これからのグローバル社会で本当に必要な事は「英語を書く技術である」、と前回の記事ではお伝えしました。英語を書く技術は、英語によるコミュニケーションの補助的機能となり、同時にビジネスで強力な武器にもなります。ただ、それほどまでに重要な技術が、なぜこの日本で浸透しないのでしょうか?
■「作られた世界だと気付かない」---心理
心理学者のマーティン・セリグマンの実験を応用したカワカマスを使った実験をご存知でしょうか?
小魚を餌にするカワカマスは、小魚がたくさん泳ぐ水槽に入れられるわけですが、中央部分が透明ガラスで仕切られており、ガラスの向こう側に入れられたカワカマスは小魚に近寄ることができません。ご馳走めがけてカワカマスは何度も透明ガラスに突進しますが、そのうちに口先を痛めて突進を諦めてしまいます。そのころに、ガラスをそっと外すのですが、カワカマスは敷居がないにも関わらず小魚には近寄らないで、ガラスがあった手前をグルグルと泳ぐだけになるのです。
先入観や固定観念がカワカマスの記憶にインプットされてしまえば、敷居がなくなった変化に気づかず、今ある状況に疑いを持つことすらしなくなる。このことを「カワカマス症候群」と呼ぶそうです。
日本のビジネス英語教育もこの「カワカマス症候群」に似ている気がします。次世代の英語の使い方を正しく指示されていない学習者は、今そこにある英語教材を手に取り、ネイティブONLYの世界でしかトレーニングしなくなる。これが次世代を見据えたグローバル教育として正しいものかというと、私は素直にYESとは言えないのです。
■「自己陶酔な学習」--昔と変わらないトレンド
もちろん、スタンダードなネイティブ英語学習は重要だと思います。ところが、『ハイレベルな英語知識』や『ネイティブのように話せる』が学習者の目的となってしまい、英語を学ぶ本来の目的『伝えるコミュニケーション』が抜け落ちた学習になってしまっているようです。これは、以前から指摘されている点ですが改善される様子はありません。
『ハイレベルな英語知識』や『ネイティブのように話せる』は甘い誘惑であり、学習者に軽い優越感を覚えさせるのですが、実際現場では使えないために、自己満足になるケースが多くあります。自己満足の悪い例が、ネイティブ学習に麻痺し過ぎて仕事で致命的なミスを起こした私のようなケースです。こんなことがないよう、皆さんはくれぐれも注意していただきたいと思います。(前編参照)
■「共通認識を持つべき」--次世代グローバル意識
時代は変わり、先進国だけが経済を引っ張るという構図はなくなりました。これからは途上国を含め色々な国々とのやり取りがグローバル人材には必要とされてきます。つまり英語が第一言語ではない人々とのコミュニケーションです。Ethonologueという団体が世界の言語話者数(第一言語)のランキングを毎年発表しているのですが、
1位-中国語(12億人)、2位-スペイン語(4億人)、第3位が英語 (3億人)、第4位がヒンディ語(2.6億人)
という結果をみると、これからはネイティブ相手の対話だけではないことを示唆しています。もちろん、このデータが話者数を正確に表しているわけではなりませんが、英語を使えてもかなり(発音やイントネーション等で)特徴のある人たちとの対話機会が増える傾向であることに間違いはないでしょう。
これを受けて、今日本人が必要とするビジネス英語とは何かを今一度考えるべきかと思うのです。
そして、私の答えは以下としました。
『グローバル社会における"共通認識"のための英語』
原点に戻れば、英語はそもそも伝えるためのツールであり言語です。したがって、英語自体(What)を学ぶというより、英語を使ってどう意思を伝えるか(How)が重要です。もちろん、そのHOWには英会話も入るわけでが、やはりここでも話すより書くことが"共通認識"のために必要だと思うのです。
■「次世代グローバルビジネスの難しさ」--実際の経験より
私がアジアのある地域で政府関連の資金調達案件に携わったときのことでした。この地域と仕事をすること自体が初めてで、お決まりですが期待と不安が混じった気持ちで取り組み始めたことを覚えています。プロジェクトメンバーとのキックオフミーティング(顔合わせ会議)が終わり、その後プロジェクト本格遂行するため、必要事項の認識合わせをしはじめた時、自身の不安が期待を一気に上回ったのでした。
ストーリーはこうです。
(私の知る限り100%の確率で)彼らは言葉の最初に必ず「NO」をつけます。そして自分の主張を強引に押しきる国民性なのかもしれません。そんなわけで、電話コンファレンスでも会議でも、人の話をあまり聞き入れないこの態度はビジネス遂行上かなり難易度の高い案件でした。しかし、これではビジネスにはなりません。彼らにも我々の主張を聞いてもらわないといけないわけです。
ここで"共通認識"が大事になってくるわけですが、"共通認識"という言葉は、自分と相手が同じ意識を持ち、理解しあうことで初めて成立するものです。ビジネスでは重要ですし、基本動作です。したがって、"共通認識"とは英語そのものだけを指した"共通言語"とは全く違うモノであることに、注意していただきたいと思います。
理解していたとこちらが思っても、相手が理解していないのはザラ、「わかったわかった」という口返事が翌日ひっくり返されるというのはよくある話です。そして途上国だけでなく、これが南欧地域のような先進国でも起こりうる事象だということです。私の元同僚のネイティブでさえもビジネスを進めるのに苦戦したと聞けば、いかに難しいことかがわかっていただけると思います。
■「書くツールは必要不可欠な時代に」--必要なグローバル英語
だから、「書いて」共通認識を持つことが重要になるのです。
英語使用の目的は、相手と"共通認識"を持つためのツールです。どれだけ"共通言語"の発音がネイティブに近かろうが、ペラペラ話せようが、相手が理解してくれないのであれば価値がないのに等しいわけです。
確かに、話す伝達方法は書く伝達よりも圧倒的に早い。ところが、音やスピード等環境に応じて相手の理解度が落ちていくリスクが、話すという伝達方法には内包されていることに注意しなければなりません。
ビジネスでいうコミュニケーションリスクを想定した場合、会話だけで私の言う"共通認識"を成立させることは簡単ではありません。一方で書くということは、ビジネスの基本であり、またよっぽどのスペルミスがない限りは"共通認識"としての有用なツールとなりえるわけです。
話す技術は、その後で十分成長できます。
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JB SAITO 経済&英語ライティング-プレゼン講師