運動好きの大人が、運動嫌いの子どもを作る

子どもがはじめて出会う運動に「正解」を押し付ける必要はないと思います。運動やスポーツを上手な人だけのモノにしないよう、自分も含めて気を付けていきたいものです。

こんにちはー。

縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

自分は運動嫌いは「運動好き」が作り出すものだと考えています。

子どもを見ていて、生まれながらに「好き」「嫌い」があるとは思えないんです。そりゃ得意不得意はありますが、感情を決めるのは育ってきた環境が大きいのかなと。

この原因を作っているのが、我々運動が大好きな人間だと思うのです。運動が好きなら「楽しさ」や「やり甲斐」を教えられそうなもの。しかし現実には「子どもとの食い違い」で、むしろやる気を根こそぎ奪い、運動嫌いを生み出す原因になるケースがあるんです。

モチベーションの前提が違う

運動好きな人とは、はじめて出会った時の課題が得意だった人が多いんです。

子どもがはじめての運動に出会うのは「体育の授業」や「スポーツクラブ」ですが、ここで最初にやった課題が周囲より得意だと運動にプラスの感情を持ちます。周りより上手にできるって、子どもにとってスゴイ優越感ですからね。

また学校では起こりにくいですが、相対的に集団の中で年齢が低いことも優越感を生みます。とかく年齢で運動能力に差が付く時期。年上に囲まれても同じようにできる。こりゃ嬉しいですよね。

ところが「優越感」をベースにして運動が好きになれる子どもは一握り。周囲より優っているということは、その周囲は平凡・平均なわけですから。一握りに入れなかった子どもは、優越感のベースを持たないまま運動に取り組むことになるんです。

出鼻をくじかれる子ども達

こうしたモチベーションの前提が違うことを理解せず、運動を教えるとどうなるか。自身が優越感を持った課題を子どもに与えれば、彼らも運動の楽しさが分かると勘違いしてしまうんです。そして周囲と競争させる課題を与えがち。

たとえばリフティングをやらせたとしましょう。上手な子は何回も落とさず優越感を覚えます。トップの子は自信を持ち、その後も運動好きになるキッカケを貰うことができました。

では周囲の「それ以外」の子たちはどうでしょう。上手にできれば楽しい、上手にできなければツマラナイ。子どもでも大人でもこの感情は同じです。あの子は何回もできるけど、自分はスグに落としてしまう。何度挑戦してもあの子に勝てない。

運動との出会いで、いきなり出鼻をくじかれてしまいます。

達成、習得にこだわる

以前こんな記事を書きました。これは大人の正解を押付けてしまう典型例だと思います。

「逆上がり」という大人が持つ正解を、子どもに押付けて達成させようとする。子どもが本当に求めていること何だったのでしょか。きっと逆上がりの練習をスグにでも止めて、さっさと別の遊びをしたり、はたまた読書をしたりだったのかもしれません。

大人が考える運動の正解を子どもに押付けるのも、運動好きな人がやりがちです。

鉄棒運動と聞くと、脊髄反射的に「逆上がりだ!前周りだ!!足掛け後ろ周りだ!!」と息を荒くしてしまう。そんなことありません。逆上がりは一つの技でしかありません。鉄棒を使った遊びは他にもいくらでもあります。逆さまにぶら下がったり、鉄棒の上を歩いたり、高い所からジャンプしたり...。鉄棒一つをとっても、無限に遊びが広がっているんです。あくまで、その一つに「逆上がり」という技があるに過ぎないんです。

さらに、殆どの技では「達成・習得」するには地味な反復練習が伴います。地味な練習が悪いとはいいません。地味な練習ほど指示は簡単です。ですが、楽しませるのは至極難しい。子どもに地味な練習に楽しさを感じてもらうには教える側の相当なテクニックか、もしくは子ども自身のモチベーションが必要なんです。

おわりに

運動好きな人は、運動の良さを知っています。運動の楽しさ、素晴らしさ、そして運動がもたらしてくれる豊かさを知っています。

しかしこうしたモチベーションは時として、子どもに運動を教える「こだわり」になります。上達、達成、勝敗、大人が思う正解ばかり子どもに押付けているうちは、運動嫌いの子どもを増やすだけ。

子どもがはじめて出会う運動に「正解」を押し付ける必要はないと思います。

運動やスポーツを上手な人だけのモノにしないよう、自分も含めて気を付けていきたいものです。

(2015年09月13日「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)