最終ステージ後に感じた「安心感」。自分にとってシルクドソレイユの5年半は「修行」だった。

「ショーでの縄跳び」「クラウニング」「アクロバット」のどれも必死だったんですよね。

こんにちはー。 縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

2015年12月11日(金)に、ラヌーバの縄跳びアクトが最終日を迎えました。いくつもの変更や怪我も有りましたが、無事に役目を終えました。

2010年7月3日から5年半。約2500回のショー。思えば長いこと同じステージに立ってきたなぁと。

アクトが最終日を迎えたら、自分はどんな感情になるのかな?と興味がありました。寂しさもあったし達成感もあった。でも不思議と、一番大きかったのは「安心感」だったんですよね。

このときつくづく、自分はシルクドソレイユに修行に来ていたんだと実感しました。

オープニングアクトは、15年で一度もカットになってない

縄跳びアクトを終えた時の安心感は、やりきったという達成感とも違いました。これで開放される、の方が感覚は近いかもしれません。

ひそかにプレッシャーだったのが「オープニングアクト」だったことなんですよね。ラヌーバのオープニングは、縄跳びが入った当時まで一度もカットになったことがなかったんです。

シルクドソレイユではアーティストや機材の調子によって、日々ショーの内容を変化して公演をしています。たとえば空中ブランコの器具が故障して、アクトが丸ごとカットになった事もあったそうです。

でも、ラヌーバのオープニングアクトだけは一度たりとカットになったことがない。この事実は結構重かった。

縄跳びは二人のアクトです。一人が怪我をすればソロになります。仮に二人共が怪我をしたら・・・もうアクトをできる人が居ません。縄跳び専門のアーティストは、シアター内で二人しか居ませんからね。

2010年からの5年半、一度もオープニングをカットすること無く歴史を繋ぐことができた。これが安心感の一つだったのです。

シルクドソレイユは学びの場所だった

もう一つは、自分は「修業の場」としてシルクドソレイユにいました。

修行してる感覚なので、もう一分一秒の全てから学ぼうとします。できる限りのことを吸収してやろう!と、半ば狂気に近い状態で5年半を過ごしていました。

だからこそ「ショーでの縄跳び」「クラウニング」「アクロバット」のどれも必死だったんですよね。

でも頭の何処かに「学び方を学んでやる!」という計算がありました。つまり、この段階で次に進む時の種まきを自分自身にしていたんです。

お陰様でたくさん学べました。でもずーっと神経を張り詰めてたんで、知らずに疲れてました。

打算的だった、でも...

シルクドソレイユを修行だと捉えていた姿勢は「打算的だった」とも言えます。

目の前の仕事に全力じゃないような、どこか不誠実な感じもしますよね。でも、自分はこのニュースを聞いたとき、たとえ打算的であろうとこのやり方を通そうと決心してました。

この当時から、今の状況を想像することができました。いつどのタイミングで契約が無くなるかわからない。ZEDが閉演したときも、突然半年前に通告されたといいます。自分達の縄跳びアクト交換も、わずか4ヶ月前に通告されました。

だからこそ「個」の力を蓄えておくのが最善だと考えました。打算的だったかもしれませんが、これは「個」として生き残るリスクヘッジだったんです。

シルクドソレイユは大きな企業です。でもいまはどんな企業・環境だろうと「個」の力をつける必要があると思うのです。

本当に、いつ、どこで変化するか分かりませんからね。

(2015年12月23日 粕尾将一「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)

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