ロシア被災地の現状に福島の将来が重なる?/優遇手当の切り下げに反発する住民たち

環境ジャーナリストの竹内敬二さんが、チェルノブイリ原発事故後30年を経過した被災地の課題を、福島の将来を重ねながら報告します。

森林文化協会の発行する月刊『グリーン・パワー』は、森林を軸に自然環境や生活文化の話題を幅広く発信しています。7月号の「環境ウォッチ」では、環境ジャーナリストの竹内敬二さんが、チェルノブイリ原発事故後30年を経過した被災地の課題を、福島の将来を重ねながら報告しています。

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ロシア・ブリャンスク州は「忘れられた被災地」だ。1986年に起こったチェルノブイリ原発事故で、最も多くの放射性物質が降ったのはベラルーシで、次いでウクライナ。ロシアでは南西部のブリャンスク州に被害が集中したが、状況はあまり知られてこなかった。

しかし、最近になってロシア政府が「放射能が減衰しているので、優遇手当を減らす」という決定を出し、この州の住民が反発するという問題が起きている。

4月初めに同州の都市ノボズィプコフに行った。モスクワから列車で南西へ4時間、さらに車で3時間の移動。着いたのは、広大な草原の中にある人口4万2000人の大きな町だった。

事の発端は昨年10月8日、ロシア政府が「第1074」と呼ばれる決定を出したこと。これは最新のデータで汚染地域を分類し直した「汚染地リストの改訂版」だ。

汚染で手当依存の生活

チェルノブイリ事故後、畑などの積極的な除染はなされなかったが、放射能は時間とともに減衰する。改訂版では、ブリャンスク州で約220地区の汚染レベルが切り下げられ、最も低いレベルのうち約40地区が「もう汚染地ではありません」となった。

ノボズィプコフはこれまで、「強制疎開」に次ぐ2番目に汚染度が高いランクの「本来は住めない、疎開の対象」(1平方km当たり15~40Ci)になっていた。それが今回、もう一段低い「住んでもいいし、疎開してもいい。疎開する場合は国が支援」(同5~15Ci)に下がった。

放射能の減衰は喜ばしいことだが、住民が怒るのは、汚染地の住民向けに支払われてきた優遇手当も切り下げられたためだ。

ノボズィプコフはチェルノブイリ事故後、一度は町全体の疎開が計画された。しかし、町の規模が大き過ぎることなどから、疎開は頓挫した。その後、住民は「地元の農作物の食用禁止」などの制限の中で生活してきた。その分、手厚い手当、優遇措置があった。

年金の支給開始が早く、税金や薬代、列車料金の割引、有給休暇も2倍あった。優遇額は収入の2割に相当していたという。とりわけ、子どもが3歳になるまで働けない母親に出ていた手当は、額も上乗せ率も大きく、主要な生活費になっていた。切り下げは生活を直撃する

ノボズィプコフと周辺の住民は今年初め、「切り下げ無効」を求めてロシア最高裁判所に訴えたが、3月末に退けられた。しかし、「そもそも手当依存の生活になった原因は原発事故なのに」と住民の不満は強い。

●ノボズィプコフ郊外にあった放射能の汚染レベルを示す立て札。1平方km当たり15~40Ciなので本来は住めない=竹内敬二さん撮影

どうなる?避難指示の解除後

ロシア政府は長い間「改訂」をしてこなかった。手当を下げれば、住民の反発が必至だからだ。それでも今回あえて実施した背景には、ロシアの財政危機がある。チェルノブイリ事故関係でも、支出を減らしたいのだろう。

行政当局には、切り下げを地域開発につなげたい思惑がある。汚染が低いレベルの土地は売買ができ、森の木の利用もできる。農場開発なども期待できるとPRしている。ただ市民の多くは「ロシアで土地は余っている。わざわざ汚染地に投資する人はいない」と冷めた目で見ている。

ロシアで起きていることは、「土地がきれいになったので、特別手当をやめ、元の生活に戻ろう」という呼びかけだ。実際、ロシアでは「正常化」という言葉も使われる。

これは福島で起ころうとしていることに重なる。政府は福島県南相馬市の南部などに出されている避難指示を今年7月12日に解除する。対象者が1万人を超える大規模解除だ。これを契機に「本格的な解除」がスタートする。

政府の方針は、放射能汚染が高い帰還困難区域以外については、2017年3月までに避難指示をおおむね解除するというもの。これによって現在避難を強いられている約7万人のうち、約4万6000人が帰還可能になる。

それに伴い、避難者に出ている「月10万円」の慰謝料も、2018年3月で打ち切られる予定だ。自主避難者への家賃補助も同時期に打ち切ることにしている。

「帰れる状態にまできれいになったので、さあ帰ろう」という呼びかけは、当然の流れのように思える。しかし、人の生活は、放射能だけで決まるものではない。放射能汚染で追い出されたのは事実だが、生活の場を一度変えれば人間関係も職業も変わる。子どもが学校に入ると、生活はそこで固定化してしまう。

実際、昨年10月に復興庁が発表した住民調査では、富岡町の50.8%、大熊町の63.5%の世帯が「戻らない」と決めている。放射能云々ではなく、すでに別の場所で生活することを選んだのだ。

理由はさまざまだろう。元通りの農業や漁業ができない、雇用が少ない、帰る人が少ないので昔のにぎわいがない......。

学校の閉鎖は「衰退の象徴」

ノボズィプコフは長い間、「住んでもいいし、出てもいい町」として運用されてきた。人口は事故前の約5万6000人からさほどは減らなかったが、内訳を見ると若い人が減ったという。子どもへの放射能影響を避けるために、あるいは職を求めて、モスクワなどの大都会に流出している。

ノボズィプコフは、「農業・畜産の禁止」→「肉加工・小麦加工・バター製造工場などの閉鎖」→「雇用の減少」→「年金・手当依存の生活」→「若者の流出」→「子どもの減少」、という負のサイクルに陥っている。それに「手当の減額」が追い打ちをかける。ある市民は「地域の衰退の象徴は子どもの減少、学校の閉鎖だ」と言った。

福島も「放射能が下がれば多くの人が帰ってくる」と考えていたら、町づくりに失敗するだろう。放射能でいったん破壊されたコミュニティーは、簡単には元に戻らない。

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