復旧という結果だけではなく、経過を残すことの意味 「熊本城のいま」を伝え続ける記者の思い【熊本地震】

「分からないこと」の方が多い-。熊本地震で被災した熊本城を取材しながら、いつも感じている。

熊本県内の各地に甚大な被害を与えた熊本地震から1年。被災した人たちは、それぞれ違う歩幅で復旧・復興へ向けた歩みを進めている。その歩みを近くで見つめてきた地元紙の記者5人が、その時々の思いをつづったコラムを寄稿する。今回は飛松佐和子記者の記事を紹介する。

(熊本日日新聞社 原大祐)

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熊本市の中心部にある熊本城は、熊本地震の2度の激しい揺れにより、城郭史で類をみないほどの被害を負った。地震後、私は文化生活部の熊本城担当として取材を続けている。

【2016年7月4日 焦点を合わせる力】

「まだ避難しとらす人がおるとですよ。それよりも熊本城の復旧が先ですか」。その男性の表情から「不思議でたまらない」という気持ちがうかがえた。

熊本地震から約2カ月後の2016年6月、熊本市と熊日の共催で、熊本地震からの復興に向けたシンポジウムを開いた。第1弾のテーマは「熊本城はいま」。街中に城があるせいか、熊本県民は本当に「お城好き」が多い。築城主である加藤清正は江戸時代から神格化され、「もはや宗教」と冗談ともつかない声もあるほどだ。熊本市の熊日本社に集まった約300人は、熊本城に一家言ある人ばかりだと想像し、事務局も兼ねていた私は質疑応答が時間内に終わるか心配した。

私は地震の発生以降、取材を通じて見てきた熊本城の現状を報告し、「実際、お城の修復よりも仮設住宅が先だという声がある」と言及した。先の男性は「そのことを聞きたくて来たが、この雰囲気でそんな質問はできないから...」と、休憩時間に声を掛けてきたのだった。

被災者の生活再建よりも文化財修復か-。ずっと心に引っ掛かっていた。熊本城の担当職員は「お城が相当な被害を受けていることは分かっていたが、最初は大きな声で言えなかった」と明かす。東日本大震災で被災し、現在も修復中の小峰城(福島県白河市)の担当者も「地震に津波、原発事故と続き、海側から避難者が押し寄せた。気になったが城は後回しだった」と振り返った。もっともだと思う。

ただ、私たちはこの瞬間を生きているだけでなく、長い歴史の流れにも身を委ねている。文化財には住めないし食べられもしないが、壮大な歴史のバトンを次へとつなげる責務がある。傷ついても立ち続ける城の姿を、復興の希望だと感じる人たちが少なからずいる。「何が先か」という優先順位にとらわれるのではなく、カメラのレンズのように、近くにも遠くにも焦点を合わせる力が問われているのではないか。

7月から文化面で連載「熊本城のいま」を始めた。地震から丸1年になる14日は、41回目になる。いつ最終回を迎えられるか分からないが、お城の修復を一歩ずつ丁寧に記していきたい。

【2017年3月7日 いま残しておかないと】

「分からないこと」の方が多い-。熊本地震で被災した熊本城を取材しながら、いつも感じている。

明治22(1889)年の地震で大きく崩れた石垣を、当時の管理者であった旧陸軍は撤去せず、必要もないのになぜ復旧したのか。大天守と小天守にあった"通路"の目的は。天守再建で市民が寄せた「瓦募金」の総額は...。いずれも「分からない」。これらは歴史の謎というよりも、資料が残っていない、もしくは記録管理の不備の側面が強い。

加えて、人々の記憶も刻々と失われている。天守閣の復元に総工事費の約3分の1にあたる5千万円もの大金を寄付した故・松崎吉次郎氏を追った時は、親類縁者を探すのに一苦労。ようやくたどり着いた70代の孫は「もうそっとしてほしい」と写真はもちろん、名前が出ることも拒んだ。「城の恩人」とも呼べる祖父のことなら、きっと喜んで語ってくれるという想像は裏切られた。しかしさまざまなエピソードを思い出す中で、彼女は「こんなことなら、祖父のことをもっと聞いておくべきでした」とつぶやいた。

「いま残しておかないと」。それだけの目的で、昨年7月から週に1回の連載「熊本城のいま」を続けている。城は復旧に20年かかるといわれるが、この1年で城内はあちこちが変わった。城郭史上、類を見ない傷を負った熊本城で何が起こっているのか。その経過を残すことが50年後、100年後に役に立つと信じている。

全国の城修復に携わるある専門家は「いつも『結果』しか知らされない。私たちが知りたいのは『途中』だ」と言う。そして「その記事が読みたい」と。

人の記憶や工事の進ちょく、そして議論の内容。とどめておかねばならないことは山ほどある。一方で、城に関する会議は非公開のものが多い。国や熊本市は「自由に意見を言いやすいように」「公開の前例がない」「事務レベルの会議だから」と釈明するが、閉ざされた空間でしか言えないこととは何だろう。ベールに包めば包むほど「何かあるのでは」と勘繰られても仕方ない。できる限り情報をつまびらかにすることが、城の復旧を待つ人々に対する真摯な態度ではないか。私も「復興城主」の1人だが、修復への寄付ばかり求められているような気がしてならない。

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