天国?地獄? 写真家in上海 (ユルい人にでも出来る海外生活) No.2

上海に行った理由、一番大きいのは広告写真家としての経済的な理由ですが、それに加えて若い頃から「魔都」と言われた上海に憧れがありました。

上海に行った理由、一番大きいのは広告写真家としての経済的な理由ですが、それに加えて若い頃から「魔都」と言われた上海に憧れがありました。20〜30年代の一流建築家が競ってデザインした優雅な西洋建築は今も残っているので、ちょっと散歩するだけでパリやロンドンの下町に迷いこんだような錯覚に陥ります。西洋と中華テイストが混ざった素性の怪しい変な建物が多いのも楽しい。清朝時代から変わらない庶民の生活と租界の欧風な町並み、そこに50階〜100階の高層ビルがポコポコ混ざってる感じ。西洋、東洋、過去、未来がそれぞれ混ざらずに複雑に交差してる街です。

なによりも私が気に入ってるのが美しい洋館に普通の(多くの場合普通以下の貧乏な)家族が住みついてる事です。例えばシンガポールなどの再開発で小ぎれいになったコロニアルハウスが「漂白された剥製」だとしたら、上海の洋館は「傷つき骨や内臓がはみ出ても生きながらえてる老いた獣」と言うイメージです。

アヘンで大儲けした英国人などが贅を尽くして立てた館は、戦争中に日本軍が摂取し、戦後は持ち主に返却される事無く共産党の物になりました。外灘や一等地の大きなビルは党の機関が入居したんですが、個人邸宅などは、適当に割り当てられたか、早い者勝ちで占拠した人達が住みついたようです。もちろん一家族で住むには大きすぎるので各部屋に個別の家族が入り、大きな館などでは4〜6家族が一軒をシェアしてる状態です。....と言う歴史的経緯があって、もし一軒の権利関係を整理して売り出せば5〜10億円もするようなヴィラが、リノベーションも掃除もせずに生活の為だけに使われてます。洗濯物だらけの洋館を見ていると「傍若無人で差別的だった貴族の娘が零落していく」のを見るような快感と哀れが混ざった感情が湧きます。ま、その歴史の隙間に「侵略者ニッポン」も存在したはずなんですが(幸か不幸か)見事に痕跡を消されてます。まるで英仏から分捕ったのは中国だ!と主張するように....。

こうやって書いてて思うのは、私、別に中国が好きなわけじゃなくて「元租界だった現在の上海」が大好きなんですね。あ、中国が嫌いだと言うわけではありませんよ。この国は大きすぎて複雑で秘密が多すぎて、簡単に好き嫌いが言えないところがあります。

面白いのは中国本土の人達にとって香港、台湾はおろかシンガポールも全て「俺達、同族じゃないか....」と言う気持ちがあるのに対して、相手は「イヤイヤイヤイヤイヤイヤ....ちょっと待って」と言う全否定はしないけど逃げ腰になる反応が多いこと。上海でも「田舎モンはこれだから困る。地方人は野蛮で仕方がない」って上海人はけっこう言うんだよね。元租界だった場所の精神は欧化して簡単に元に戻らないのかも。もっと言えば明治から敗戦までの日本も自分たちが先に欧化したんでアジアに対して差別的になったんでしょうね。つまり西洋の価値観の中に構造的にある差別がアジア人同士の中でも格差があれば機能してしまう、と言う事じゃないのかな。

フランス租界が中国人とフランス人で共存して美しい町並みを作ったのに比べて、こっちはローカルの貧乏長屋と金持ちの館のコントラストが激しい。

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