「自分探し」や「居場所探し」といえば、悩める若者とJ-POP歌手の特権でしたが、日本の「リベラル」や「保守」、あるいは若者をとうに過ぎた私たちも、自らの居場所を見失い始めているのではないか。そんなことを感じた東京都知事選(2016年7月31日投開票)でした。2016年8月1週のネット上の言論を振り返ります。
「都市型の保守主義」とは
国際政治学者の三浦瑠麗さんは、「新都知事に求められるもの」で、都知事選に立候補したジャーナリストの鳥越俊太郎氏について「退潮傾向の左翼を代表していました」と指摘しました。
私も同意見です。長年、日本社会を「取材」してきたものの、政治に関する知識やセンスが十分に発揮できたとは言いにくいことや、、女性スキャンダルをきちんと説明しなかったことなど本人への批判もそうですが、「旧来の左翼」が掲げる分配重視の経済政策や単純な護憲では、現代を生きる有権者の心をつかめないことが浮き彫りになったのかもしれません。
一方、自民党が担ぎ出した元総務相の増田寛也氏について、三浦さんは「官僚と与党のボス達が差配する旧来の統治階級を代表していました」と分析します。そういう政治グループは、「下から上がってきた新しいアイデアを採用することはあるし、制度の破たんを回避するような弥縫策は打ち出せても、局面を打開するようなリーダーシップはありません」。
古いリベラルや保守の限界が露わになり、双方の支持者が、なんとなく「梯子を外された」感じを受けたであろう今回の都知事選。三浦さんは「都市型の保守主義」という新しいタイプの政治的な「居場所」を私たちに提示します。
「都議会のドン」が去ったあと
東京都議のおときた駿さんは、「『都議会のドン』がいなくなれば、問題は解決するのか?受け継がれるドンの座と都議会の闇」で、「与党のボス達」が差配する古い保守の象徴とも言える「都議会のドン」内田茂幹事長が退いた後も、「一時的には影響や混乱はあるかもしれませんが、根本的な問題は解決しない可能性が高いと私は感じています」と問題提起しました。すでに後継者が準備されているといい、古い「居場所」にしがみつこうとしている勢力が一定数いることがうかがえます。
私たちは一人で生きているわけではありません。政治的な居場所、社会的な居場所、家庭という居場所。様々なグループに所属しています。ただ、それなりに意義があったグループも、だんだんと古びて時代に合わなくなったり、誰かを抑圧したりすることもあります。
おそらく重要なのは、自分たちの居場所を常にアップデートすること、自分の感覚とは大幅にズレてきたりした場合は、勇気を持って外に出ること。あるいは、とりあえずは「どこかに所属すること」を保留することではないでしょうか。
学生が語るヒロシマ
学生の安藤真子さんは「71年目の8月6日を目の前に、21歳の女子大生がおもうこと」を書きました。安藤さんは「どれだけ被爆者から話を聞いても、残された命をかけて伝えて下さる想いに心が震えても、わたしには彼らが『被爆者というひとりの人間』として生きてきた痛みを本当の意味で分かることはできなかった」。ヒロシマを語る時に、古い「保守的な」あるいは「左翼的な」言論(使い古されたステレオタイプ的な言論)に陥らないよう、迷いを正直に告白し、直前で踏みとどまっている文章のように感じました。
Mediumに書かれている Tomomi Shimmyoさんは、「人生に必要な「役割」という存在。」において、30代で会社を人に譲ってアーリーリタイアした人のブログに触れながら「リタイア後に同じ趣味の仲間を自分から見つけて楽しめる人はいいけれど、そうでない人は人間関係のストレスは圧倒的に減る分、孤独感や疎外感を強く感じるようになるのだそうです。」と指摘しました。
最後に紹介するのは、NewsPicksにおける思想家の東浩紀さんと東京工業大の西田亮介准教授が語る対談「【東浩紀×西田亮介】「民主主義=資本主義」の未来」(有料記事)の中の東さんの言葉から。
「日本の高度経済成長下においては、会社という「イエ」は、日本の歴史の中に根ざしていると同時に、資本主義とも親和性が高く、血縁や地縁とは別種の共同体をつくる母体にもなっていました。
会社は、単なる帰属意識を持つ共同体としてだけでなく、福利厚生を提供する共同体としても機能していました。
会社が病院を持ち、会社が運動会を開き、会社が寮を提供していた。ところが平成に入って、この中間共同体としての会社がなくなってしまった。
その結果、日本には本当に何もなくなってしまった」
2016年8月1週の4本
- 「新都知事に求められるもの」(三浦瑠麗 /ハフィントンポスト日本版)
- 「『都議会のドン』がいなくなれば、問題は解決するのか?受け継がれるドンの座と都議会の闇」(おときた駿/ハフィントンポスト日本版)
- 「71年目の8月6日を目の前に、21歳の女子大生がおもうこと」(安藤真子 /ハフィントンポスト日本版)
- 「人生に必要な「役割」という存在。」(Tomomi Shimmyo/Medium)