「ふつうの人には夢なんて無いんだよ」

彼女の言葉に、私は絶句した。もう一人が「そうだよね」と相づちを打つ。学生時代の友人と三人で、新宿でランチを食べていた。彼女は念を押すように、口のなかで繰り返した。「ふつうの人には、夢なんて無いんだよ」

彼女の言葉に、私は絶句した。もう一人が「そうだよね」と相づちを打つ。学生時代の友人と三人で、新宿でランチを食べていた。彼女は念を押すように、口のなかで繰り返した。

「ふつうの人には、夢なんて無いんだよ」

彼女は独立してコンサル業を営んでいるし、もう一人は金融業界で活躍している。どちらも結婚していて、私の目にはすべてが順風満帆、夢を実現した「勝ち組」に見える。そんな彼女たちの口から「ふつうの人には夢がない」という言葉を聞くなんて、思いもよらなかった。

――あなたの夢はなんですか?

そう問われて、即答できる人は少ない。

私たちの多くは自分の夢が分からないまま生きている。およそ3万日の人生を何についやせばいいのか、決断できないまま一生を終える。それは彼女たちとて同じだ。夢のない「ふつうの人」として、目の前の課題や仕事を必死でこなしてきた。その結果、人から羨まれるような生き方を、運よく手に入れた。ゴールの見えない坂道を走り続けただけなのだ。

しかし大人たちは「夢を持ちなさい」という。

私たちは無神経にも、若年者に対して「夢を追いかけなさい」と言ってしまう。

他人と同じことをしていても、もう豊かな将来は望めません。学校の授業だけでは、これからの時代は生き抜けません。人とは違うことをしなさい、奇人変人と笑われたって構いません......。

もはや反論の余地のない主張だ。が、続いてもう一言つけ加えてしまう。

だから自分の「夢」を追いかけなさい......。

いじめがなくても学校からもう逃げ出した方がいい

夢を持つことができるのは、先見の明がある人だけだ。本当にかしこい人だけだ。圧倒的多数の「ふつうの人」は、夢を持つことができない。自分の"やりたいこと"を見つけるのは、そんなに簡単ではないからだ。

ためしに「夢を持ちなさい」と言った人々の顔を思い浮かべてみるといい。両親、学校の先生、親戚縁者、社会科見学で出会った大人たち......。彼らははたして夢を叶えていたのだろうか。

四十にして迷わず、五十にして天命を知るという。が、現実の大人たちはどうだ。日経新聞や週刊ダイヤモンドの壮年者向けの記事を見てみろ。定年後を豊かに暮らす方法? 早期退職でNPOやベンチャーの立ち上げ? 六十を過ぎてなお人生に迷っている男たちばかりではないか。右顧左眄の人々。

ふつうの人には夢なんて無いんだよ。

憧れ(あこがれ)産業で働くな

夢を叶えた(ように見える)人たちがいる。

テレビでは、芸能人やスポーツ選手が笑顔を浮かべている。ネットでは、世界を股にかけるビジネスパーソンがブログを書いている。絵描き、マンガ家、小説家、ゲーム製作者......。子供のころに誰もが一度は憧れる職業だ。では、彼らは「夢」を追いかけた結果として、いまの仕事を手にしたのだろうか。

ところで、こういう「憧れの仕事」の多くは参入障壁が著しく低い。

体一つあればスポーツを楽しめるし、紙とペンがあればマンガや小説を書ける。Mac Book Airが10万円以下で買える時代、プログラミングは特殊技能ではなくなった。小説も、イラストも、ゲームも、誰でも作れるし発表できる。

だからこそ、誰にも真似できないほど努力を重ねなければカネにならない。誰よりも多く書き、誰よりも多く読まなければ、「職業」にはできない。デッサンをやらない絵師志望者、気が向いたときにしか文章を書かないライター志望者......すべき努力をしないやつは大嫌いだ。人は結果でしか判断されず、努力の量は評価されない。でも、それは、努力をしなくていい理由にはならない。

......というような内容をTwitterでつぶやいたら、商業作家からツッコミが入った。

努力なんていらないよ、と。「面白い」はあふれ出るもので、努力なんてバカらしい。「面白い」は辛くない。彼はそう言った。

たしかに周囲を見回してみると、クリエイターを目指してクリエイターになった人はあまりいない。たとえばイラストレーターなら、絵を描くのが好きで、昼も夜もなく書き続けていたら、ある日商業誌から依頼が舞い込んで、気づいたら職業になっていた......という人のほうが多い。睡眠時間を削って依頼をこなし、レッドブルを燃料にして絵を仕上げ、一仕事終えたら余暇の時間にもらくがきをしている。商業誌で活躍しているのはそういう人たちだ。

努力を努力とも感じない。それが才能だ。

人にはできないことを、さも当たり前かのようにやってしまう。それが才能だ。

他人の目からは、彼らは「夢」を叶えたかのように見える。しかし、本人たちがそう認識しているとは限らない。自分の好きなことに無我夢中で打ち込んでいたら、気づいたら職業になっていた......。そういう人は珍しくない。

大切なのは「夢」の有無ではない。「誰にも真似できないぐらい打ち込めるもの」の有無だ。

大事なのは「誰にも真似できない」という部分だ。人とは違うという部分だ。

あなたの好きな本やマンガを他のみんなも好きだと言っていたら、すこし焦ったほうがいい。あなたはどこにでもいるつまらない人間になろうとしている。あなたの打ち込んでいるゲームやギャンブルに他のみんなも打ち込んでいたら、すこし焦ったほうがいい。そのままでは、あなたはきっと何者にもなれない。

別に、何もかも人と反対のことをすべきだと言いたいのではない。けれど、何か一つでも「ふつう」の枠組みの外に飛び出したモノを持っていたほうがいい。さもなければ「ふつう」の生き方さえできなくなる。

大人たちは「夢を持ちなさい」という。子供に夢を背負わせるほうが、自分が夢を追いかけるよりも簡単だからだ。彼らは「夢」がどういうものなのか解っていない。夢は、持つものでも探すものでもない。誰にも真似できないぐらい全力投球できる「何か」を見つけて、それに打ち込んでいるうちに、気づくと目の前に落ちているモノ。それがたぶん「夢」だ。

他人と同じであることに安心していたらダメだ。

孤独を恐れる人には、たぶん夢を見つけることも叶えることもできない。

(※この記事は2012年8月20日の「デマこいてんじゃねえ!」より転載しました)

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