ANA飲酒機長の諭旨解雇は重すぎるか? (榊裕葵 社会保険労務士)

社労士の観点から分析すると今回の諭旨退職処分の背景には4つの理由があり、処分の重さも妥当だったと考えられます。
パイロット飲酒問題で記者会見し、謝罪するANAホールディングスの片野坂真哉社長(右)と全日本空輸の平子裕志社長=16日、東京都港区
パイロット飲酒問題で記者会見し、謝罪するANAホールディングスの片野坂真哉社長(右)と全日本空輸の平子裕志社長=16日、東京都港区

2018年10月25日、ANAホールディングス(以下、ANA)傘下、ANAウイングス所属の40代男性機長が前夜の飲酒で体調不良を訴えました。乗務予定だった便に搭乗できず、交代要員の手配等で国内線5便に遅延が発生。この問題を受け、機長は2018年11月6日付で諭旨退職処分になっています。

■諭旨退職処分は重すぎるのではないか?

諭旨退職とはどんな処分でしょうか。就業規則の定め方によって多少ニュアンスが異なる場合もありますが、一般的には「本来は懲戒解雇に値するものの、本人の反省や情状等を踏まえ、自己都合退職扱いにする」という処分です。諭旨退職扱いになると、退職金の全部または一部が支給される点や、経歴に賞罰歴が残らないという点で本人にメリットがあります。

しかし懲戒解雇も諭旨退職も社員としての身分を失わせる処分に他なりません。

全日空によると、機長は10月25日午前8時すぎの石垣発那覇行きの便に乗務予定だったが、前日に沖縄県石垣市内で飲酒。25日早朝になって「体調不良で乗務できない」と所属部署に連絡した。同社が調べた結果、飲酒の影響と判明した。

飲酒の機長を諭旨退職 全日空グループ、5便に遅れ 日本経済新聞電子版 2018/11/09

この報道によれば、機長は体調不良や飲酒の事実を隠して飛行機を操縦したわけではありません。事前に申告しているにも関わらず諭旨退職という重い処分を受けることについて、厳しすぎるのではないかという意見もあると思います。

しかし、社労士の観点から分析すると今回の諭旨退職処分の背景には4つの理由があり、処分の重さも妥当だったと考えられます。その理由を順番に説明していきます。

■業種・職種を考えれば重すぎるとは言えない

第1は、「航空会社」という業種を踏まえてということです。

たとえば事務系職種の社員が酒気帯びで出勤してきた場合でも、「酒臭いから今日は出勤停止です」と就労を拒否してその日の賃金を支払わないとか、自己管理不足として始末書を書かせるケースはあるかもしれません。しかし、酒気帯びで出勤してきたことに対し、何度注意しても繰り返しということならばともかく、1回目で懲戒解雇や諭旨退職にすることは法的にも社会通念上も行き過ぎでしょう。

しかし、航空会社は人の命を預かる仕事をしています。ましてパイロットはその最大の担い手です。航空法でも当然飲酒による操縦は禁止されています(航空法第70条)。

万に一つの事故があってもいけないわけですから、乗務前に飲酒をしたパイロットが懲戒解雇や諭旨退職を含む厳しい処分を受けることには妥当性があるということです。

■社内規則に対する違反は重大である

第2は、社内規則に違反したということです。

ANAでは、乗務前12時間以内に飲酒をしてはならない「12時間ルール」を社内の規則で定めていました。ところが、当該機長は25日の朝8時過ぎの便を操縦する予定だったにも関わらずそのルールを破り、24日午後5時頃から、日付が変わる前後まで飲み続けていたということです。しかもハイボール6杯、ビールと泡盛各2杯と、相当な飲酒量だったということです。

飲酒量についての定めは事件発生当時「本部長通達」に留まっており(事件を受け、現在は正式な社内規程化)、諭旨退職の根拠としては弱いです。しかし少なくとも「乗務前12時間以内に飲酒をしてはならない」という明確な定めは存在していたわけですから、その定めに違反したことは悪質性が大きく、弁明の余地は無いということです。

スカイマークでも11月14日に米国人男性機長に飲酒の陽性反応が出ましたが、こちらは飲酒量の自覚は欠いていたものの、ANAと同様に定められていた「12時間ルール」は守っていたということで、ANAの機長ほど厳しい処分はなされなかったようです。

■飲酒の事実を隠そうとした可能性

第3は、機長の報告が「事実を正確に伝えていなかった」ことも諭旨退職という処分に影響を与えたのではないかということです。

報道されているところによると、機長は所属部署へ「体調不良で乗務ができない」という形で報告し、それが飲酒によるものであることは、当初は明らかにしていなかったようです。先ほど引用した日本経済新聞の記事でも「同社が調べた結果、飲酒の影響と判明した」と報道されています。

これが事実だとすれば、機長は単なる体調不良ということで飲酒の事実を隠蔽しようとし、その後の調査で飲酒が発覚したため処分が重くなった可能性も

考えられます。機長が最初から自らの非を認め潔く報告をしていたら、処分は謹慎や降格などに留まっていたかもしれません。

■直近、社内で同種の問題が発生していた

第4は、社内で同種の問題が発生し、再発防止を促していた矢先の出来事だったことです。

10月上旬に同社のパリ支店長兼ブリュッセル支店長が出張のため自社の飛行機に搭乗していたところ、ワイン6杯を飲んで酔った状態で、隣席の乗客に怪我を負わせるという事件が発生しました。ANAはこの支店長を諭旨退職処分にするとともに、会長及び社長の役員報酬の一部返上や、社内の引き締め施策を発表していました。そのような中、今回の機長の飲酒事件が発生したわけです。

航空会社の社員、しかもパイロットであるにも関わらず飲酒に対する自覚が無かったとして厳しい処分を受けてもやむを得ないでしょう。

これら4つの事情を総合勘案し、諭旨退職の処分が決定したと考えられます。

■飲酒した機長を擁護できる理由

今回の件、機長の飲酒が問題であることは間違いありませんが「体調不良なので乗務を辞退する」と所属部署へ報告し、操縦を見送ったということは、乗客を危険にさらさず、機長として最低限の責任を果たしたと評価すべきことです。

もし、機長が何らかの方法で検査をすり抜けることを考え、万が一にも上空で体調不良に耐えられなくなるというような事態を想像したら、恐ろしいものがあります。

そのような意味において、ANAが「諭旨退職」という、懲戒解雇から「罪一等」減じる処分をしたのは、バランスが取れた判断だったと言うこともできます。

非常に難しい論点ではありますが、飲酒をしてしまった事実は元には戻らないですし、パイロットも人間なので過ちを犯すこともあります。甘いと思われるかもしれませんが、「正しく申告すれば、情状は考慮する」という良い意味での「逃げ道」を作っておくことで、「何が何でも飲酒を隠し通して乗務をしなければ後が無い」というより危険な「やぶれかぶれ」を防ぐことができます。厳しすぎる処分は、かえって隠ぺいにつながるリスクがあることも認識しておかなければなりません。

■起こった後の処分よりも「予防」が最重要

航空会社にとって一番重要なことは、やはり「予防」に尽きます。搭乗12時間前に飲酒をするというような行動をさせないということです。

そのためには研修等によりこれまで以上に飲酒のルールを含む安全運航を意識させることや、アルコール検査のルールを厳しくしていくことなどが必要になります。ANAのプレスリリースによると、そのような形で再発防止を図る旨を国土交通省航空局にも報告済とのことです。

ただ、このような締め付けだけでは不十分かもしれません。パイロットはやはり心身の負担やストレスも大きい仕事です。ルールを厳しくするのに加え、過重労働にならないように配慮をすることはもちろん、会社としてしっかりと体調やメンタルのケアを行うことが必要でしょう。「不安」や「寝付けない」といった理由で深酒をするパイロットがいないよう、しっかりフォローしていくという措置も加われば、さらにパイロットの飲酒防止施策の実効性は高まるのではないでしょうか。

そして、会社がそこまでの配慮をしてもルールを破って乗務前の飲酒をしてしまうようなパイロットがいたならば、たとえ未遂であっても懲戒解雇や諭旨退職は必然です。その上で、万が一飲酒をしてしまったことに対する自主的な申告があった場合は、情状に応じて処分を減免するという運用が、バランスとしてもベストでしょう。

【関連記事】

榊裕葵 ポライト社会保険労務士法人 マネージング・パートナー 特定社会保険労務士・CFP

【プロフィール】

上場企業の経営企画室等に約8年間勤務。独立後、ポライト社会保険労務士法人を設立。勤務時代の経験も生かしながら、経営分析に強い社労士として顧問先の支援や執筆活動に従事。近年はHRテック普及支援にも注力。

注目記事