化し、一見すると単純には見えないものも含まれるようになった。人はモノを食わずには生きていけない。にもかかわらず、第一次産業従事者はごくわずかになった。食糧の生産効率は際限なく向上しつづけ、国民の大多数が二次、三次産業で生きていけるようになった。「資本家」と「労働者」という階層が生まれ、反目しながら共生を始めた。

各国の経済は大規模化の一途をたどった。そして国際的な分業が始まる。たとえば日本は自動車をはじめとした工業が強く、フランスは農産物が強く、それらを柱とした関連業種の企業が次々に生まれた。それぞれの企業は、各国の産業構造のなかで生き残る場所を見つけるようになった。

とくに第二次大戦後は、カネを分配する仕組みが整備されていった。ソ連の共産主義とアメリカの資本主義の"どちらがより人にやさしいか"を競争した結果だ。「企業に入社すれば当たり前にお給料をもらえる」という社会が整備されていった。スーツを着て、企業から与えられた作業をこなせば、それだけでカネが入ってくる。終身雇用と年功序列に身をゆだねることができる。だから人々は安心して消費を愉しむことができた。

20世紀後半、ジェット旅客機が世界をつなげた。

20世紀末、IT技術の発展にともない、あらゆる単純作業の機械化が始まった。

21世紀、高速回線のインターネットによって国境がなくなった。

グローバル化はあらゆる国の産業構造を変えた。IT化はあらゆる作業を機械へと置き換え可能にした。IT化の以前は、どんなに単純な足し算・引き算だろうと人間がやったほうが早かった。グローバル化の以前は、地球の裏側の工場の製造現場を視察することは不可能だった。

けれど、すべて変わった。

Excelがあれば、そろばんを弾く人間はいらない。ロボットがあれば、ライン工はいらない。地球上のどこにでも工場を作れるのなら、もっともコストの低い場所に作ればいい。

すべては変わってしまったのだ。

かつて各企業は「産業構造」という仕組みの中に組み込まれ、各個人は「企業」という仕組みの中に組み込まれ、何もしなくても労働者のふところにカネが入るシステムになっていた。自分とセカイとの関係を再考しなくても、とりあえずお給料が振り込まれていた。それを消費に回すことができた。右から左へとカネを流していた。

しかし産業構造が変わり、企業が変わり、カネの入ってくるシステムそのものが変わってしまった。ならば、今までどおり消費にいそしめるワケがない。そもそも「消費を愉しむこと=豊かさの証し」という考え方をすること自体、貧困な発想だと言わざるをえない。

豊かさって、カネを使うことなの?

違うだろ。

カネを稼ぐことだろ。新しい"価値"を生み出すことだろ。

まだ見たこともない"なにか"で、この世界を充たしていくことだろ。

だから私たちは、もっと生産しよう。生産物をもっと取引しよう。カネとモノを交換しよう。

カネとカネとの交換はなにも生み出さないし、モノとモノの交換では非効率すぎる。

カネとモノを循環させることだけが、この世界を豊かにする。

日本は少子高齢化が進行中で、年金や社会保障制度の不安から、人々の消費性向は低空飛行を続けている。GDPは右肩下がりで、かつての豊かさを取り戻せそうにない。そりゃそうだ、時間は戻らない。過去を取り戻せるわけがない。わっかんねーかな。かつての豊かさに固執するのではなくて、新しい豊かさを作らなくちゃいけねーんだっつの。

たとえば企業の中で生きる人には、できることが2つある:

1つは、徹底的に仕事を効率化することだ。作業を減らし、工数を減らし、仕事を減らし続けることだ。効率化によってモノやサービスの価格を下げ、さらに自分自身の余暇の時間を生み出せる。時はカネなり。

もう1つは、企業を利用することだ。個人よりもはるかに巨大な信用力と開発力を持っている"企業"というシステムを最大限に利用して、いままで見たこともないようなモノを創ることだ。WiiもKinectもiPadも、個人の力ではとても開発できない。産業構造が変わり、企業の体質が変わったと言っても、企業の役割が終わったわけではない。

そして企業の外にも、生きる場所を見つけるべきだ。

副業を作り、収入元を複数持つべきだ。自分の生まれ持った能力をすべて活用して、収入の最大化を図るべきだ。あなたの企業の人事部は、あなたの能力を理解しきれない。生産物の発表がこんなに簡単になった時代、モノの売買がこんなにも簡単になった時代、企業のなかだけで一生を終えるなんてバカげている。

いま"消費の時代"は終わりつつあり、"生産の時代"に突入している。人々の余暇から消費に充てられる時間は減りつづけ、生産的な活動に代替されつつある。

ニコニコ動画やPixivは、象徴的な例だろう。

ある人は、ニコニコ動画を見て「生産的とは呼べない」と言う。消費の形態が変わっただけだ、と。あくまでもニコニコ動画というサービスを消費しているだけだ、と。

なるほど。たとえばあなたが数万年前の人だとしよう。土鍋が発明されたばかりの時代の人だとしよう。現代の居酒屋に入ったあなたは、きっとこう言うに違いない:「鍋の消費の形態は変わった」

インターネットは単なるサービスではないし、ただの消費財でもない。さらなる生産活動を可能にする"道具"だ。私たちは誰かの作ったモノを消費しながら、新たなモノを創っている。ネット上のサービスも例外ではない。もしもニコニコ動画やPixivが無くなったとしても、新しい別のサービスが代替を果たすだろう。

私たちの世界は広がった。自分の制作物を発表できるだけではない。ジンバブエからモノを買い、サンフランシスコに制作物を売る。そんな取引も不可能ではなくなった。あなたがパリとクアラルンプールとの取引を仲介することだって理屈の上では可能だ。あまりにも急激に広くなったから、躊躇する人が少なくないのだ。

こうした取引は少額でも構わない。ここで、ちょっとしたおとぎ話をしよう:もしも日本人全員の所得がこういう"副業的な収入"によって1万円ずつ増えたらどうなるだろうか。10,000円×1億2700万人=1兆2700万円。なんと1兆円以上もGDPが跳ね上がる。たった1万円で、だ。

もちろんこれはただの喩え話だし、試算でもなんでもない。しかし大事なポイントは、とにかく私たち一人ひとりがカネを稼ごうとすれば、世の中全体が豊かになるということ。これにつきる。

だからこそ私たちは企業から与えられた仕事のほかにも"生産的な活動"をするべきだし、それをカネに変える努力を――取引を――するべきだ。もちろんサービス残業のような「カネにならない仕事」は唾棄すべきだ。

生産的な活動を拡充するには、仕事の効率化によって余暇の時間を増やさなければならない。これは終身雇用も年功序列もなくなった時代に「できるだけ食いっぱぐれないようにする」という個々人の生存戦略にも一致する。

そして、もしも運よく企業の開発力・資金力を使ってモノづくりのできる立場になれたなら、最大限にその幸運を活かすべきだろう。

おもしろき こともなき世をおもしろく

すみなすものは 心なりけり

一人のちからは、あまりにも弱い。

しかし一人ひとりが変われば、世界は変わる。

※参考

"消費の時代"から"生産の時代"へ

Foxconn、作業員をロボットで置き換えか

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