人間がロボットと結婚する時代――シェリー・タークルの改心 その2

『アローン・トゥゲザー』は、今世紀の00年代にタークルが行なった多くのインタビューをまとめた本だが、苦い認識と深い反省に満ちている。

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『アローン・トゥゲザー』は、今世紀の00年代にタークルが行なった多くのインタビューをまとめた本だが、苦い認識と深い反省に満ちている。

彼女は、多くのインタビューを行なう中で、モバイル・インターネットとソーシャルメディアの急激な普及に伴って、人々の意識や行動は、自分が予想もしていなかった方向に変わっていたことに気づいたのである。

この本の序論は、当時人気絶頂にあった仮想世界の「セカンド・ライフ」と、ロボットのハムスターの「ズーズー・ペット」の話から始まっている。前者のうたい文句は「あなたの身体と友人と生活を愛することのできる究極の場所」ができましたというものだった。ユーザーはそこで、現実の自分よりはスマートな肉体を持ったアバターとなり、現実にもっているよりもずっと立派な住宅や衣装をもつことができる。他方、2009年のクリスマスに爆発的な人気商品となった後者は、現実のどんなペットよりも優れていると喧伝された。このペット・ロボットは、愛の対象となり、所有者の示す愛情に敏感に反応するばかりか、身体を洗ってやる必要もない。なにより死ぬことがないのである。

しかし「セカンド・ライフ」の人気は、たちまち衰えた。タークルが期待したような、オンラインでいくつもの自分をもちながら、多くの人々と軽やかにつながって、「スクリーン上の人生」を楽しむといったライフスタイルは、普及しなかったのである。

もちろん人々がネットを離れたわけではない。ソーシャルメディアが見放されたわけでもない。人々は、毎日多数のメッセージをやりとりしたり、写真や動画をアップロードしたりしている。しかしそれは、多様で豊かな人間関係のネットワークを享受しているといえる状態とは程遠い。つながっているふりをしながら、都合よくネットワークの裏に隠れたり、スカイプで会話しながらメールに返事をしたりしているのが実情だった。

実は人々は、他人を信じられず、裏切られることを恐れている。親密で深い全人格的な「強いつながり」を他人とのあいだに持つことを恐れ、煩わしく思っている。だからこそ、ごく「弱いつながり」以上には踏み込まない。しかし同時に、人々は「孤独」も恐れる。そこで彼らは、面談はもちろん、手紙や電話も、さらには電子メールさえ忌避しながらも、「テキスト(ショートメール)」の頻繁なやりとりは欠かさないのである。

人々は、リアルな他人たちと共に同じリアルな空間を共有している場合でさえ、実はそこにはいない別の人々とバーチャルな空間でつながっている。あるいはいつでもつながれるような待機状態にある。会食や会議や授業中に、彼らは、片時も手放せなくなったケータイやスマホでテキストや写真をチェックして、ひたすら表面的なコミュニケーションを交わしあっている。同席している人々にさえ、直接話しかけずにテキストの送信ですませることも珍しくない。このような状態は、とうてい、自立した個人が時にそれを楽しむことができるような真の「孤独」ではありえない。人々は「一緒にいてもひとりぼっち」なだけなのだ。それは時に、「効率性」の追求だとか、「マルチタスキング」、「ネットワーキング」などの名のもとに正当化されているが、そんなものはいいわけにすぎない。

問題はそれだけではない。生身の人間同士では「強い結びつき」や「豊かな社会関係」を結べなくなった人々、だからといって「一緒にいてもひとりぼっち」な状況にも耐えられなくなった人々は、「ソーシャブル・ロボット」に癒しと安らぎを求め始める。相手がロボットなら、裏切られる心配もなく安心して付き合える。ロボットの方が人間よりよっぽど人間らしく思えるようになる。「私をかまって」、「愛して」と絶え間なく語りかけるロボットの世話をしてやることで、自分が癒される。「たまごっち」から始まったかつてのおもちゃは、「ペット・ロボット」になり、さらに進化をしつづけているのだった。

そうなったロボットには、人間と同等の、いや場合によっては人間以上の、社会的な権利や配慮を与えてしかるべきだ、と考える人々さえ現れてきても不思議はなかろう。なにしろ、私たちは今や「ロボット時代(ロボティック・モーメント)」に突入しつつあるのだから。ベストセラーになった『ロボットとの恋とセックス』(2008)の中で、自身ロボットの製作者である著者のデービッド・レビーは、そう遠くない将来に、人々はロボットに恋をし、性交渉をもち、結婚すら考えるようになると予言している。その方が、生身の人間を相手にするよりはるかに満足できるからだというのである。タークルは、米国の権威ある科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』の記者からこの本についての取材を受けたとき、レビーの予言に対して否定的な姿勢を示したところ、「あなたはゲイの結婚も認めない連中と同様な差別主義者」だと糾弾されて当惑したと書いている。

「ロボット時代」に生きる人々にとっては、「人工知能」や「人工生命」が人間の何を「知っている」のか、何を「理解できる」のかは大した問題ではない。本当の「つながり」などなくても、つながっている「ふり(パフォーマンス)」さえできれば足りる。どのみち私たちにとっては、他人が本当にはどんなことを感じているのか分かりはしないのだから。

しかも、私たちの社会は高齢化している。やがてはいまよりもはるかに進化したペット・ロボットや介護ロボットがいたるところに出現して、私たちの相手や世話をしてくれるようになるだろう。子どもの世話など焼きたくなくなった若い世代のためには、育児ロボットが活躍するだろう。なにしろロボットは疲れを知らず、あれこれ面倒臭い事はいわないだろうから。

このようにして、バーチャルな世界や人工的な生き物に対する私たちの態度は、「ないよりはまし」から「他の何かよりはまし」へ、さらには「他の何よりもまし」へと、移り変わっていくだろう。

しかし、これが私たちが本当に望む未来なのだろうか?

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