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2018年11月05日 14時55分 JST | 更新 2018年11月05日 15時01分 JST

「闘いはまだ続くけれど、いつか完治した姿で笑いたい」摂食障害について話したら、自分の夢を見つけた

その夜、私は友達と始めて「摂食障害」の話をした。

「私ね、摂食障害の子を集めて、修学旅行をしたいんだ」

野邉まほろさんのその言葉を聞いたのは、今年の春休み。私が初めて、彼女に会いに行った時だった。

私は、中学生の頃から摂食障害と闘っていた。拒食、過食、嘔吐、すべて経験した。人間が生きていく上で必要な「食べる」行為に、暗闇の中でずっと苦しんできた。そんな私は大学一年生の春休み、摂食障害と闘い、克服し、今は都内で社会人をしているまほろさんに会いに行った。新宿のカフェで話をする中で、彼女はきらきらした瞳で私にそう言った。

初めて聞いた時、私は危うく泣いてしまう位感動した。私は今まで、周囲に自分が摂食障害であることを隠してきた。自分以外の摂食障害に苦しむ人と会ったこともなかった。摂食障害の講演会などにはどうしても足が伸びなかった。私が欲しいのは、摂食障害について解説する「先生」ではなく、同じように闘っている「友達」だった。だから、まほろさんが話してくれた「修学旅行」の話は、すごく心に響いた。

「摂食障害ってことを忘れて、ただみんなでバーベキューをしたり、星を見たり、夜更かしして語り合ったり。そんな普通のことが、摂食障害のせいでできなかった人ってたくさんいると思うの。だから、もう一度、リベンジの修学旅行をするの。なくしてしまったものを思い出す修学旅行を」

私は、中学三年生の時、拒食症に陥った。当時私はとある部活で部長を務めていて、成績も上位をキープしていた。しかし、そのプレッシャーと人間関係の悩みに耐えきれなくなってしまった。今までは何かあるとすぐ親に相談していたのだが、その時初めて、親に「わかり合えない」という感情を抱いた。私が必死で頑張っていることを、一番近くにいる人にわかってもらえないという状況は、当時の私には耐えられなかった。毎日部屋で泣いていた。うるさい、と怒られるので、暗い部屋に閉じ籠って、一人で声を殺して泣いていた。自信なんて一ミリもなくなった。学校では、「優等生で明るい子」を振る舞わなければならないのに、家での私はぼろぼろだった。

その時唯一私の自信だったのが、「食事制限できること」だった。元々胃腸が弱かった私は、自分の食事を自分でコントロールすることで、胃腸の調子を保とうとしていた。それがエスカレートした。量を食べなければ胃はもたれない。胃の調子がよければすべてうまくいくような気がした。食べる量はどんどん減り、それに伴って体重もがくんと減っていった。気づいたら生理は止まり、歩くだけで息切れがするようになった。けれど、何もかもうまくいっていなかった当時の私にとって、食事制限は唯一うまくいく事柄だったから、止められなかった。すがっていた。

私は、学校では「普通」であろうとした。けれどもう、限界だった。病院に連れて行かれ、先生に「このままだと死ぬよ」と言われた。その時初めて、枝のようになった自分の身体に気がついた。これが、私の拒食症だった。

拒食から過食に転じたのは、中学から高校に上がる前の春休みだった。私が拒食症になってから、家の空気はぴりぴりし出し、親ともうまくいかなくなっていたのだが、ある日、お母さんと些細なことから大喧嘩をした。その時、お母さんは私に言った。

「あなたと一緒に出かけても楽しくないし、食事をしても食べた気がしない」

その一言は深く胸の奥に刺さった。その瞬間、私の中でぷつんと何かが切れた。あんなに厳格な食事制限をしていたのに、一枚クッキーを口に入れた瞬間、止まらなくなった。無心で、私は食べ物を口に詰め込んだ。胃がはち切れそうになっても、吐きそうになっても、手は止まってくれなかった。恐ろしかった。自分はどうなってしまったのか、わからなかった。

それから、私は過食症の症状と闘うことになった。「お腹いっぱい、ご馳走さま」の感覚がなくなり、とにかく無心に食べ物を「詰め込む」。「味わう」ことは忘れ、ただ作業のように、泣きながらひたすらに食べ物を詰め、その後は激しい後悔と焦燥、そして絶望に襲われた。皮肉なことに、そうした過食によって体重は増え、医師や親からは「よかったね」と言われるようになった。よかったね。信じられなかった。私はむしろ、過食症になってからのほうが苦しかった。今まで唯一うまくいっていた「食事制限もできなくなって、私はただのダメ人間だと。異常を感じた親は、私のことを怪訝な目で見た。「どうして普通に食べることができないの」、それは私が一番知りたかった。助けて、と何度も叫びたかったけれど、どうすればいいのかわからなかった。こんな惨めな自分は、誰からも好かれない。絶対に誰にも言えない。私はまた、学校で「普通」を演じた。そして家では、死にたい、死にたいと泣きながら過食をする。出口のない迷路を歩いているようだった。寝る度に、明日が来るのが怖かった。

それから今日まで、私は症状の波を抱えて生きてきた。全く食べ物が食べられなくなることもあるし、過食が止まらなくなることもあるし、気持ち悪さと罪悪感を消すために吐いてしまうこともある。「食べる」という、生きる上で大事な行為に支障が出ることで、人付き合いも怖くなることがある。大学生になった今も、「こんな私、いないほうがいい」と思い、誰にも会えなくなることがある。

「いつまで私はこんな生活を続けるのだろう」そう思っていた大学一年から二年に上がる春、私はまほろさんと出逢ったのだった。

「今からみんな、敬語禁止ね」

修学旅行の行きのバスの中で、まほろさんは言った。

東京で集合し、知らない人たちに囲まれて、私は緊張でがちがちになっていた。そんな中、「敬語禁止令」が発表された。参加した女の子の年齢や出身、症状は様々で、みんなとどのように接したらいいかわからなかった。けれど、この言葉のおかげで、「あぁ、ここではみんな"友達"として接していいんだ」と思うことができた。始めこそ、初対面の、まして年上の人にため口で話すのは抵抗があったが、一緒に給食を食べたり、運動会をしたりと行動を共にしていくうちに、気にならなくなっていった。みんな気さくに話しかけてくれて、私は自然と心が解れていくのを感じた。私たちは、出身地の話、友達や彼氏の話、趣味の話をした。記念に一緒に写真を撮った。運動して疲れたら気遣いあって、綺麗な夕焼けを見ながら休憩した。

ここに集まっている人たちが、「摂食障害」を抱えているなんて信じられなかった。みんな明るくて優しくて、お洒落でかわいい。道で彼女たちとすれ違っても、彼女たちがどんなことで苦しんでいるのかなんて、きっとわからないだろうと思った。

「食べたいものを食べて、気持ちよくご馳走さまを言おう」

夜はみんなでバーベキューをした。このバーベキューは、とても印象に残った。

美味しそうなお肉や野菜が焼かれるのを見ながら、私は正直不安でいっぱいだった。誰かと一緒に食事をするのは楽しいはずなのに、長年「ちゃんとした」食事をしてこなかった私は、こういう時、いつも周りを気にしてしまう。「みんなと同じくらい食べられているか」「変な目で見られていないか」。けれどそのバーベキューは、そんな心配をせずに楽しめた。量がそんなに食べられなくても、誰も変な目で見ないし、食べたいものを食べて、みんなで笑い合える。みんな、苦しみがわかるのだ。食事の際に、周りを気にしなければならない苦しみが。

そしてその夜、私は友達と始めて「摂食障害」の話をした。

みんなで布団を敷いて、丸くなって座り、誰からともなく自分のことを話し出した。症状も状況もそれぞれだった。摂食障害に陥った理由。失ったもの。誰にも言えない苦しみと、理解されない恐怖。けれどみんな、必死に闘っていた。病気を抱えながら、毎日一生懸命生きていた。やりたいことがあるんだ、と夢を話す友達の瞳はきらきらしていて眩しかった。その瞳が何度、摂食障害のために涙で濡れたかと考えると胸が抉れる思いだった。

「私ね、文章を書くのが好きで」

私もいつしか、自分の夢を彼女たちに語っていた。文章を書くのが好きなこと。まほろさんと会ってから、毎日小説を書いていること。ブログで摂食障害について書いたこと。いつか自分の言葉を綴った本を出したいということ。みんな、真剣に聞いてくれた。みんなの前で自分の夢を口にしたことで、「あぁそうか、私にはこんな夢があったんだ」と実感した。

摂食障害は、お金も時間も奪っていく。何度、自分を傷つけるためにお金と時間を溝に捨ててきただろう。考えるとひどく悲しくなる。けれど、私たちには「やりたいこと」かたくさんある。摂食障害なんかより、もっと大切な「やりたいこと」が。

この修学旅行で、私たちは、「新しい楽しみ」をたくさん見つけた。ヨガ教室やヘアアレンジ、そしてメイク。摂食障害に使うお金と時間で、こんなに楽しいことができる。私はそれを身を持って実感した。寝る前にやるヨガは心を穏やかに、朝のヘアメイクは心を華やかにしてくれた。みんなが更に綺麗に変身していく姿を見て、あぁ、なんて素敵な時間なんだろうと思った。その時に撮った写真で、私は本当に楽しそうに笑っていた。

「一万円で、今みんなは何がしたい?」

修学旅行の最後のワークショップで、私たちは摂食障害以外の一万円の使い方について考えた。摂食障害で使う一万円は、一瞬で消えてしまう。そして、自分を傷つけることに使われてしまう。真っ白なノートを前に、ひとつ、またひとつとやりたいことを書き出した。そして、みんなで発表しあった。それぞれ、素敵な「やりたいこと」があった。お母さんと旅行に行きたい、可愛いリップを買いたい、ディズニーランドに行きたい、お洒落してデートに行きたい。毎日を輝かせるための一万円の使い方は、身の回りにたくさんあったことに気がついた。気づいたらノートは、私のやりたいことで埋まっていた。摂食障害という壁で見えなかった、きらきらしたものがたくさんあった。

「また明日から、みんなそれぞれの日常に戻ろうね」

帰る時、私は絶対泣かないつもりだった。けれど、企画運営の方とハグした瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。なんの涙だったのか、形容するのは難しいが、とにかく気持ちが溢れて止まらなかった。修学旅行が終わってしまうのが寂しかった。それもある。新しくできた友達と別れるのが辛かった。それもある。けれど何より私は、「一人じゃない」という温かさで泣いたのだと思う。

今まで摂食障害のことは誰にも言えなかったし、一番近くにいた親には理解されなかった。一人で泣いて、一人で取り繕って笑っていた。けれど、こうして少し足を踏み出せば、同じように闘っている「友達」がたくさんいて、そんな私たちを支援してくれる方々もたくさんいた。「どうせ私なんか」と暗い部屋に閉じ籠っていたら、この出逢いも経験もなかったし、こんな温かさを感じることもなかった。ありがとう、が涙になって溢れて止まらなかった。また会おうね、それまで元気でね。涙でくしゃくしゃになりながらみんなと抱き合った。温かかった。こんなに人は温かいんだと感じた。

修学旅行を終えて、私は「日常」に戻った。そして今、自分の思いを自分の言葉で発信しようと思い、ブログを書いている。

摂食障害になってよかった、と思ったことは一度もない。犠牲にしてきたものはあまりにも多い。拒食症だった頃の影響で、私の消化器官は弱く、代謝も悪い。食べることが怖くなり、吐いてしまうことも多い。「どうしてこんな病気になってしまったんだろう」と後悔して眠れない夜もある。

けれど、前ほど「死にたい」と思わなくなった。先のことを考えると不安で仕方ないけれど、「とりあえず、明日、一日、丁寧に生きよう」と思えるようになった。それは、私が明日を生きる理由を見つけたからだ。それが、私にとっては「140字小説」だった。

もしかしたら、人生なんてそんなものなのかもしれない。一日、一日と毎日を重ねていくのが人生なら、とりあえず明日を素敵な日にしよう、と思っていたほうが楽しい。将来の夢も希望も、すぐには見つからない。それより、明日出るスタバの新作だったり、好きな人とのデートの約束だったり、そういった小さな「明日を生きる理由」があれば、私たちは生きていけるのかもしれない。

今回の修学旅行で、私は改めてそれを感じた。

摂食障害患者は年々増えているともいわれている。予備軍や、病院に行っていない(または行けない)方を合わせたら、驚くべき数になる。治療薬はなく、国から難病指定もされている。

それなのに、世間の理解は足りない。私の親はまだ、私の病気を理解していない。「食べ物を粗末にするな」「そんなの甘えだ」、そんな言葉が私たちに浴びせられる。そんなこと、本人が一番わかっている。わかっているから、苦しいのだ。

摂食障害という病気がどれだけ苦しいか。この病気を抱えて「普通」の毎日を送ることがどれだけしんどいか。笑顔の裏、誰にも見えないところで、どれほどの涙が流されているか。少しでもいい、もう少し知ろうとして欲しい。

そして、もし、今夜も摂食障害で苦しんでいる人がいるなら。Instagramで美味しい写真を載せたあと、指を口に突っ込んで吐いたり、食べられない恐怖でデートを断って泣いていたり、食べたくもないお菓子の袋をすべて開けて絶望していたり。誰にも言えず、「もう死んでしまいたい」、そう思っている人がいるなら。

摂食障害という壁を取っ払った時、自分が何をしたいかを少しだけ考えてみてほしい。そして、どんな小さなことでもいい、「明日を生きる理由」を探してみて欲しい。

きっとこの言葉は、自分自身への言葉なのだ。

最後に。

修学旅行を企画、運営して下さった、まほろさんを始めとする方々に、本当に感謝します。宝物のような経験でした。本当に本当にありがとうございました。

そして、修学旅行の開催を支援して下さった方々。本当にありがとうございました。こんなにも応援してくれる人がいるのを知れたとは、私たちにとって大きな救いになりました。

そして、修学旅行で出逢った大切な友達。みんなの笑顔と、夢を語るきらきらした瞳が大好きです。いつかまた、みんなと会いたい。だからそれまで、どうか自分を大切にしてください。

明日は何をしようか。小説を書こう。バイトの帰りに新作のケーキを買って帰ろう。友達とご飯を食べよう。星が綺麗だったら、夜はお散歩に行こうか。

私の闘いはまだ続くけれど、いつか完治した姿で笑いたいから。その日まで、一日一日を丁寧に過ごしたいと思う。

「今日も頑張って生きた。また、明日」