新しい法話のかたち

長い目でお寺という「親から子へ孫へ法の伝わるコミュニティ」を見たときに、ほんの束の間の「今日の布教使さん、ありがたいお話しだったね」という体験は、実はそれほど重要ではないのではないでしょうか。

更新が1ヶ月ほど空いてしまいました。

振り返ってみるとこれまでの人生でも数えるほどの忙しさだったように思います。

先週、「伝わる寺報教室」のテキストが完成して、やっと一息ついています。

少しずつ振り返りながら書いていきたいと思いますが、

この一ヶ月で主にどんなことをしていたかといえば、

1. 新しいかたちの法話(北九州・西法寺さん)

2. お寺の女塾の開催(京都)

3. 「伝わる寺報教室」の立ち上げ(通信講座)

4. 講演会(東松山・浄泉寺さん、仏教壮年会)

5. 未来の住職塾本科講義(全国)

です。

まず今日は、

1. 新しいかたちの法話(北九州・西法寺さん)

について振り返ってみます。

半年ほど前、未来の住職塾 本科第二期に参加されている西村さん(北九州・西法寺住職)から秋彼岸の際に法話をお願いできないかとご依頼がありました。3日間、昼・夜・昼・夜・昼の五席をそれぞれ90分お話しさせていただくという、布教使としてもなかなか気合いの要るご依頼でした。ご相談の中で「せっかくの機会だから、ぜひ未来の住職塾として、新しいかたちの法座を共に作り上げましょう」と意気投合し、ふつうの法座とは違うものに挑戦することになりました。

そもそも「法座って何?」という方のために、少し説明します。お盆やお彼岸などお寺では季節毎に大きな行事に合わせて法要が勤められますが、その際に布教伝道活動としてよく法話の時間(法座)が設けられます。地域性や住職の方針によって法話の時間はさまざまですが、一般に1〜2時間の法座を期間中に1〜5席、開くことが多いのではないでしょうか。

そのお寺の住職自らがお話しすることも多いですが、さまざまな理由(高名な先生のお話しを檀信徒に聞かせたい、いつも住職のお話しだとマンネリ化してしまう、住職があまり法話に積極的でない、等)により、外部の布教使を招くことも一般的です。僧侶である限りは全員が布教使であるべきであるという議論もありますが、得意不得意はありますね。

では、どういう人が布教使をしているかというと、宗派によって事情はさまざまです。特に法話に力を入れている浄土真宗は、住職となる資格を取得した後に、専門コースが用意されています。修了後に布教使として名簿に登録したら、あとはご縁次第で少しずつ法座に呼んでいただけるようになります。お檀家さんが少なく自分のお寺だけでは生活が難しく、研鑽を積んで布教使専門で全国を回られるという方もおられます。実は私も布教使資格を持っていますが、お話しに呼んでいただくのはほとんどが「これからのお寺づくり」といったテーマで、いわゆる「ありがたい法話」ではなかなか呼んでいただけません。

布教使さんはどんな研鑽を積むかというと、まず布教専門コースで一通り「法話の型」を身につけた上で、高名な先輩布教使の先生がお話しされる機会を見つけては聴聞(法話を聴くこと)します。そして、自分の体験談なども織り交ぜながら、自分なりの法話の原稿を作り溜め、それを法座の現場で実演するのです。回数を重ねれば、自分の持ちネタとも言える法話が溜まってくるので、それを携えて全国をまわるようになります。

さて、西法寺さんの法座を引き受けるに当たって、私が挑戦したいと思ったのは「法座の意義を再構築する」ことでした。従来通りの法座のあり方は、ともすれば「布教使の持ちネタの発表会」になりがちです。もちろん、いいお話しは何度聞いてもいいものですし、外部の布教使さんにありがたいお話しをしていただくことは意味あることだと思います。しかし、長い目でお寺という「親から子へ孫へ法の伝わるコミュニティ」を見たときに、ほんの束の間の「今日の布教使さん、ありがたいお話しだったね」という体験は、実はそれほど重要ではないのではないでしょうか。

仏法がそれを受け取る人の「生きる意味」に影響を及ぼすような仕方で伝わるためには、やはり何を差し置いてもそのお寺の住職と長い時間をかけて築き上げた信頼関係、「この住職が言うんだから、自分も真剣に仏法に向き合ってみよう」と思えるような関係性を作ることが、何より大切です。布教使さんがどんなにいいお話しをしても、もし檀信徒が「住職はこんな講師を呼んできて悦に入っているようだが、自分は言ってることとやってることが違うじゃないか」という反感や疑念を常に抱いていたとしたら、ありがたいお話しも耳に入らないでしょう。

繰り返しますが、長い目で布教伝道において大切なのはひとときの「ありがたいお話し」ではなく、時間をかけて培った檀信徒と住職の「揺るぎない信頼関係」です。そう考えると、布教使の仕事は「自分が法を届ける」ことではなくて、「そのお寺の檀信徒と住職の間に、仏法が伝わる関係性を構築・強化することに貢献する」ことではないでしょうか。布教使がよその法座に自分の持ちネタを持参して披露し、法座の後に自分のお話しのファンが増えがことを喜ぶのではなく、事前に法座先の住職の思いや願いをヒアリングした上で法座の中身を組み立てて、法座の後にそのお寺のファン、住職のファンが増えることを喜ぶ。そんな、布教の脇役としての布教使のあり方を考えてみたくなりました。

というわけで、今回の法座の準備に当たって、西法寺さんには未来の住職塾講師の井出さんと二人で事前に現地までお伺いし、ご住職や寺族の皆さんの思いや願いをヒアリングしました。法座のために二人がかりで事前に現地訪問するというのは珍しいことで、そのためにわざわざ東京や京都から北九州まで日帰り出張したことにも少々驚かれましたが、特に今回のように新しい試みの初回には、いくら丁寧にやってもやり過ぎるということはありません。一通りお話しを伺い、当日のイメージを膨らませました。

今回はちょうど、西法寺さんが未来の住職塾で「お寺360度診断」を実施された直後だったので、その結果をお話しの中に差し込みました。お寺360度診断というのは、檀信徒をはじめお寺を取り巻くさまざまなステークホルダー(有縁の人々)に、そのお寺をどう思っているかアンケートで答えていただくものです。普段なかなか得られない率直なコメントをもらって、お寺の運営を改善するために活用していただいています。西法寺さんはとりわけ評価が高く、よいコメントが多かったため、「課題」を取り上げるのが難しいくらいでした。

90分の法座の組み立てとしては、最初に短めのお経を皆で読経した後、私が「お彼岸」に絡めたお話しを導入としながら、「親から子へ孫へと願いをつなぐコミュニティ」としての西法寺に参詣者の意識を向かわせました。そして、お寺360度診断のコメントなどを引用しながら、西法寺がどのような人の願いによって成り立っているのかを共有。最後に、西村住職が登場し、どんな思いでお寺を守っているのか、これからどんなお寺にしていきたいのかなど、住職の思いや感謝の気持ちを檀信徒に手紙として読み上げました。お話しを聞く檀信徒の方の中には、手を合わせながら住職のお話しを聴く方もいらっしゃり、本堂内に静かな感動が広がった感覚がありました。

まだまだ工夫の余地はありますが、初回としてはひとまず成功と言ってよい手応えを私としては現場で感じました。しかし、この新しい試みの成果は、法座が終わった後に「布教使のファン」でなく「お寺のファン、住職のファン」がどれだけ増えるかにかかっています。西村住職からその後の反応なども伺いながら、今後もこの「新しい法座のかたち」の研究を進めていきたいと思います。

写真は西法寺さんの納骨堂。グッドデザイン賞も受賞された、とてもオシャレで機能的、かつ豊かな宗教性も感じられるとても素敵な納骨堂です。

西法寺の法座期間中、未来の住職塾第二期生の遙山さんが佐賀から、田口さんが大分からはるばる訪れてくださいました。西法寺の皆様にも滞在中は隅々までお心遣いをいただき、ありがとうございました。この場を借りて、感謝を申し上げます。

(2013年10月21日「Everything But Nirvana 」より転載)