人種差別は思っているよりも根が深かった

自覚なく、悪意なく、ごくごく自然なかたちで人種差別をする人がいるということをドイツで知った。

わたしにとって『人種差別』と聞いてまっさきに浮かぶのは、アメリカです。英語の授業でマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説を聞き、音読させられたから。そこで、黒人が白人にバスで席を譲らなかったことをきっかけに起きたモンゴメリー・バス・ボイコット事件についても習いました。いや、それは社会の授業だったかな。

そういう教材から習ったからか、わたしのなかでの人種差別というのは、『意識的に人種によって人を区別し、不当に扱うこと』というイメージでした。

でもドイツに来てみて、人種差別というのは必ずしも『自覚したあからさまな行為』ではないことを知りました。

日本で抱いた人種差別へのイメージ

『人種差別』はいけないこと。そういう倫理観や道徳心は、大多数の人がもちあわせていますよね。しかし、人種による差別はいまでもなくなってはいません。「白人警官が黒人を射殺した」「収入格差や学歴格差がある」なんてニュースを、今年に入って何度も見かけました。

でもその主語が、『日本』や『日本人』になることは稀です。日本に住んでいる人の多くは日本人の両親から生まれた日本人で、母語も日本語。「就活は黒髪がスタンダード」と断言できちゃうくらいには、人種の多様性がありません。

だからわたしは、『人種差別』は主に欧米で起こっている、いわば倫理観の欠けた白人がそれ以外の人を見下すことをいうんだろうと、そう思ってたんです。

さらにいうなら、人種差別は意識的なものだという認識もしていました。「俺は白人でお前はちがう。だから××だ」というように、本人が「自分が優位」と自覚していて、だからこそ他人を貶すのだと。

わたしはそんなひどい人ではないし、わたしのまわりにもそんな偏った思考をしている人はいない。人種差別は悪いことなのだから、それをわからないなんてやばい人だ。そう思っていたわけです。

実際、ドイツでわたしを「アジア人」と嘲笑する人はいませんでした。自分の経験上。

英語で手続きしようとして無視されてたアジア人は結構見かけたましたが。

ドイツで知ったナチュラルな人種差別

でもドイツで思ったのは、自覚なく、悪意なく、ごくごく自然なかたちで人種差別をする人がいるということです。

人種差別の根深さを感じるのは、仲良いドイツ人に何回も「日本はアジアでも先進国だから大丈夫だよ」「アジアとはいえ日本人なら不利にならないさ」と、笑顔で悪意なく、なんなら親切心からナチュラルにアジアを見下した発言をされたとき。「日本人を認める」発言が上から目線であることに気づけてない

— 雨宮@『日本人とドイツ人』新潮新書 (@amamiya9901) 2018年11月18日

このツイートどおりなんだけど、本当にすっごくナチュラルに、アジアを下だと思っている人がたくさんいるんです。

わたしのイメージでは、「アジアから来たの? ハハン(半笑い)」「アジア人は出てけよ」「日本人がドイツに何しに来たんだよ」みたいな反応が人種差別だと思っていました。アジア人だとあからさまに冷たくされるとか、無視されるとか。

幸いそういう経験はしませんでしたが、差別って、そういうあからさまな行為だけを指すんじゃないんですね。

仲いい人たちが笑顔で、「アジア人でも日本人なら不利にならないよ。君はドイツ語もできるし」「日本人なら大丈夫さ」「日本は先進国なんだから差別されることはないと思うよ」と言ってくるんです。

本人に悪意はないし、なんなら親切なことを言っている、くらいの意識だと思います。でもこっちとしては、「そもそもアジア人が不利になる前提がムカつくし、日本人なら大丈夫ってなんであんたらに認めてももらわなきゃいけないの?」って感じなわけです。

好きでもない男に「お前は女としてアリ」って言われる違和感というか。「お前に評価されずともこっちはこっちでやってるんで!」みたいな気持ちになるんですよ。

こういった発言を『差別』の区分に入れていいかはわかりません。でも「その言い方はアジアを見下してる感じがしてイヤだからやめて」と言っても、たいてい「なんで? 俺、差別なんてしてないでしょ?」って返事が返ってくる。

あーちがうなぁ。と思いました。前提条件や価値観、立っている場所がちがうんです。

人種差別に悪意と自覚があるとは限らない

人種差別って、基本的な概念として『悪』じゃないですか。だから、「まともな人ならやらない、たとえ思っていても表に出さないもの」みたいに思ってたんです。あと、保守的な人が外国人を敵視してるとか、そういうの。

でもそういうあからさまで自覚的な『排除』とはまったくちがうベクトルの差別もあるんですね。ドイツに来て、それを知りました。

そしてこれがすごく厄介で、本人は自分が差別的な言動をしているなんて万が一にも思っていません。だからこっちが指摘してもわからない。本当に、ナチュラルに、上から目線なんです。

で、「じゃあ自分は?」と考えてみると、自分もそういうナチュラル差別をしているのかもしれません。もちろん自分ではその気はないけど、ほかのアジアの国、たとえば日本に出稼ぎ労働者を多く輩出している国たちの人に、知らず知らず上から目線発言をしていたかもしれない。

それって、すごく怖くないですか?

自分は差別なんてひどいことはしない。理解のある人間だ。そう思いながら、無意識で上から目線になっている。

人種(出身国)による差別は、自覚的であからさまなものばかりじゃない。もっと身近で日常のワンシーンに転がっている何気無い出来事なんです。

そう考えると、今後自分のささいな言動も気をつけようと思うし、納得いかないことにはちゃんと抗議する強さをもって相手にわかってもらわないと、と痛感するのでした。

⇒著者のブログ『雨宮の迷走ニュース

⇒著者twitter『@amamiya9901

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