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2018年09月20日 07時00分 JST | 更新 2018年09月20日 07時00分 JST

電車での飲食は「日本の恥」なの? 蔓延する “みんな化語”の5つのタイプ

「みんなもやってるからいいじゃん」の”みんな”って一体誰のことなんでしょうか。

電車内での飲食は「日本の恥」なの?

Getty Images/Mint Images RF

先日、私が帰宅のために電車に乗っていた時のことです。とある駅で20代とおぼしき女性が電車に駆け込んできました。空いている車内でなんなく座席についた彼女は、リュックからごそごそとパンを出して頬張り始めました。

乗客たちが思い思いにスマホを眺めて過ごしていた21時頃の車中。その彼女がほんのふたくちほどパンをかじった時、その緩やかな空気が一変しました。彼女の隣に座っていた70代くらいの男性が突然大声をあげたのです。

「そんなもん家で食え! 日本の恥だぞ!」

そう切って捨てるように言うと、男性はすぐに到着した次の駅でドカドカと下車してしまいました。彼女は声を出すこともできず、パンをそそくさとリュックにしまって、もうその男性が居なくなっているにも関わらず、座席で小さく丸くなっていました。

確かに電車内での食事はマナー違反だと考える人も一定数いると思います。ただ、彼女は「日本の恥」として叱責されるほどのことをしたでしょうか。少なくとも私は、混んでいない車内で、匂いもしないパンを食べた程度ではまったく気になりません。

私が思うに、「日本の恥」と言うとき、その男性は幻の"みんな"をねつ造しています。俺だけが怒っているのではなく、日本の"みんな"が怒っているのだと。彼女により強力なダメージを与えるために、そして、彼自身が日本国民の代弁者であるかのような全能感を得るために、彼は主語を"私"から"みんな"にすり替えたのです。

このように、主語を大きくするタイプの言葉というものがあります。他の例では、女性が「女はお前みたいな男が嫌いなんだよ」と言う場合、個人ではなく性別代表になってしまっています。

みんな基準をこしらえる「みんな化語」

申し遅れましたが、私は博報堂の生活総合研究所で研究員をしている内濱と申します。

私たち生活総研では、「"みんな"って誰だ?」というテーマで、「個」の時代の先にある、新しい大衆像について研究し、その成果をこの連載でご紹介しています。

第1回記事に寄せられた反響の中で特に多かったのが、「みんなやってる、ってよく言うけど、そんなの本人の思い込みじゃない?」というご意見です。実は私も、前述のような体験から全く同じ疑問を持っていたんです。

こんなに風に自分の意見を"みんな"の意見のように語る現象を、私は「みんな化語」現象と名付け、研究しています。

博報堂
筆者と7歳の娘

研究結果をお話しする前にもう一つ、私自身が体験した「みんな化語」のエピソードを紹介させてください。

家族と過ごしていた休日のことです。私は以前から好きなバンドの音楽をスマホのスピーカーから流していました。すると、今年小学1年生になったに過ぎない娘が、あろうことか「そんなダサい曲流さないでよ」と言うのです。

娘は代わりに別のバンドの曲を流して欲しいと主張し、それはそれで良い曲なのですが、私は正直ダサさに関しては五十歩百歩だとゴニョゴニョ考えたりして... 要するに私は狼狽していたわけです。

ただ後から冷静に考え直すと、「ダサい」というのも"みんな"のねつ造なのではないかと思い至りました。

「ダサい」というのは「嫌い」とは違います。「ダサい」には、世間一般で共有されているトレンド感から乖離している、というニュアンスを含みます。娘は「私はその曲は嫌い」と言う代わりに、「今のみんなのセンスには合ってない」と言ったわけです。

このタイプの「みんな化語」は、さも「みんな基準」があるかのように見せかけることで効力を発揮します。他の例では、「お前の考え方は古い」と一般的な新旧基準があるかのような言い方や、「固い職業の人の話って、つまんないじゃないですか」の「じゃないですか」のように、みんなが先刻合意済みのような印象を与える言い回しがあります。

先ほど、「みんな化語」とは、あるひとりの意見を"みんな"の意見であるように感じさせる言葉使い、と書きました。この定義はまだ暫定的なものでしかありませんが、2つのエピソードから皆さんには何となくイメージをつかんでいただけたでしょうか。

「みんな化語」の機能

Alexander Spatari via Getty Images
Moment RF

それでは、「みんな化語」はどのような場面でどんな機能を果たすのでしょうか。生活者の体験談を集めるため、博報堂生活総研が実施したweb調査で、20~60代の男女に「みんな化語」の定義を説明した上で、実際に「みんな化語」を人から使われた時のことを自由回答で書いてもらいました。そして、調査人数1,500人のうち、563人の方から寄せられた体験談をもとに、「みんな化語」の機能を5パターンに分類しました。

① 権威づけする

これは2つめのエピソードのわが娘の「ダサい」発言でも出てきた使い方で、個人の意見よりみんなの意見にした方が、発言が強力になることを狙ったものです。生活者への調査でも、子供が親に玩具を買って欲しくて「みんな持ってるよ。だから買って」という場面で頻出しており、「みんな化語」の使用例で、最も多いタイプになっています。

② 自己陶酔する

1つめのエピソードで、「国民の恥だ!」と叱責した男性の例は、①の動機もありますが、自分が国民代表であるかのように自己陶酔することにも動機がありそうです。①が他者への説得力を重視しているのに対して、②は自己満足している側面があります。他の例では、一個人が「あの人の行動は国益に反する」と言うときなどに、この動機が潜んでいる場合があります(もちろん、まっとうな意見の場合もありますが)。

③ 責任転嫁する

調査では、次のような事例を教えてくれた生活者がいました。

「駐車違反も、みんながやってるから、しょうがいないよね」

「(私のような)年寄りはモノが捨てられないから、断舎利は苦手なんだよ」

このように、「自分個人としては、駐車違反は良くないと思う/持ち物は整理した方が良いと思う」という体裁を示しつつ、「でも、みんなそうじゃないのだから、しょうがないじゃないか」と"みんな"に責任転嫁をする用法です。もちろん、ここで出ている"みんな"は本当に全員なのではなく、イメージ上でつくられたものです。

④ 包摂する

①〜③の「みんな化語」は、虚像の"みんな"を引き合いに出して自分の主張をするような用法ですが、「みんな化語」には誰かを擁護するようなポジティブな機能もあります。

調査で生活者が書いた事例のなかに、次のようなものがありました。

「これでいいのだ」

これは、故・赤塚不二夫氏の作品中の名言。バカボンのパパが、毎話のはちゃめちゃな展開の末、それでも最後に全状況を肯定する決め台詞です。

「これでいいのだ」が個人の視点からではなく、"みんな"をより大きくした"神"のような視点に立った大局的な言葉使いだからこその効果です(バカボンのパパは作品中ではある意味で"神"の位置にあるキャラクターとも言われています)。

この「みんな化語」は、例えば誰かが仲間外れの疎外感を持っているとき、「それでもあなたは、間違っているのではなく、いいことの範疇に入っているのだ」と包み込んでくれる言葉にもなりえます。

いわゆる均一的な"大衆"が存在していた漫画連載当時、バカボンのパパは常に異端者を演じていたわけですが、ライフスタイルが多様化した現在はいわば異端者だらけの時代とも考えられます。

そんな現代で、この台詞はより輝きを増しているのかもしれません。

⑤ "みんな"をジェネレートする

自分の本音を代弁するために「みんな化語」を利用するだけでなく、「みんな化語」を使うことによって事後的に"みんな"の実態が生まれることもあります。

例えば、残業を重ねるような労働者が依然として多い日本ですが、「お前の働き方はもう古い」と「みんな化語」によるダメだしを一斉にしはじめることで、実際にスマートな働き方の人が多数派の"みんな"になっていくことがありうるでしょう。「多数派の中に入っていたい」と思う人間心理を反映していますよね。

"みんな"をジェネレートするという機能については、日本語の文字・語彙・意味の史的研究を専門とされている小野正弘教授(明治大学文学部)から2つの興味深いポイントを教えて頂きました。

1つは、「みんな化語」が地域コミュニティを作っていたという点。少し前までの日本では、地域ごとに必ず世話焼きな人がいて、「みんな○○なのよ」という話を方々でして回ることで、結果的に地域の情報がひとつになっていた側面があったのだそうです。

もう1つは、もっと昔の飛鳥時代に活躍した歌人の額田王(ぬかたのおおきみ)について。彼女は戦場に向かう船団が船出を見計らって待機していた時、船団全体の「いつが船出なのだろう?潮も満ちたしそろそろか?」という空気が閾値を超えたのを察知して「今こそ船出の時だ」という歌を詠んだという学説があるそうです。これから進軍しようとする全体にきっかけを与え、意気を高めたんだとか...。

全体のまだまとまっていない空気をひとつにして、"みんな"をジェネレートするためには、それに先んじて「みんながこう考えている」と「みんな化語」を発する人の存在が不可欠だということです。

実は、効果的な広告や話題になるキーワードも、実態より一歩だけ先んじて「みんな化」している場合が多いと思います。

諸刃の剣としての「みんな化語」

Chen Liu / EyeEm via Getty Images
Rear View Of Man Looking At Flying Birds Between Crowded City

今回の記事では「みんな化語」の様々な例を通して、それらが日常的に使われていることと、使用者にとっていかに魅惑的かを論じてきました。

この「みんな化語」は、誤って作動すれば少数派を排除する快感にひたるポピュリズムにつながる危険性があります。一方で、異端者を包摂したり、世の中を善導したりするポテンシャルもあります。

世界が激変するこの時代だからこそ、「みんな化語」の活かし方、そして"みんな"について、引き続き皆様と考えていきたいと思います。あなたがこれまでに聞いたことのある「みんな化語」も募集します。Twitterの投稿にハッシュタグ「#みんなって誰だ」をつけて体験談をお聞かせください。

執筆を担当した研究員

内濱 大輔/博報堂生活総合研究所 上席研究員

2002年博報堂入社。マーケティングプラナーとして、通信・トイレタリー・外食・飲料・流通・エンターテインメントなど諸分野でのブランディング、商品開発、コミュニケーション設計に従事。2015年より博報堂生活総合研究所に所属し、生活者のライフスタイル、価値観変化の研究に従事。