フリーランスになって考えた「最強のパーティー」と「時間を奪われない力」

「ソロで生きる力」×「パーティーを組む力」

この春、4月1日から晴れて個人事業主になった。フリーランスの記者 / ノンフィクションライターを名乗って、ぼちぼち仕事をしている。

これまで毎日新聞で10年、BuzzFeed Japanで2年3カ月、組織所属の記者として働き『リスクと生きる、死者と生きる』という本も出して独立という形になった。

独立して真剣に考えるようになったのが、尊敬してやまないノンフィクション作家・沢木耕太郎さんが指摘する「ソロで生きる力」と「パーティーを組む力」のバランスだ。

時代はフリーランス?

AFP=時事

僕なりの解釈でざっくり定義をしておくとソロで生きる力とは「自分の食い扶持を自分で稼ぐ力」であり、パーティーを組む力とは「一人でできないことを仲間と組んで実現していくこと力」である。

4月からよく言われたのが「やっぱり時代はフリーランスですよね」「もう会社員記者、大手マスコミなんて古いですよね!」というある意味で紋切り型の励ましだった。言われるたびに僕は「うーん......」と顔をしかめていたと思う。

大手マスコミは古いのか?

新聞、ネット、書籍の世界をわりと重厚に経験してきたが「大手マスコミが古い」とはまったく思わないからだ。

この仕事を突き詰めて言えば、読者や視聴者からお金をもらって(広告も読者や視聴者がいないと成立しない)、その代わりに方々を調べたり、積み上げた知見をもとに分析したり、おもしろい読み物を提供したりすることである。

当然ながら、一人でやるよりも組織でやったほうが調べられる範囲は広がるし、知見も積み上がる。取材費だって個人が持ち出しでやるよりも会社のバックアップがあったほうが安心して仕事ができる。

いくら新聞・雑誌が読まれない、部数が落ちているとは言っても、あれだけの数の記者を抱え、継続的に取材ができて、かつ信頼があり、取材網をインサイダーにまで張り巡らせ、日夜追いかけられる媒体は他にない。

大手マスコミにも古い体質は残ってはいるが、変えられる余地があるということは伸び代があることと同義である。

さらに言えば新人に基礎的なトレーニングの場を与え、10年かけて1人前に育てていくというメディアも他にない。

インターネットメディアが追いつくことはまだまだずっと先の話だろう。そのくらい大きな組織にいるメリットは計り知れないものがある。組織のなかで「パーティーの仕事」をこなすというのも立派な選択肢だ。

なぜ独立したのか?

では、なぜ僕が「独立」を選んでしまったのかといえば、これはもう成り行きとしか言いようがない。

新聞からネットメディアの転じた最大の動機は、新聞記事の枠にとどまらない新しいニュースの仕事をやってみたいというものだった。

僕が取材した話を丁寧に書こうとすると、新聞記事はどうしたって短すぎる。新聞特有の文体も僕の書きたい話に適しているとは思えず、「120行=1200字もらえれば大原稿」という世界に馴染めないままだった。

若気の至りといえばそれまでだが、僕はもっと新しいニュースの表現、文体があるはずだと信じていたし、それはインターネットでこそ可能になるという思いが募った結果が移籍だった。

それが、2年ちょっとでネットメディアを離れることになった。中学生の頃から好きだったスポーツライターであり作家の山際淳司さんのエッセイを借りればーちょっと気恥ずかしくなる表現だがー「『時』がいとおしくなった」ということになる。

Satoru Ishido

僕が探したいと思った新しいニュース文体の成果は一冊の本という形になって世の中に送り出すことができ、それなりの評価も得た。特にノンフィクションライターの稲泉連さんから"同業者"と認められ、読売新聞書評欄で「2017年の3冊」に選出されたのは望外の喜びだった。

しかし、である。僕は喜びと同時、僕にとってとても大事なことが、他の人たちにとっても大事であるとは限らないということも知ってしまった。

全力を尽くして最高の成果物を出したはずが、周囲からみるとそうではないということが度々あった。一言でまとめてしまえば、かなりのギャップがあったのだ。

「時間を奪う相手」と過ごす時間は無駄!

2017年、冬の深まりと歩調をあわせるように、僕の心身の疲労も重なっていった。疲弊していても時間だけはどんどんと過ぎ去っていく。

比喩ではなく体が動かなくなり、何もできないまま1日が終わって、何事もなかったかのように次の日がやってくる。ただただ時間を失っていた日々だった。

端的に時間の無駄だったといっていいだろう。それではいけないとなんとか気持ちを入れ替えた。決して共有されることがない物語に一喜一憂していてもろくなことはない。自分の力で負の流れを止めようと思ったのだ。

具体的にはまず組織を離れることを決めた。僕には僕の物語と価値観があり、それを大事だと言ってくれる人と仕事をすればいいのだと割り切った。これからはソロで生きていく、と決めたら不思議と気持ちは楽になった。

どうせろくに稼げないだろうと思っていたら、当面の生活はなんとかなりそうなくらいの仕事は確保できた。僕が大事に積み上げてきた会社員時代の成果物が仕事を運んできてくれたのだ。

本や過去の記事を読んだという人たちから、面白いオファーがいくつか舞い込んできた。

もちろん、出版物がかつてほど売れず、かといってネットメディアが大盤振る舞いできるわけでもないご時世である。いきなり景気のいい話は転がっていない。それでも当面はカツカツとはいえ、なんとかやっていけるくらいにはなりそうな依頼はもらえた。

何より幸いなことに会いたいと言ってくれる人たちがいて、彼らと話しているうちに仕事が決まっていく。

そうなってくると、これもまた不思議なもので、ちょっと前までは本を読むのも、外に出るのも苦痛だったのが、段々とカンが冴えてくる。取材をしていても思わぬつながりができるし、手に取った本が次の仕事を運んでくるという良いスパイラルが生まれてくるのだ。

少しずつではあるが、疲弊しきった状態から立ち直り「新鮮でおもしろい」という感覚を取り戻しつつある。

ソロで生きると、パーティーを組む相手を選べる

Satoru Ishido

そのなかで、ひとつ気がついたことがある。

ソロで生きるということは、自らの意志で、組みたい人とパーティーを組む権利を獲得するということだ。作品を作るにしても、プロジェクトを立ち上げるにしても、何事も一人だけでは完結できない。

今の僕は会社という限定された組織の中にとどまらず、僕一人ではできないことを実現するために仲間を集め、プロジェクトごとに組み替えるという働き方を選べる。

一番強い「最強のパーティー」とは、ソロで生きる力を持ったプロ、言い換えれば独立の気概を持った人たち同士で組むパーティーである。

僕の周りにいる同じ価値観を持った人たちが、それぞれの得意分野を担いながら一つのプロジェクトを完結させていけば、きっと面白い仕事ができるはずだ。仕事のアイディアはいろんなところに転がっている。

ターニングポイントを設定せよ

ところで、エッセイのなかで山際はこんなことを書いている。「ターニングポイント、転機を迎えたとき、誰もがそうだと思うが、知らずしらずのうちにテンションが上がっているものだ」、と。

僕に取ってのターニングポイントはまさに「今」であると言えそうだ。

山際にならって、最後に教訓めいたことを書いておけば、しかるにどんな仲間を選ぶかによって良い時間になるかどうかは決まる。時間を奪っていく相手と一緒にいる必要はない。

そんな相手しかいない時は、勇気を持って意識的にターニングポイントを設定すればいい。

実直に仕事を積み上げていれば、これまでの成果物を大事に思ってくれる誰かがどこかで待っている。そう僕は信じている。

「ソロで生きる力」と「パーティーを組む力」のバランスを考えよう。

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