ロバート・D・カプランの『インド洋圏が、世界を動かす』(インターシフト、2012)は、実に興味深い本だ。著者は1952年生まれの米国の国際ジャーナリストで、米国政権のブレーンでもあるそうだ。その類い稀な行動力に基づく該博な知識と丹念な取材に裏打ちされた本書は、読む者に多くの示唆と刺激を与えてくれる。
ユーラシア大陸がモンゴルの世界征服に代表されるような軍事力の投射の源泉になってきたとすれば、その南方に広がる広大な海域(インド洋とシナ海を併せたインド洋圏)は、交易を通じての経済力の蓄積の源泉となってきた。それは梅棹忠夫の「文明の生態史観」や川勝平太の「文明の海洋史観」、あるいは岡田英弘の「世界史の誕生」論が説いてきたところでもある。
では、米国の軍事的覇権が不可避的に衰退する21世紀において、インド洋圏は誰がどのような形で制することになるだろうか。衰えつつあるとはいえ、依然としてナンバーワンの海・空軍力を擁する米国と急激に勢力を伸張しつつある中国が互いに角逐する二大パワーとなることはほとんど自明だが、その間にあってインドが果たす戦略的な役割は極めて大きいと思われる。
そこで思い出されるのが、国際政治学者のジョージ・モデルスキーがかつて提唱した「世界指導国の交代理論」だ。モデルスキーによれば、世界指導国の役割を占めるのは海洋国で、これに大陸国が海軍力を拡張して挑戦することで世界戦争が勃発する。世界戦争の勝者となるのは、衰退に向かっているもとの指導国ではなく、その同盟国ナンバー2としてのし上がってきた新たな海洋国になる。
すなわち、 16世紀の海洋国ポルトガルと大陸国スペインの対決は、ポルトガルのナンバー2の海洋国オランダを17世紀の新たな世界指導国に押し上げる結果となった。オランダは大陸国フランスと対決し、結果的に18世紀の新たな世界指導国の座には、オランダのナンバー2だった海洋国イギリスがついた。イギリスは大陸国フランスの挑戦を受けたが、 18世紀には有力なナンバー2が欠けていたのに加えて、自力で産業革命に成功したおかげで、 19世紀の世界指導国に返り咲くことができた。
19世紀にイギリスの挑戦国となったのは大陸国のドイツだったが、今回は米国という有力な海洋国が、ナンバー2として衰退するイギリスを支えた結果、 20世紀の世界指導国の地位をイギリスから譲り受けることに成功した。 20世紀に米国の覇権に挑戦したのは大陸国のソ連だったが、ソ連は冷戦の過程で自壊してしまった。
他方、20世紀の後半に米国のナンバー2として目覚ましい経済発展を果たした日本は、一時は「ジャパン・アズ・ナンバー1」などともて囃されたものの、これまた途中で失速した。その間米国は、自力で新しい産業革命や情報革命の展開に成功し、 21世紀になっても世界指導国の座を維持し続けることができ、新たな挑戦国として大陸国の中国を迎えた。その中国が今、核兵器の開発と保有、急速な産業化の両面で成功を収め、ついに海軍力の拡張に大々的に乗り出すにいたっている。
カプランによれば、米中間の競争は20世紀の米ソの冷戦よりは、より平和的で相互協力的な性格の強いものになりそうだが、対決の要素を、完全に払しょくすることは難しいだろう。そこで浮かび上がってくるのが、新興海洋国としてのインドが米国のナンバー2として果たしうる戦略的な役割の重要性である。
ここでモデルスキーのもとの仮説に戻れば、世界指導国(とそのナンバー2となる国)の地理的な位置は一貫して東から西に移動している。すなわち、ポルトガル→オランダ→イギリス→米国、といった具合にである。他方、挑戦国の位置は、一貫して西から東に移動している。すなわち、スペイン→フランス→ドイツ→ソ連、といった具合にである。
この議論をさらに延長すれば、 21世紀の挑戦国がソ連の東に位置する中国となり、22世紀の新しい世界指導国がアメリカの西にあるインドになると想像することは、まったく荒唐無稽な話でもないかもしれない。西と東に向かっていたパワーの流れは、ここに来て遂に交叉したのである。
21世紀のアメリカと中国がそれぞれ自壊に向かう傾向を今後強めていくものとすれば、インドとインド洋圏の可能性はさらに大きなものになるだろう。