石破 茂 です。
朝鮮半島情勢がにわかに緊迫の度を高めています。懲罰的・報復的抑止力が十分に機能しない、想像を絶する独裁体制の国相手なのですから、予想もしない展開となることを覚悟しなくてはなりませんし、想像力の限りを尽くしてあらゆる事態に対応できる体制を構築しておくことが政府の国民に対する責任です。
ミサイル防衛の実効性向上、在外邦人退避、日本国内におけるテロ対応、武装難民を含むかもしれない流入難民対策等々、法律・装備・人員・運用すべての面にわたって可能な限りの手立てを尽くすことは当然です。
あらゆる事態を想定し、心配して心配して対応を考え、結果として「ああ何もなくてよかった」と言えることが危機管理の基本であることを改めて痛感しています。
イオンの岡田元也社長が取扱商品の値下げにあたって「デフレ脱却はイリュージョン(幻想)だった」と述べています。私は必ずしもそうは思いませんが、物価上昇それ自体を政策目標に掲げることにはある程度の違和感があることもまた事実であり、むしろ賃金の上昇を政策目標に掲げるべきではないかと思っています。
社会主義国ではないので政府が命じて賃金が上がるものでもありませんし、政府・与党として経済界に賃金の上昇を要請し、それなりの成果は得ていますが、可処分所得の増大、生産性の向上のための諸政策こそが重要であると考えます。
12日水曜日、2時間だけ地元に帰り、6月17日より運行を開始するJR西日本のクルーズトレイン「トワイライトエキスプレス瑞風」の停車駅となる山陰本線東浜駅のリニューアルオープンと旧保育園を改装したレストラン「アルマーレ(イタリア語で海浜の意)」のお披露目に参加してまいりました。
サプライズの形で城崎方面から「瑞風」の車両が入ってきて、出席した人は大喜びでしたし、帰京の飛行機の時間が迫っていたので試食会には参加は出来ませんでしたが、イタリア製の石窯を使って新鮮な海山の幸を焼き上げるイタリアンレストランも、日本海の絶景を臨む最高のロケーションと相俟ってとても期待が出来そうに思いました。
東浜駅は、私にとっての鉄道の原風景の一つであり、幼稚園児から高校生まで、ひと夏を過ごしたこの地域がとても賑やかだった往時が偲ばれて、感慨深いものがありました。一昨年だったか、交通新聞社から依頼されて小型時刻表に載せた雑文の末尾の文章は東浜駅での思い出を記したものです。
先週もお知らせしましたが、8日土曜日に岐阜県飛騨市で行われた「おくひだ1号」の復活運転と日本ロストライン協議会の設立総会は期待以上に素晴らしいものでした。あいにくの空模様にもかかわらず、のべ5千人を超える参加者が集まり、10年ぶりに列車が走るという感動を共有しました。尽力されたNPO法人神岡・街づくりネットワークの鈴木進悟理事長や都竹飛騨市長をはじめとする皆様に心より敬意を表します。
明日15日に久しぶりの新著となる「日本列島創生論 地方は国家の希望なり」(新潮新書)が発売になります。2年間の地方創生担当大臣在任中に感じた思いを記したものです。
マスコミは「政治の師と仰ぐ田中角栄元首相の『日本列島改造論』にあやかった題名の本を出版することにより総裁選の支持拡大を狙ったもの」というような、相変わらず政局に絡めた取り上げ方しかしていませんが、大臣を退任した際、在任中に学んだことや新たになった自分の考えを明らかにし、世の批判を仰ぐのも政治に携わる者の大切な務めだと思っています。
自著のことで誠に恐縮ですが、お目をお通し頂ければ幸いです。
週末から週明けにかけては、15日土曜日に自民党とちぎ未来塾第8期開講式で講演(正午・ホテルニューイタヤ・栃木県宇都宮市)、自民党愛知県連日進市支部にて講演(午後5時半・日清市民会館)、日進市支部の方々との夕食懇談会(午後6時・日進市内)。
16日日曜日は自民党鳥取県連常任総務会(午前11時・鳥取県連)、平成29年さつき会(後援会女性部)春の懇親会(午後1時・ホテルニューオータニ鳥取)ならびに鳥取市商工会合併10周年記念講演会(午後4時・同)にて講演、どんどろけの会(勝手連的支援団体)主催「政治生活30年を祝う会」(午後6時・ホテルモナーク鳥取)。
17日月曜日は「大竹まことゴールデンラジオ」出演(午後2時25分・文化放送)、自民党茨城県連県政懇談パーティ(午後6時・水戸プラザホテル)、という日程です。
花冷えが続いていた都心にもようやく暖かさが戻ってきました。
皆様お元気でお過ごしくださいませ。
追記
今年がJR発足30年ということもあり、最近鉄道に関する取材を多く受けますが、本文で書きました小型時刻表(交通新聞社刊)に載せた雑文は以下のとおりです。
わが思い出の列車
この原稿の依頼を受けた時、真っ先に頭に浮かんだのはかつて山陰線のクイーンであった「特急まつかぜ」と「特急出雲」であった。昭和40年5月号の時刻表を見ると、山陰線を走る特急は「まつかぜ」のみで(浜田・新大阪間の「特急やくも」の運行は同年10月から)、京都・博多間13時間余のロングラン、食堂車を含む堂々13両編成の颯爽たる姿はまさしく「特別な急行」であり、我々子供たちにとっての憧れの存在であった。その姿を見るだけでとても幸せな気持ちになったものだし、数年に一度、乗る機会を得た時は天にも昇る心地であった。
山陰と東京を直通で結ぶ唯一の列車であった「出雲」は昭和47年春のダイヤ改正で急行から特急に格上げされた。九州路線からの転用ではあったものの、あの優美な20系車両が鳥取駅に滑り込んできたのを見た時、山陰線に本当にブルートレインが走ることがにわかには信じられなかった。あの時の驚きと感動を私は今も忘れない。その年高校進学で上京したものの、東京の雰囲気にどうしても馴染めず故郷が懐かしくてたまらなくなった時、東京駅の東海道線ホームに昇って発車前の「出雲」から聞こえてくる山陰・鳥取の言葉に懸命に耳を傾けたものだった。「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」、啄木の歌をまさしく地で行く心境であった。
昭和61年、衆院議員になって以来、ブルートレイン「出雲」には、平成18年3月のダイヤ改正で廃止されるまで、恐らく最低月に4往復8回、総計1000回以上は乗ったと思う。時には4晩連続で乗ることもあったが、それが少しも苦にならなかった。あの10時間余りの「自分だけの時間」にどれほど救われたことか。好きな本や必要な資料を読み、好みの酒や肴を飲みかつ食し、ウォークマンや個室寝台備え付けのVHS再生機(両者とも今は絶滅状態)で音楽や映画を楽しむひとときは私にとって至福で珠玉の時間であった。「出雲」車中での気分転換がなければ、衆院議員を続けることは出来なかったかもしれないし、今の自分もなかったかもしれない。
時は流れ、「まつかぜ」は鳥取・益田間を結ぶ「スーパーまつかぜ」として、「出雲」は伯備線経由の「サンライズ出雲」としてその名を残して運行されているが、機能性重視のビジネス列車の性格が強い。私にとっての鉄道は単なる「移動」ではなく非日常性をその本質とする「旅」なのだが、両者とも早くて快適ではあるものの、残念ながらかつての風格や旅情はほとんど感じられない。
抜けるような青空が拡がり、夏草が生い茂り、蝉の大合唱が聞こえる山陰線の鄙びた無人駅。通過待ちをするSL牽引の普通列車。ホームに降りて待つ私たち子供の前を轟音と共に通過する特急「まつかぜ」。過ぎ去った後にはただ蝉の鳴き声だけが聞こえている・・・あれから半世紀近く。夏が巡ってくるたびにふと思い出されるこの光景が私にとっての鉄道の原風景なのである。
(2017年4月14日「石破茂オフィシャルブログ」より転載)