面接官は、吃音者を「コミュニケーション能力不足」と勘違いしてはいけない

トーク番組やお笑い番組で、「しゃべろうと思ったのに、うまくしゃべれない」状況が爆笑を呼び込む具材となったのはいつ頃からなのだろう。かしこまった分析をすれば、本来の目的から外れたところで笑いが生じるケースはそこまで珍しいものではない。

■いつから「噛む」ことが笑いを誘うようになったのか

トーク番組やお笑い番組で、「しゃべろうと思ったのに、うまくしゃべれない」状況が爆笑を呼び込む具材となったのはいつ頃からなのだろう。出川哲朗や狩野英孝に限らず、肝心要のところで噛むことが笑いの発生源になるケースが増えている。かしこまった分析をすれば、本来の目的から外れたところで笑いが生じるケースはそこまで珍しいものではない。例えばコント中に演者自身が笑いを堪えられずに吹き出してしまい、それでもコントを無理矢理継続させる様は、ひとつのイレギュラーな笑いのパターンとして定着してきた。「予定通りいかない」というのは、常に笑いの重要なエッセンスだ。たとえば志村けんや松本人志はコント中や特異なシチュエーションに置かれたとき、茶の間に向けて、「俺は今、笑うのをこらえている」と分かるようにこらえる。その行為をこうして言葉にしてみるとたいそう安直な行為に思えるけれど、あそこには熟達した技がある。少しだけ停滞した状況を、自分自身が笑いをこらえる様を見せることで打破し、大きな笑いを群がらせていく場面を何度も見かけた。しかし、昨今の「うまくしゃべれない」に「今、噛んだやろ!」と突っ込んでいく笑いには、そういったテクニックを感じない。つまり、ただただ敷居が低い。困ったら「噛んで」しまえば、笑いが起きるだろう、という安っぽさ。その安っぽさは汎用性を持つ。「噛む」が笑いに繋がるという認知は、芸能界に留まらず日常的なやりとりにも落とし込まれている。「あ〜、今、噛んだでしょ」という、安っぽいツッコミに端を発する笑いはあちこちで起きている。これって、10年前には無かった日常会話ではないか。

■吃音は就職活動で大きな壁になってきた

1月28日の朝日新聞の記事「吃音 伝わらなくて 就職4ヶ月 命絶った看護師」はショッキングな記事だった。「同じ音を繰り返したりする吃音のある男性(当時34)が昨年、札幌市の自宅で自ら命を絶った。職場で吃音が理解されないことを悩んでいたという」。「うまく喋れない」ことに対する笑いがポップに投げ出され茶の間に浸透している現在、吃音者にとってそのポップさが少なからず負荷になっている可能性は捨てきれない。100人に1人という吃音に、決定的な治療法はない。「成長してからは、就職活動が大きな壁になる。面接が重ねられる今の選考方法では、力を発揮できない人が多い」そうだ。与えられた場所で臆すること無く明晰に話せることを重視する採用側は、吃音者を(それが本当は常態化している症状であろうとも)いざという時にうまく話すことができない人材、として不適格とするのだろう。例えば「ヤフー知恵袋」には吃音の症状を持つ就職活動中の学生からの投稿があり、「父親は目に涙を浮かばせながらお前は壁にぶつかるたびに吃音を言い訳にして逃げていると言われました。お前は普段ちゃんと喋っている、ゆっくり落ち着いて話せば喋れる、いつも黙って聞いてきたがもうそれを言い訳にしないで前向きに捉えて生活しろ、と言われました」と切実な悩みを吐露している。決定的な治療法はないというのに、オマエの努力が足りん、で済まされるわけだ。

■「滑舌悪い芸人」がはらんでいる危険性

「アメトーーク!」では何度か「滑舌悪い芸人」と題し、滑舌の悪さっぷりを笑い合うという企画が行なわれている。「吃音」と「舌足らず」と「早口」が一括りにされており、番組からしてみればそれが「滑舌悪い」という括りに確かにおさまるのだから問題は無いのだが、この爆笑の渦は、先ほどの「お前は壁にぶつかるたびに吃音を言い訳にして逃げている」というような父親の弁に、少なからず加担していく。なぜならば、こういった番組では「噛む」という芸当が当然ながら意図的に盛られる事になるわけで、「その気になればちゃんと喋れるんだろうけど」という視聴者の推察が植え付けられる。天然ボケの女性タレントに対して、本当はそこまでとぼけてはいないけどキャラとして天然を演じ切っているんでしょ、とするのに近い。でも実際問題、その気になってもちゃんとしゃべれない人たちが100人に1人はいるわけだ。となればやっぱり、「噛む笑い」のポップ化は、その1%を置いてきぼりにする。

■企業は兎にも角にも、コミュニケーション能力を求める

いまいち浸透していないし、浸透すべきだとも思わないが、経済産業省は2006年から「社会人基礎力」という概念を提示している。これは「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」のことで、要するに就職活動をする学生や企業の採用担当者に対して、「こういうスキルを重要視すべき」と提示しているメソッドなのだ。「3つの能力/12の能力要素」で構成されている。3つの能力とは「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」。「チームで働く力」の筆頭には「自分の意見をわかりやすく伝える力」が挙げられており、12の能力要素の一つとされる。これに対応するかのようなアンケート結果が、日本経済団体連合会が公表している「新卒採用に関するアンケート調査結果」(会員企業のうち1301社を対象/回答583社)に出ている。「選考にあたって特に重視した点(5つ選択)」の回答結果で、「コミュニケーション能力」が86.6%と突出しているのだ(次点は「主体性」の64.9%)。つまり、企業のほとんどが採用時に「コミュニケーション能力」を最重要視している。学生が自信満々に語りがちな「クラブ活動/ボランティア活動歴」は2.5%、これがあれば何とかなるだろうと臨む「語学力」は5.7%、個人的に自分が採用担当者なら最も重視したい「感受性」は1.4%にすぎない。企業が求めるのは兎にも角にも、コミュニケーション能力。とってもざっくりとした便利な言葉だが、具体的にほぐしていけば、そこでは「対面した相手と、建設的に正しく話す事ができるか」が最低ラインとして設定される。

■吃音を正しく理解するために

驚くべき事に、これまで学会等で、吃音が体系的に議論される事は無かったという。朝日新聞の記事によれば、昨年初めて「日本吃音・流暢性障害学会」が発足し、就職活動など社会的な支援のありかたについても話し合われたという。人数の多少で症状の取り扱いを変えるべきではないが、1%という低くない確率で悩まされてきた症状がこれまで宙ぶらりんになってきた事実は重い。先ほどの経団連の調査で「コミュニケーション能力」と回答する企業のパーセンテージは年々上がってきている(最新回86.6%・前回82.6%・前々回80.2%)。この高まりを前にすると、対話の入り口でつまずく事になる吃音の症状をこれ以上の無理解に置いてはならないと、記事で詳細を知ったばかりのくせに焦ってみる。命を絶ってしまった看護師は、職場での自己紹介用紙に、吃る症状があるとし、「目上の人への報告など緊張する場面の連続」をその原因にあげ、その対処方法に「ゆっくり話している」と書いていた。しかし、職場の理解は得られなかった。「噛む」という笑いがポップに受け取られることは、シリアスに向き合ってきた人をほぐす効能もあるかもしれない(事実、「アメトーーク!」の放送回を見た吃音者からそのようなツイートを見かけた)。しかし、ポップとシリアスは当然、反目し合う可能性も高い。少なくとも企業の採用面接官は、やたらと漠然とした「コミュニケーション能力」という優先順位を高めるのはどうぞご自由にだが、その前に不可抗力でコミュニケーションのスタートがうまくいかない吃音を、正しく理解しておかなければいけない。

注目記事