韓国大統領選と「ろうそくデモ」、日本人留学生の私が目にした歴史的な「光」

韓国大統領選と朴槿恵退陣を求めた「ろうそくデモ」。そこには光が溢れていました。

■大統領選投票日の光化門

韓国・ソウルの空は、どこまでも灰色でどんよりとしていた。PM2.5など大気汚染が深刻だという知人の投稿を数日前に目にしたのを思い出した。空港に降り立った足で地下鉄に乗り込む。日本と韓国を行き来する時に使う、慣れ親しんだ道のりだったが、全く落ち着かなかった。

5月9日は、第19代大統領選の投票日だった。ハフポストのStudent Editorとして韓国大統領選の動向を追ってきた。今、韓国の人たちが何を思っているのか。選挙を迎えた街や人はどんな様子なのか――。慣れ親しんだ韓国の風景がどのように変わったのか肌で感じるために、ソウルへと足を運んだ。

地下鉄を降りて地上に出た。目の前に広がっていたのは、"いつもの光化門"の光景だった。複数車線に車が往き交う。沿道に人の姿はない。がらんどう、という表現がぴったりなほどだ。今日の光化門はもっと混雑していると思っていたが、どうやら違ったようだ。公休日なので帰路につくビジネスマンすらいない。あまりにも人がいなくて、投票日を間違えたのかと思った。雨がしとしと降っていて、肌寒かった。

地上に出て少し歩くと、各放送局の中継車やクレーン車、仮設ステージが見えてきた。人の姿も見えてきた。ホッとした。4〜5車線分を横断歩道で渡って広場に足を踏み入れる。ステージ脇には「第19代大統領選挙 開票放送」の文字が躍る横断幕がかかっていた。各々レインコートを着たり、傘をさしてステージを見守っていた。

彼らはどんな思いで、ここにいるのだろうか。雨が降る中、多くの人が集まっていたが、傘で人の姿が、表情が見えない。広場からは温度が感じられず、雨や傘のせいか無機質に、冷たくすら感じられた。

ハフポスト韓国版編集部の話を聞きに、一度光化門を離れた。キム・ドフン編集長に話を聴き終わった頃、当選確実が出た文在寅氏が支持者に直接報告すると教えてもらった。深夜、再び光化門に向かった。

光化門の真ん中を貫く世宗路にある会館の真横に、トラックステージが組まれていた。到着した頃、文在寅氏はすでに壇上にいて、一目見ようとする人でごった返していた。押し寄せる人波をかき分けて、ステージ脇で様子を見守った。

あたりを見渡す。皆、ステージに集中し、固唾を飲んで見守っていた。「もう一度、祝いましょう!」。文在寅コールを求める登壇者の呼びかけに聴衆も応える。「文在寅!文在寅!文在寅!」。コールに合わせて拳をあげる人もいる。

駆けつけた登壇者が一通りコメントを言い終えた。司会者が「それぞれ表現や内容は違いますが、国と国民を考える考えが…すみません、緊張しているようです」と話すと、のどかな笑い声が広がった。「国と国民を考える思いがとても深くありませんか?」「(今日ここに登壇した)この方々と共に歩めば、文在寅大統領、うまく行くと思いませんか?!」。司会者の呼びかけに、聴衆は歓声をあげて応えた。司会者が「さあ私たち、もう(この場を)撤収しなくてはなりません」と口にすると、名残惜しそうな声があがった。

確かに盛り上がっているのだが、首を傾げてしまった。このくらいの盛り上がりなのか、と。聴衆は当選確実に歓喜していたが、その興奮とともに不思議と穏やかさが感じられた。真後ろに同世代と思しき学生2人がいた。文在寅氏の候補者番号「1」をあしらったTシャツを着て歓喜していたが、その喜び方が場違いに感じられるほどだった。

記念撮影を終え、司会者が集まった聴衆にスマホのフラッシュをオンにして掲げるよう促した時だった。会場がふわっと明るくなった。多くの人がここに集まっていることを感じた。ふと、「ろうそくデモ」の光景が脳裏によぎった。一人では弱い光でも、集まれば世界を明るく照らすことができる——。「ろうそくデモ」の精神を引き継ごうという文在寅新政権の意志も感じた。

一方で、「ろうそくデモ」のすさまじい熱量を比較せずにはいられなかった。人々が訴える声の重量感・質感が違うと言うべきか、「場」の息遣いが違った。ろうそくの光の海がうねり、集まった人々の叫びが響き渡る。鳥肌が立つほど圧倒された。投票日の光化門には確かに多くの人が集まっていたが、「ろうそくデモ」に満ちていた切迫感はなかった。二度ほど訪れた「ろうそくデモ」の光化門の様子が目に焼き付いている。

■ろうそくデモの光化門

今回の韓国大統領選は、朴槿恵前大統領の弾劾・罷免から始まった。発端は崔順実(チェ・スンシル)氏の娘への特別待遇が発覚したことだった。以降、崔順実氏が朴槿恵氏と懇意の関係で、国政に介入した疑惑が浮上した。娘チョン・ユラ氏への特別待遇は裏口入学や不正な単位取得にとどまらなかった。中高時代の欠席を帳消しにしたり、大手企業がチョン・ユラ氏に資金供与するよう働きかけたりした。

努力に努力を重ねても、生まれが良ければ、経済的に豊かであれば、コネがあれば、努力を上回ってしまう。不正がまかり通ってしまう。一連の出来事はまさに「積弊清算」の対象となった。「積弊」とは長い間、積もりに積もった慣行、腐敗、不正などによる弊害のことで、市民にはそれらが取り除かれた正常な状態の社会を望む思いが強くある。しかし、「積弊」は朴槿恵前大統領の一連の出来事だけではなく、セウォル号沈没事故もそう見なされている。この事故が市民の心に残した傷は計り知れない。

2014年4月16日。活気あるソウルが絶望のどん底に沈んだ。「ごめんなさい 忘れません」と書かれた横断幕が至る所に掲げられた。3年経った今でも、キーホルダーなどイエローリボンのデザインを身につけている人がたくさんいる。

市民はかけがえのない命を失ったあの日からずっと悩み続け、苦しんできた。国政介入疑惑の発覚は、耐えに耐えてきた韓国人の怒りに火をつけ、大統領の弾劾を求めるところまで行き着いた。

憲政史上最大の規模とも言われた「ろうそくデモ」は、光化門・世宗路にある広場が中心地だ。

すっかり冷え込んでいる時期だった。2016年11月19日、友人と出かけるついでに「ろうそくデモ」の近くまで来た。昼下がり、世宗路から少し外れたカフェで外の様子を見ていた。「ろうそくデモ」に向けて少しずつ交通規制が進んでいき、世宗路に向かって公道を歩いていく人が少しずつ増えていった。一緒にいた韓国人の友人が「デバッ(やばい)」と連呼した。デモが珍しいわけではないが、この規模は滅多にないという。カフェのトイレは、デモに参加する前に寄っていく人で列をなしていた。

本当はすぐに別の場所に移るつもりだったが、デモに向かう人波が途切れない様子を見て、これは一目見たいと思った。「人が多くて身動き取れなくなるよ」と渋る友人に無理を言って世宗路まで出た。

世宗路は広場を挟んで片側5車線ずつあり、広場北側の端にある交差点からは車道と歩道が完全に分離されるが、この日は広場と公道、広場と交差点の境目がなくなっていた。人で覆い尽くされていた。座り込んでいるので見通しは良かったが、目を細めても遠くまで人で埋まっている。

これ以上遅くなると本当に移動が難しくなると感じ、その場を離れた。最寄り駅での乗車は難しく、徒歩で別の駅を目指した。道中、ソウル市庁前まで人がいるのを確認できた。世宗路は南に景福宮、北にソウル市庁があり、その距離は約1kmほどだ。通り過ぎる人々は皆、光化門の広場に吸い込まれていくようだった。韓国社会の胎動を肌で感じた。

人の多さに圧倒され、歩きながらぼんやりとしてしまった。想像していた以上だった。もしかしたら、今、歴史的な場面に居合わせているのかもしれない。大学院の課題は気がかりだったが、来週、もう一度見に行こうと心に決めた。

11月26日。この日は天気が悪く、雪が降った。水気を多く含んだ雪だった。冷え込み方は先週の比ではなかった。どれだけの人がデモに参加するのか気になった。すっかり日が沈んだ頃、高層ビルから世宗路につづく道を見下ろすと、光化門の広場に向かって沢山のろうそくの灯が移動するのが見えた。興奮して写真をたくさん撮った。早く現場に行って、この目で見たいと思った。

世宗路にすぐには出られなかった。世宗路につながる道から人で埋まっていて、身動きが取れない。公道だけでなく、沿道も埋まっていた。見渡す限り、人、人、人。子連れも目立った。同世代も、お年寄りの方もいた。おしくらまんじゅう状態だったエリアもあった。しかし、誰も押し合ったり、押しのけたりせずに、移動する人に道を作ってあげていた。一種の連帯感すら感じられた。

人混みを抜けて、なんとか世宗路まで出たが、広場には出られなかった。警察車両が公道と沿道を分離している。一台、個人の軽トラックが止まっていた。持ち主にお願いして、荷台に登らせてもらった。荷台から広場を望むと、そこにはろうそくの光の海が広がっていた。デモの主催者の掛け声に合わせて、ろうそくでウェーブを作る。光がうねる光景に鳥肌が立った。

普段は車が多く行き交うビジネス街・光化門。「ろうそくデモ」では公道・沿道に人が溢れ、「朴槿恵、退陣しろ!」のコールがこだまする。演説する人に呼応する人々のパワーに圧倒された。寒さは感じられなかった。そこにいる人々の熱気と、熱量とが寒さを上回っていた。

最寄りの光化門駅は、案の定、大混雑だった。地上に出る階段まで人で溢れていたので、別の駅を目指して世宗路を南下した。途中、屋台が目についた。食べ物もあり、光るカチューシャなどもあった。デモ会場にはステージが組まれており、演説のみならず歌やダンスの披露もあった。さながらお祭りだった。

しかし、お祭りと違うのは、参加者から感じられる切迫感だ。市民のシュプレヒコールには必死さがこもっていた。正しい政治を、正しい社会を求める痛切さがにじみ出ていた。高揚感ともどかしさとが同居した空間だった。

「ろうそくデモ」では大きなトラブルもなく、お祭りのような様相さえあった。一方で、そこには市民の怒り、悲しみ、もどかしさ、様々な思いが交錯していた。不正や癒着なき新しい政治を希求する、変革を望む市民の強い願いがそこにはあった。「ろうそくデモ」の熱気・熱量と比べると、やはり大統領選はそこまで盛り上がらなかったと思える。

■疲弊した市民を包む光

渡韓してすぐに投票所前に向かった。話を聞こうと声をかけるも苦笑いをして何も答えずに去っていく人が多かった。投票所から出てくる人は全体的に、複雑そうな表情を浮かべていた。「ろうそくデモ」とは真逆の雰囲気だった。

文在寅氏が当選確実の報告を行なった会場も熱気がある一方で、穏やかな雰囲気すら感じられた。投票所とは雰囲気が違い、歓声や熱気、興奮も伝わってきたが、和やかさで包まれていた。

翌日、日韓の大学院生で行なった座談会もまた穏やかなものだった。崔順実氏の娘への特別待遇をどう思っているのか投げかけてみた。努力が報われないことに怒りを示すと思っていたが、想像よりもドライな反応だった。座談会参加者は「呆れた」としつつも、いつもあることといった反応だった。

韓国は受験も、大学の授業も、就職活動も、就業もどれも過酷だ。大学院での記憶を呼び起こす。学ぶことの楽しさ以上に、苦い思いでいっぱいになった。院に進学して、忙殺される日々だった。授業では課題が毎週出ていたが、博論や学術書一冊、複数の論文を読んで評論文を書くといった内容だった。韓国人学生でも余裕などない。授業にとどまらず、教授の研究や雑用を手伝いもする。幸い、私の指導教授は学生に仕事をさせるタイプではなかったが、それでも徹夜は当たり前だった。

夜も休日も研究室の明かりは消えない。ただでさえついて行けていないのに、休んだらおしまいだ。焦りに突き動かされていた。毎日課題と格闘しているうちにだんだんと文字が眼球を滑る感覚に苛まれるようになった。締め切り前日には泣きながら課題に取り組んだ。なんとか課題を終えて授業に出ても、他の受講生の論評文と並ぶとみすぼらしく見えた。授業後すぐに翌週の課題を取り組み始める。休みという概念はどこかに消えていった。

周りも大変な思いをしているのに、弱音を吐くのは難しかった。自分が選んだ道だと思うと、弱音を口にできなくなった。青白い顔で授業に出て、先生、先輩や同期から心配された。引きつった笑顔で「大丈夫」と答えた。息苦しかった。必死で授業について行こうと寝る時間と食べる時間を削った私は、見事に体調を崩してしまった。

院生活の大変さは、日韓座談会でも話題に上った。社会的な立場としては決して低くないけれども、こうした過酷さへの理解がない、と。この生活を切り抜けて無事に卒業できても、その先に働く場所があるのかわからない。見通しのつかない将来への不安がひしひしと感じられた。

就職活動に関しては、大企業以外の選択肢がありえない。中小企業では生活していけないから、とは座談会参加者の言葉だ。ボランティアやインターン、コンテスト入賞、留学などの経験を履歴書にたくさん添付して厚みを出して提出する。しかし無事に入社しても、その先で待っているのはまるで代替可能な部品のように消耗される世界だ。

国家試験に合格し専門職の資格で法人に勤務し、今は求職中の友人に話を聞いた。連日、残業や休日出勤が常だったが、残業代は出なかった。繁忙期には朝方に帰宅し、またすぐに出社する生活だった。安月給や将来性のなさ、回復しない体調不良に限界を感じ退職したという。

大統領選では保守派の劉承旼(ユ・スンミン)氏に投票したという。討論会の様子から知識の豊富さを感じ、自分自身は保守派だが、保守候補の中で新鮮さもあったから投票したそうだ。特に業務後や週末の、上司による部下へのSNS禁止を公約として掲げていたのが良かったと語った。一般企業では業務指示のみならず、私的な集まりのために呼び出されるのは日常茶飯事だという。

過酷な環境に、身体的にも心理的にもストレスをためていく。海外へ進学・就職する人も少なくない。実際に渦中に身を投じてみて、韓国社会の若者が置かれている現状の過酷さを思い知らされた。

「ろうそくデモ」で、新しい政治・社会を希求し、怒りをあらわにした人々は、こうした現実に疲弊しているのかもしれない。不条理な出来事が常にあって、怒ることに疲れてしまっているのかもしれない。

課題や仕事に追われながらも、毎週「ろうそくデモ」に足を運ぶ同期や先輩、先生方の姿を見ていた。ある日、友人が研究室で「早く退陣してくれないと体が持たない」と口にした。冗談めかしていたが、本音だったのだろう。

投票日の光化門を包む穏やかさは、もう怒らなくてもいいというある種の安堵感だったのかもしれない。

■柔らかな光で包まれた韓国のこれから

毎週「ろうそくデモ」が開かれた光化門では、年齢や性別を超えて、市民が新しい政治を求めて連帯した。一方で、大統領弾劾に反対していたパクサモ(朴槿恵を愛する会)をはじめとする、高齢者保守層の姿を見ることは出来なかった。今回の選挙では、地域対立はもちろんのこと、世代間の断絶がはっきりとなった。

若者が不平等や不条理に閉塞感を抱いている一方で、激動の歴史を生きてきた世代には若者の心情を理解できない人もいる。「ろうそくデモ」には社会の不条理や閉塞感へ怒りを抱いている人が集まったが、そうした動きに違和感、ともすれば拒否反応を見せた人々は不在だった。

文在寅新政権は、こうした分断を乗り越えていけるのか。

ろうそくの光から生まれた文在寅政権は、その光で国民を包み込めるだろうか。

ろうそくデモのように、焦燥感・切迫感に満ちた眩しい光が溢れるのか。光化門を包んだ穏やかな光が広がっていくのか。韓国の息苦しさを肌で感じた者として、「ろうそくデモ」と新大統領の誕生を目撃した者として、息を詰めて暮らしている人々が暖かな光に包まれることを心の底から願っている。

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