継承する京都・巨椋池のハス/「攪乱」が持続可能性の鍵

夏の花といえばハス。ハスを末永く楽しむためには、意外なものが必要であることがわかってきたようです。

森林文化協会の発行する月刊『グリーン・パワー』は、森林を軸に自然環境や生活文化の話題を幅広く発信しています。8月号の「時評」欄では、夏の花の代表格であるハスについて、京都学園大学教授・京都大学名誉教授の森本幸裕さんが論じています。ハスを末永く楽しむためには、意外なものが必要であることがわかってきたようです。

夏の花といえばハス。京都大学防災研究所宇治川オープンラボラトリーの巨椋池(おぐらいけ)模型ビオトープでも、オグラノカガヤキという品種など数種のハスが観賞できる。

ここは低湿地の敷地特性を活かして、今はなき巨椋池を平面スケールで1/200、深さはほぼ原寸の1mとし、周辺山地は高さスケール1/20で、約50m四方の土地に再現した流域地形模型でもある。中川一防災研究所教授や澤井健二摂南大学名誉教授らが、2014年度から整備されているものだ。

●三木茂博士による巨椋池の植生図。ヨシ、マコモ、ハス、ヒシ、オニバス、ガガブタの6種の大群落と複雑な汀線が、かつての水位変動と洪水攪乱を物語る(1927年、京都府史蹟勝地調査會報告第八冊より)

このあたりは琵琶湖からの宇治川、京都北山や亀岡盆地からの桂川、三重県青山高原や笠置方面からの木津川の3河川が合流して淀川となるところ。天王山と男山が形づくる狭窄部のために、一帯は広大な氾濫原低湿地となっている。

かつて巨椋池は、食虫植物ムジナモの産地として天然記念物に指定された面積約8km2の生物多様性の宝庫で、わが国の水生植物の85%の属を産したという。大雨時には遊水池となり、内水面漁業とともに、和辻哲郎の紀行文「巨椋池の蓮」でも知られるように、蓮見文化にも貢献する自然資源でもあった。

しかし、1933(昭和8)年から1941(昭和16)年にかけて行われた干拓によって水田と化し、一部では都市化も進んだ。そして氾濫原の生物相の危機が深刻となった今、改めて往時の姿を偲ぶビオトープが作られたわけだ。

一方、琵琶湖の一角、滋賀県立琵琶湖博物館の立つ烏丸(からすま)半島にあった、約13haのわが国有数のハス群生地が壊滅状態となったのは昨年のことだ。

専門家たちの調査によると、琵琶湖の気象条件や水質に、例年と比べて特異な状況はなかったにもかかわらず、湖底は貧酸素状態でメタンガス濃度もたいへん高く、植物生育が困難な状況となっている。

ここにハスが生育しだしたのは40年くらい前から。繁殖していく中で、有機物が湖底にどんどん堆積し、過密な生育状況となっていたという。つまり原因はハス自身の成長にあったわけだ。

両者の違いを考える時、植物学者の故三木茂博士による巨椋池の調査報告が手がかりとなる。優占種の分布図には、ハスやマコモなどのほか、攪乱環境で発芽する一年草のオニバスも記されている。

万葉集の時代には「巨椋の入江」と呼ばれ、宇治川と一体化していたが、秀吉の時代に始まる堤の建設や、明治以降の河川改良工事で巨椋池の水の滞留による汚染が顕著となったものの、それでも雨季には乾季より1㍍ほども水位が上昇したという。

さらに大雨で発生する洪水氾濫が、複雑な汀線と砂や泥など底質の種類、水深、栄養状態など立地条件の多様性を生み、多種の共存を可能にしていたと考えられる。富栄養な立地を好むハスではあるが、溜まっていく有機物を除去する攪乱プロセスの有無が、持続可能性を左右するようだ。

巨椋池に生えていたハス。今も地元で大切に育てられている(森本幸裕さん提供)

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