「ハナノキの里」に迫る危機/日本最大の自生地をリニア接続道路が破壊する!

都市計画は、地域の風土に根ざした景観を消失させ、生物多様性の「環」が断ち切られようとしている。

森林文化協会の発行する月刊『グリーン・パワー』は、森林を軸に自然環境や生活文化の話題を幅広く発信しています。11月号の「NEWS」では、森林総合研究所森林遺伝研究領域の菊池賢・主任研究員から、岐阜県中津川市の「ハナノキの里」に迫る危機についての報告を受けました。

岐阜県中津川市千旦林(せんだんばやし)地区の北部、木曽川に面した丘陵地帯に、岩屋堂(いわやどう)という小さな集落がある。ここは絶滅危惧植物ハナノキの日本最大の自生地として知られる場所である。集落南側の湧水湿地を中心に900個体以上のハナノキが生育しており、早春になるとハナノキの深紅の花に森全体が染まる、地域の風物誌となっている。この「ハナノキの里」に今、大規模開発の危機が迫っている。

ハナノキは、樹高20mに達するカエデの一種で、長野・岐阜・愛知の3県にしか自生しない地域固有種である。湿地や河畔に生育するが、近年の土地開発によって自然集団の消失が進んでおり、絶滅が危惧されている。自生が確認されているハナノキが2000個体程度とされるなか、岩屋堂のハナノキ自生地は群を抜いて大きい。

●岩屋堂のハナノキ自生地。溜池の脇に立つ高木がハナノキで、深紅の花を咲かせている。右下で白い花を咲かせている低木はシデコブシ(写真提供:菊池賢氏)

2013年10月、岐阜県は、中津川市千旦林に建設されるリニア中央新幹線岐阜県駅へのアクセス道路建設の計画を発表した。木曽川に架かる既存の「美恵橋」を起点とし、リニア駅や中央自動車道を南北に結ぶ約5kmの自動車専用道路の整備計画である。翌3月に発表されたルート詳細案は、ハナノキ自生地の一部を通過し、岩屋堂集落を真っ二つに分断するものであった。

自生地を育む湧水湿地と人の営み

岩屋堂集落の住民は「岩屋堂はここらじゃ一番歴史が古い。よりによって道路が集落の真ん中を通るとは」と困惑の表情を浮かべる。現在は一面に田畑が広がる千旦林北部の丘陵地帯も、明治期に開拓が始まる以前はマツやススキが生えた広野であった。江戸時代の絵図には、こうした広野に浮かぶ岩屋堂集落が描かれている。岩屋堂の歴史はひときわ古く、江戸時代初期には既に成立していたらしい。現在の集落の住民には10代以上続く古い家系が多く、受け継がれてきた長い歴史を物語っている。

岩屋堂で古くから農業を営んでこられた背景には、湧水湿地の存在がある。集落の水源林として維持されてきた湧水湿地には溜池が幾つも連なり、周囲の田畑が灌漑用水を利用している今も、集落ではこの溜池の水を利用している。粘土層が多い東濃地方には、粘土層の上部にたまった地下水が斜面等から滲み出してできた湧水湿地が数多く点在する。岩屋堂集落は緩斜面に囲まれた平坦地にあり、特に湧水が集まりやすい地形となっている。

●ハナノキの深紅の花(写真提供:菊池賢氏)

ハナノキの日本最大の自生地の成立は、こうした集落の歴史や地理と深い関係がある。ハナノキは湿地を好むとともに、実生の更新には好適な光環境が必要である。岩屋堂の湧水湿地は、集落の水源林として維持されるとともに、用材や燃料を取る里山林として利用されてきたという。繰り返し行われた伐採は、林冠を適度に開放し、ハナノキの更新を促進してきたと考えられる。大規模な湧水湿地と、湧水を水源に営まれてきた里山の暮らしが、日本最大のハナノキ自生地を育んできたのである。

岩屋堂の湧水湿地では、ハナノキの他にもシデコブシ、シラタマホシクサといった絶滅危惧植物が報告されている。溜池では絶滅危惧の淡水魚ホトケドジョウも確認されており、遺伝的に固有であるという。岩屋堂は歴史性と生物多様性とを併せ持つ、貴重な里山なのである。

断ち切られる生物多様性の「環」

その岩屋堂の里山の真っただ中を、自動車専用道路が通過しようとしている。古来の姿をよく残す岩屋堂集落の景観は、道路によって完全に破壊されてしまう。それは、岩屋堂で培われてきた生物多様性の成立基盤を破壊することでもある。

まず挙げられるのは、道路建設が湿地の水環境に及ぼす影響である。道路は盛土・切土によって造られ、湧水湿地のすぐ脇を通過する。盛土は水の流れを遮り、切土は法面から地下水を滲出させ、周囲の水環境を変化させる恐れがある。湿地環境の劣化は、湿地に暮らす生物の存続に悪影響を及ぼすだろう。

さらに深刻な問題は、道路が岩屋堂の「里山」そのものを破壊することにある。里山景観の破壊と同時に、水田や一部家屋の取り壊し、地域共同体の分断化、残された水田の水環境への影響、農作業にも迂回を強いられる岩屋堂の集落機能は、大きく損なわれることになる。「道路が通ると農業は続けられないだろう。景観も壊れてしまって、孫は呼べないんじゃないか」。地元住民は不安を漏らす。

開発に伴い農地の耕作放棄、水源林の管理放棄、土地の転用・開発といった事態が生じた時、人の営みが維持してきた里山の生物多様性もまた、衰退することになるだろう。湧水湿地に支えられた古い里山、湿地と里山の人の営みが育んできた生物多様性という「環(わ)」が、断ち切られようとしているのである。

歴史風土を活かした都市計画を

この道路建設に対して、生物多様性保全・里山保全の立場から、日本生態学会中部地区会・自然保護専門委員会や日本自然保護協会がルート再考の要望書を提出している。地元住民有志も「坂本の湧水湿地を守る会」を結成し岩屋堂の里山の保全を訴えている。しかし県側は「ルートは決定済み」との姿勢を堅持し、都市計画変更手続きを進めようとしている。

伝統的里山の中で地域固有の生物多様性を育み、現在も古来の農村景観をよく留めている岩屋堂は、「文化的景観」を持った、包括的に保全すべき里山であろう。新たな橋を架けずに既存の「美恵橋」を利用するのは財政上の理由であるといい、美恵橋より北側のルートについては白紙状態である。性急な都市計画は、地域の風土に根ざした里山景観を消失させ、そこで育まれてきた生物多様性にも悪影響を及ぼそうとしている。

中津川市はリニアに沸いている。今こそ、地域の歴史や風土を、新たな開発の波が破壊するのを許すのか、活かしながら保全することができるのか、が問われているのではないだろうか。

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