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2018年10月04日 10時42分 JST | 更新 2018年10月09日 08時32分 JST

「ノーベル賞」晩餐会の洋食器は、日本産って知ってますか? 小さな工場が“つないでいくもの”

「仕事が忙しいのに職人さんは絶滅危惧種なんですよ」

燕市で作っている洋食器がノーベル賞授賞式の晩餐会で使われていることを知っている人がこの日本にどれだけいるだろう? 毎日使う包丁がどこで作られているか気にしたことがある人はどのくらいいるのだろう?

新潟県のほぼ中心に位置する燕三条地域。両市とも和釘をルーツとした金属加工の産地だ。製造業者数は、中小や零細を合わせて製造業者数は3000を超える。

三条市に生まれ育った私の家の近所にも、自宅前に併設された土間で溶接を営んでいる小さな工場があった。いつも溶接している音と火花を眺めていた。

燕三条地域のものづくりを支えるのは職人たちだ。彼らの誇るべき伝統と技術、課題とは?熱気に満ちた工場を訪ねた。

「仕事が忙しいのに職人さんは絶滅危惧種なんですよ」

そう語ってくれた日野浦刃物工房四代目・睦さん。

日野浦刃物工房さんの工場の中に入ると昼間でも少し薄暗いが、窓から入ってくる光がとても印象的な影を作っていてその陰影にとても心を惹きつけられるものがあった。 窓を開け扇風機が何台も回っているのに蒸し暑く感じたが、火入れをすれば暑さはこんなもんじゃないらしい。

工場の中には刃物を作るための機械が整然と並んでいた。 その何台かは鍛冶屋さんが廃業するときに譲っていただいたものだそうだ。 後継者が出て来ず、職人さんが亡くなられたり、いろんな事情で続けられなく廃業に追い込まれてしまった鍛冶屋さんからその職人さんの意思を継いだという想いで機械を譲り受け、大切に使っているという。

「実用性重視の味方屋、工芸の司ブランド。その両方があるからいいんですよ」

親子で刃物職人をしている日野浦刃物工房は明治 38 年創業。 創業から自由鍛造を用い、特殊刃物や型変わりの鉈、和製ナイフなど要望に合わせて、オーダー メイドにも応えられる味方屋ブランドを担う四代目の睦さん。「こういうのを作ってくれと言われれば、それに合わせて作ることができるのが魅力」だと語る。

量産ももちろん大事だが、しかしそれだけではいずれ行き詰まることを予感していた三代目の司さん。創業からの技術を継承し、さらに工芸の域へと高みを目指し司さんが立ち上げた司ブラン ド。 味方屋の技術を基本にワンランク上の鋼を使用し、司さんが一貫して一人で創り上げている。

この二つのブランドは一見して大きく方向性が違うように感じられる。 しかし、それこそが親と子の絆のように私は感じられた。

「生まれた時から当たり前のように親が作るのを見ていた」

一方で、技術が継承ができず廃業に向かっている工場もある。 「親のやっているのを見て鎌作りを覚えた。親を超えるのはまだだな」と語ってくれたのは 69 歳の職人さん。

親から受け継いだ鎌作りを手作りにこだわり、お一人で火入れを行なっていた。 真っ赤になった鉄に接合材をつけ鋼を鎌の形に丹念に伸ばす。 工場の中は火のそばにいると汗が流れ、鍛造の時には話し声も聞こえにくくなるほどの音を立てていた。

生産量の多い大手に材料が優先的に流れていき、自分の工場のように少量しか扱わないところの材料が後回しにされるのが一番困るという。 最近では電動草刈機や除草剤の普及で鎌の受注減っている。そこで何かできないかと思い自分ができる技術を使って何年か前から包丁も作っているという。

そのように自らの技術を応用しながらものを作っていても今の人たちはナイフや包丁の方に興味があるから鎌を作りたがる人がいないという。「鎌や包丁を興味がある人がいれば弟子をとって継いで欲しいですか?」とお聞きしたら「いないな」 と一言。

なんだか寂しかった。

親の背中を見てなったという職人。 正解のない仕事だから幾度となく失敗し、それを改善していくの繰り返しでここまで鍛えてきた技術。いろんな工夫をしながら仕事をしてきたと笑いながらお話をしてくださっているのを聞きながらどうしてこれが継承できないのかともどかしさせえ感じるほどだった。

なぜ後継者がいないと言われるのか。 こんなにも技術のもった工場が廃業に追いやられるのは時代の流れなのか。どうしても解決できない問題なのか。

受注があるのに廃業? 燕三条地域のものづくりの課題

親の代から続いていても工場の仕事をしたくない。 労働条件が悪そう、仕事が辛そうなどのイメージ。 会社の規模に関わらずネーミングバリューのある工場に向く......。後継者不足は要因が多様で一言にくくるにはあまりにも難しい。

実際に何件も廃業に向かう工場も見た。 私自身、三条市に生まれ育ち、家の近所には溶接を自宅前に併設された土間で営んでいる小さな 工場がありいつも溶接している音と火花を眺めていた。 溶接の火花は間近で見ると目が火傷するから危ないと溶接をしているおじいちゃんによく怒られた。

その工場は継ぎ手がおらずに廃業してしまい、自宅前にあった作業場部分は改装され広い玄関スペースになってしまった。

燕三条は大小の規模に関わらず、どの工場も技術は高い。

本当は誰かに継いで欲しいが諦めている工場にどのように人を呼ぶか。 技術をどのように受け継ぐか。 職人になりたい想いを持った人たちがどのくらいいるのか。そもそも燕三条が金属加工の産地だと、どれくらいの人が認識しているのかーー。頭の中に、燕三条地域のものづくりの課題が次々と浮かんできた。

2018 年秋の開催で6回目を数える工場の祭典

燕三条地域で開催される「工場の祭典」は、工場を開き、一般の人に生産工程を見学や 体験もできるイベントだ。2018 年で6回を数える。今年は10 月4日から7日まで開催される。年々来場者数は増加しており、海外のバイヤーなど訪れるという。

普段は門戶を開くことのない工場はほとんどだが、金属を打つ音や研磨する音、金属や油の匂い、 火入れするときの熱さ、職人さんたちの作ったものを手に取り見ることのできる。ものづくりを間近に見られる機会は地元・燕三条に住んでいる人でもなかなかない機会になって いる。

私はこの「工場の祭典」が、燕三条の金属加工の産地として広く知ってもらうためのいい機会だと考えている。

燕三条には全国、世界に誇れる技術がここにはある。そこに至るまでには歴史もある。 小さな工町場から大量生産に対応できる工場まで、燕三条地域には多くの工場が存在する。その一つ一つにストーリーがあり、それを職人さんから聞ける機会はとても貴重だ。

これを機会に燕三条に訪れ、工場の仕事に興味を持ち、職人になりたいと思って燕三条に来てくれる人がいればこんなに嬉しいことはない。

ものづくりの産地として、少しでも伝統や技術が絶えぬよう、燕三条の工場をまず見にきてもらうこと。

イベントとして終わるのではなく、永続的に続くであろう後継者不足という課題を少しでも一石を投じることが「工場の祭典」で工場を開く意義になると私は考える。

※この記事は、燕三条ローカリストカレッジの受講生が取材・執筆した記事です。