すべての仕事は道に通ずる(仏教と経営 第7回)

いかなる仕事であれ、仕事をひとつの道としてひたむきに追求することで、日本人は自己を見つめていきます。自己を徹底的に見つめた果てに出会うのは、確固たる自己どころか、固定した実体などかけら程も持たない自己の無根拠さ。しかし同時に感じられるのは、そのような根っこのない自己があるがまま成り立っている不可思議さ。そのとき人は、仕事を通じて自己を再発見するのでしょう。

日本人の仕事はすべて、道に通じます。仏道はもちろん、医道、金融道、アーティスト道・・・ いつの時代も日本人が何かを極めようとすれば、それが道となりました。

江戸時代の禅僧、鈴木正三は、自らの生業において勤勉に働くことがそのまま仏道修行となることを強調しました。キリスト教におけるプロテスタントの考え方にも重なりますが、世俗のなかにこそ真の仏道があると考えた正三は、農民は農民として、職人は職人として、商人は商人として、日常的な仕事に打ち込むことが、すなわち人格の完成につながる修行であると説きました。このような職業観は、多くの日本人が心の奥底で共有しているもののように感じます。

道とは何か。道元禅師はこう言います。

仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落(とつらく)せしむるなり。

ここで語られる仏道も、広く日本人の職業観にも通じるところがあるのではないでしょうか。いかなる仕事であれ、仕事をひとつの道としてひたむきに追求することで、日本人は自己を見つめていきます。自己を徹底的に見つめた果てに出会うのは、確固たる自己どころか、固定した実体などかけら程も持たない自己の無根拠さ。しかし同時に感じられるのは、そのような根っこのない自己があるがまま成り立っている不可思議さ。そのとき人は、仕事を通じて自己を再発見するのでしょう。

■自然観、無常観が日本人の仕事を道としてきた

では、日本人の仕事が「道」となるのは、なぜでしょうか。

ひとつには、自然観があります。

世界でも類のない変化に富んだ四季の移ろい、万物のいのちの源である水の豊かさは、日本人の自然に対する憧憬を育んできました。

そもそも、昔の日本において自然は「じねん」と読みます。親鸞聖人は「おのずからしからしむ」と読んで、世界を今あるようにあらしめる阿弥陀如来の働きを見いだしました。現代語の「自然=nature」のように、人間を除いた自然界、山や川、動植物を指す言葉はもともと日本語には存在しなかったと言います。人間と自然界の間に隔たりを見ることなく、ただ自然(じねん)にあるものがあるようにしてあるだけ。そういう精神風土が日本にはあります。

親鸞聖人は最晩年、「自然法爾(じねんほうに)」、つまり「あるがまま」「そのまま」を強調しています。自己中心的な考えや行動など、すべてのはからいが脱落し、自力による分別を離れたとき、自然の道理、すなわち仏のはたらきによって、あるがままに生かされることを知るのです。そのように日本人にとって、自然とは自己と切り離されて客体的に存在するものではなく、自他を峻別する人間のさかしらを捨てたときに立ち表れる、ナマのままの世界でありました。

そのような風土に生きる日本人の仕事は、そのまま自己を見つめる道となります。それも、自己を他と切り分けて確立しようとする自己中心の道ではなく、自己も他者もすべてが自然(じねん)に溶け合う自利利他円満の道です。「三方良し」にも通じる職業観が生まれます。

もうひとつ、無常観もあります。

東日本大震災で再び思い知らされるところとなりましたが、日本人は大地震や火事など天災・人災にしばしば苦しめられてきました。積み上げた努力も天変地異を前にして為す術はなく、何もかもが一瞬にして水泡に帰します。人生は常に死と隣り合わせ。所詮この世はつかの間の浮き世、死んで持って行けるものなど何ひとつありません。

世の無常を観ぜずにはいられない日本人の宿命を、仏教思想が支えてきました。諸行は無常。人は皆、生まれて老いて病み、そして必ず死ぬ。一切は移り変わり、留まるものなど何一つない。この動的な現実を、静的な認識力で捉えようとするところに苦しみが生ずる。瞬間は常に動的であり、固定した実体はどこにもない。それなのに、変わらない確かなかたちにとどめようと徒労に明け暮れるのが、人間の迷いの姿である。と、仏教は示しています。

変わらないものなど何ひとつない。形あるものは必ず壊れる。このような国でなされる仕事の意味は、商品やサービスなど仕事から生み出されるものそのものよりも、仕事を通じて成長する人の生き様に置かれてきました。

さて、現代はどうでしょう。グローバル企業が力を持ち、国境を超えて人材が流動する社会へと変化するにつれて、欧米的なビジネス感覚で職業が語られるようになりました。今までのように日本的な自然観・無常観に基づく職業観が、暗黙のうちに通用することはなくなってきます。しかし、このようなグローバル時代だからこそ、自らの心性に深く根差した価値観を軸として意識しなければ、根無し草になってしまいます。ビジネスパーソンが世界に出たとき「あなたの信仰はなんですか?」と聞かれ、答えられずに信用を失ってしまったという話を聞くことがありますが、宗教に関わらず自分の中の価値観をしっかりと自覚することによって初めて、多国籍の人材と交わる柔軟性や魅力が生まれるのです。

今こそあらためて、自分の仕事に対する態度や覚悟を明らかにして、世界中どんな人にも伝えられるように準備する必要があるのではないかと思います。そうしなければ、知らずしらずのうちに自分と仕事の関係にゆがみが生まれ、グローバル化の流れに絡めとられてしまうかもしれません。

あなたにとって、仕事とは何ですか?

(こちらの記事は2013年5月27日に「GLOBIS.JP」で公開された記事の転載です)

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