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2015年12月20日 21時35分 JST | 更新 2016年12月19日 19時12分 JST

福島とチェルノブイリ、事故5年目の比較/「除染して帰還」か「汚染地は放棄」か

「福島」と「チェルノブイリ」の5年目を比べてみると、向かっている方向が大きく異なることに気付く。

森林文化協会の発行する月刊『グリーン・パワー』は、森林を軸に自然環境や生活文化の話題を幅広く発信しています。12月号の「環境ウォッチ」では、環境ジャーナリストの竹内敬二さんが、原発事故から5年後の福島とチェルノブイリを比較しています。

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東京電力福島第一原発の周辺では放射能汚染を減らす除染作業が続き、いくつかの町ではすでに住民の帰還が始まった。福島原発事故から4年半が経つ。私はかつてチェルノブイリ原発事故から4年が過ぎた現地を取材したことがある。事故後の時間でいえば、ちょうど福島の今に当たる。「福島」と「チェルノブイリ」の5年目を比べてみると、向かっている方向が大きく異なることに気付く。

福島の汚染地域は、汚染が比較的軽い「避難指示解除準備区域」(年間積算線量が20mSv以下)と「居住制限区域」(同20~50 mSv)、そして汚染の激しい「帰還困難区域」(同50 mSvを超える)に分けられている。

前二つの区域について、政府は2017年3月までに大規模な避難指示解除を目指す。10月に、その区域をバスに乗って回った。

無人の桜並木を除染

田村市の都路(みやこじ)地区。除染が進み、昨年4月、最初に避難指示が解除された。

田んぼは黄金色の稲で埋まり、刈り入れも始まっていた。「人が帰ると田んぼがきれいになって地域が生き生きする」という言葉通りの光景だ。

都路ではおよそ半数の人が帰還している。仮設住宅との二重生活も多いが、帰還は順調な方だ。ところが、解除から1年経った川内村東部地区は世帯の3割、解除から1カ月半の楢葉町では2700世帯中の200世帯しか戻っていない。買い物のしやすさなどが影響する。

都路から、さらに東(太平洋側)に向かった。大熊町には今年3月、福島第一原発で働く人々に食事を出す給食センターができた。1日3000食。周囲はまだ無人だが、大勢の人の往来は地域を活気づける。

●立ち入り禁止のフェンスと、保存か撤去かが問題になった「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれた看板=2015年、福島県双葉町(撮影・竹内敬二)

除染は表土を剝ぎ、屋根瓦を磨くなど地道な仕事だ。大熊町の南の富岡町には桜で有名な夜の森公園がある。一帯は無人だ。道路脇の桜並木は、一本一本の木の周囲で土が削り取られていた。「ここまでするのか」という感じだ。

帰還を目指す人の悩みは空き巣や動物による家の傷み。楢葉町では「家の中はネズミとイノシシの糞だらけ」という話を聞いた。イノシシは冷蔵庫の中のものさえ食べ散らかす。子どもがもらったトロフィーの上にイノシシの糞があるような光景を見ると、「帰還の意思が折れる」そうだ。

なかった住民帰還の計画

チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に旧ソ連で起こった。私が初めて現場に行ったのは1990年の6~7月だった。

無人地帯は広大だった。事故後、まず原発半径30km圏内に住む11万6000人が退去した。その後も点在する高濃度汚染地からの疎開が続き、無人地帯の総面積は5000平方km以上、疎開人口は40万人以上とみられる。

90年当時は事故炉以外の炉がまだ稼働していた。その後全基が停止したが、原発では今も廃棄物の処理などに多くの人が従事している。

原発とその近傍では事故処理のために多くの人が働き、周辺は無人地帯というのは福島と同じだ。しかし大きな違いは、チェルノブイリには今も昔も、住民帰還の計画が基本的になく、課題はおおむね新天地での生活に関することだ。

90年以降も数年ごとにチェルノブイリを訪れたが、無人地帯は放置されたまま。家々は崩れ、畑は森に返りつつある。

住民は集団で移転した。森を切り開き、国が数十~100戸単位で新しい村を造った。国土が広く、当局が何でも決定できる政治体制だったからこそできた。

●事故から4年後に移住が決まった人たちが 、汚染された野原で別れの宴会を開いていた=1990年、ウクライナのナロージチ地区(撮影・竹内敬二)

老人たちは新しい村や都会のアパートで望郷の思いを語りつつ、諦めて死んでいった。06年にも移転後の村を取材したが、老人が減り、故郷を懐かしがる人は極端に減っていた。

「経済合理性」の視点も

チェルノブイリでも畑を除染する試みはあったが、結局、畑や森を大々的に除染する政策は取らなかった。理由は「経済合理性がないから」だ。取材の中で「土地を削った土をどこに持っていくのか」「お金がかかり過ぎるだろう」といった説明を聞いた。もともとマツとシラカバの林の中に原発と畑があり、集落が点在する地域だった。「作物が売れる農業ができなければ、除染や帰還は意味がない」とも言われた。

福島には、新しい町をそっくり造るような場所はない。何より町のインフラの蓄積がチェルノブイリに比べて膨大で、捨てるわけにはいかない。「元の状態に戻してほしい」という住民の気持ちもある。だから除染する......。

しかし、どこまでやるか。「山や森の除染をどうするのか?」という議論は続いている。そろそろ日本の社会全体で「経済合理性」を考える視点も必要だろう。10月末に発表された復興庁による住民意向調査では「戻りたいと考えている」という世帯は富岡町で13.9%、大熊町で11.4%でしかない。富岡町の50.8%、大熊町の63.5%は「戻らないと決めている」と答えた。あるレベルを超えた放射能汚染には、もはや住民の忌避感が強い。

本当のところ住民は何を望んでいるのか。生活再建のお金の使い方として何が最適なのか。そんなことを、もっと考える時だろう。チェルノブイリの経験も参考にして。