BLOG
2018年02月13日 13時34分 JST | 更新 2018年02月14日 09時22分 JST

求められる人物像、大学受験に見る日米の価値観

画一的な合格基準ではなく、若者の前途が拓かれることに大いに期待している。

Bloomberg via Getty Images

大寒波に見舞われた日本の冬。

日本では受験シーズンの真っ只中。街には受験にあやかった商品、神社仏閣にはお守りを買い求める保護者の姿があふれ、1月に実施された大学入試センター試験では「ムーミン問題」が取りざたされている。アメリカも同様に冬は受験シーズンといっても良いかもしれない。大学への出願が1月1日を皮切りに概ね3月まで実施されるからだ。

実は、私は母校ダートマス大学からの要請を受けて、ここ、東京で高校生にインタビューをしている。アメリカの大学への進学を目指すのは、言うまでもないがインターナショナルスクールの生徒だけではなく、いわゆる日本の高校へ通った生徒もいる。

日本の高校へ通った生徒と話すと非常に彼らが優秀であることは実感するのだが、実は彼らと話をする度にショックを受けることがある。

それは、彼らがクラブ活動等を辞めて受験勉強のみに精を出していることである。これには大学入試における日米の評価の違いを痛感する。

アメリカにおいて大学受験で主に重視されるのは、成績、そして大学進学希望者を対象にしたSATやACTといった共通試験、そして高校での課外活動、エッセイ、インタビューである。

成績や共通試験の結果は共通しているとしても、課外活動を重視する姿勢は日本とアメリカでは大きく異なるように感じている。アメリカでは高校生活そのものが評価の対象となる。試験結果はあくまでも評価というパズルの1ピースである。

今回は、私が実感する大学受験における日米の違いから人物評価の違いを語ってみたい。

■重んじられる多様性

 移民の国、アメリカの大学受験では、ダイバーシティ(多様性)が重んじられる。様々な人種の優秀な学生を入学させることで、在学生とコミュニケーションを図るだけでも多様性を学ぶことができる環境を提供することができるからだと考えることができる。

一方で、マイノリティへの優遇措置、アファマーティブ・アクションは国家レベルで様々な物議を醸している。国家、州のポリシーは多様性を優先する程度に影響を与えている。 2014年、最高裁はアファマーティブ・アクションを廃止することは憲法に抵触しないと判断した。また、96年のカリフォルニア州を皮切りに2012年にオクラホマ州で禁止され、現在8州が実施している。こうした中、白人女性が入学審査において人種・民族を考慮したことが原因で不合格となったとして大学を提訴したフィッシャー対テキサス大学訴訟は、2016年に最高裁判所が「フィッシャー氏が同大学不合格となった主要な理由は入学審査時の人種に関する考慮ではなく成績によるものだったと判断した。このほかにもハーバード大学のアジア系アメリカ人学生との争い等、アファマーティブ・アクションについての議論は各地で継続している。

 ところで、日本では1月に実施された大学入試センター試験では「ムーミン問題」が取りざたされていた。ご存知の方も多いと思うので詳細は省くが、焦点はムーミンの住処はムーミン谷かフィンランドかといったところだろう。ムーミンを知っているだろう世代と受験者の世代のズレを指摘する声もあった。

 実は似たような論争はアメリカでも存在するのだが、少し質が違っているように思う。例えば、2005年のSATで取りざたされたのは、「ランナーとマラソン」の関係と同様のならびになっている答えを探す問題だった。正当は「漕ぎ手とレガッタ」。一見、何の問題もないように思えるかもしれないが、ここには出題の不平等性が存在する。この問題の正答率は白人が約50%、黒人が約20%であった。アメリカには多種多様な人種が存在するため、それぞれの文化を反映する、もしくは文化を超えて解答できる問題を出題しなくてはならない。日本とは違い人種や生活水準への十分な配慮が求められていているのだ。

■成績と同等に重視される人物像

課外活動とエッセイを重要視されることについて、私と同様に日本の高校生は大きな違いを感じるのではないだろうか?この二つを通じて、受験生の人物像を見出したいと大人たち(大学側)は考えている。

課外活動とはボランティアやスポーツ等を言うのだが、ただメンバーとして活動していたことが評価されるのではなく、リーダーシップやコミュニケーション能力、好奇心や社会性等様々な角度から評価をされる。大学進学を考えるアメリカの高校生は入学すると同時に、評価の対象となるこれらの課外活動をどうするかの準備を始める。もちろん、進学の際の評価となることもあるが、一般的に社会性を養うことの重要性を幼い頃から両親等に説かれていることも影響している。だから、教員から進学の準備のためにボランティア活動もしたらどうかと指南されるわけでもなく、高校ではクラスメート同士が当たり前に「どんな課外活動をする?」と話す姿が見られる。公立高校へ通っていた私もホームレスの支援活動等に取り組んでいたし、高校4年生までディベート活動に専念し、州の大会出場のために各地を転々としていた。

ところが、日本では高校三年生になるとクラブ活動を一切辞めて受験勉強に専念すると聞いた。実際にインタビューでも耳にするが、これはアメリカの大学への進学を目指す高校生にとっては実にマイナスである。なぜなら、前述のように課外活動を通しての評価がえられないことになるからだ。平たく言えば、受験のためにその活動を諦めるならば、高校生活を通して費やしてきた時間はそれほど大事なものではなかったのではないかと評価されてしまうだろう。私のように日米の高校生活や大学受験の違い、文化の違いを理解していれば、彼らの意思ではなくこれは文化だと納得できるが、違いを理解していないインタビュアーだったら、前述のような印象を持つだろう。

課外活動に加えて、エッセイではバックグラウンドや目標、思考や嗜好、モチベーション等を自分なりの表現で伝えることを求められる。受験では志望動機や専攻理由などを問われるが、中でもロースクールの受験では、なぜ弁護士になりたいのかを問われることが多くある。社会や世界を変えたい!といったおざなりで漠然としたことを書く受験生がごまんといる。ちなみに、日本語なら「ごまん(5万)」と言うが、私なりに表現すれば、アメリカに1万人はいるであろう、社会や世界を変えたいと書くおざなりな受験生の1万1人目にはなりたくなかった。だから、ハーバード・ロースクールの受験の際には私と父のことを書いた。・・・私は高校まで公立学校に通った。父親が2年ほど失業し、リムジンの運転手をしながら私の学費を払ってくれた。私自身もアルバイトをしながら夢を追いかけ寸暇を惜しんで勉強してきた。この生い立ちによって得た愛情や経験をモチベーションにがんばりたいと綴った。

■子どもから大人への大切な時期

高校3年生(アメリカでは4年生)は18歳前後という年齢。アメリカでは多くの州で18歳から選挙権が与えられる。日本でも18歳からに引き下げられたが、選挙権が与えられるということは、それまでに社会的な価値観を身につけて判断をできるよう、社会人としての成熟が求められているとも言い換えられる。

また、心理学的にも思春期の終盤を向かえる。自分はどんな存在なのか、アイデンティティを模索するモラトリアム期間に突入する。さらに、青年期の同性の友人関係はその後の人生にも影響するとも言われている。

こうした人生の基盤を築くためにも重要な時期を勉強のみに費やすのは、人の親として賛成できない。私は2人の子どもの父親だが、子どもたちに数字だけを大事にする人になってほしくない。確かに成績は客観的な評価をするためには必要であるが、勉強は数字を伸ばすためではなく、人生においての教養を身につけるためにある。一生懸命、勉強することは否定しない。しかし、クラブ活動や友人との交流等を通じた心身の成長を犠牲にしてほしくない。

日本では2020年からセンター試験が廃止され、新しい共通テストが始まると聞いた。マークシート方式ではあるものの、思考力や判断力、表現力が問われるという。また、

私がかつて留学生として在籍していた早稲田大学では、グローバルな視野と高い志を持って、社会的・文化的・学術的に地域へ貢献する人材の育成・輩出を目的とした試験が始まった。アメリカの大学出願の際に求められるエッセイも課題レポートとして提出するという。

ダイバーシティ(多様性)という言葉の認知度は段々上がっている日本で、画一的な合格基準ではなく、こうした多面的な判断の下、若者の前途が拓かれることに大いに期待している。