二十世紀の後半は、人類と地球の未来に関する極端な悲観論が全盛を極めた時代だった。しかし二十一世紀に入って、それらの悲観論者の予測はほとんど外れたことが明らかになり、それに代わって「新しい楽観主義」と呼べる思想が台頭してきた。

二十世紀の後半は、人類と地球の未来に関する極端な悲観論が全盛を極めた時代だった。しかし二十一世紀に入って、それらの悲観論者の予測はほとんど外れたことが明らかになり、それに代わって「新しい楽観主義」と呼べる思想が台頭してきた。

その一つのきっかけとなったのは、かつて「ホールアース・カタログ」の編集者として名を馳せた環境主義者のスチュアート・ブランドの「転向」だった。彼は2009年に出版されたWhole Earth Discipline (邦訳は『地球の論点』、2011年)で、これまでのイデオロギー的な環境主義者たちが唱えてきた大都市化や、遺伝子組み換え技術、および原子力発電への反対論を、観念論だとして切って捨て、それに代わる「エコプラグマティズム」の思想を高らかに表明した。

彼が唯一の未解決のグローバルな問題として残したのが、温暖化問題だった。しかしこれも、ブランドがかねてから強い信頼を寄せていた「ガイア」理論の提唱者ジェームス・ラブロックが自己批判したことで、問題の緊急性や深刻さについては、留保がつけられるようになりつつある。

その翌年、ブランドに続いて登場したのが、英国の科学評論家マット・リドレーのThe Rational Optimistだった(日本でもベストセラーとなったその邦訳は『繁栄』、2010年)。リドレーは本書で、「太陽のように明るい」合理的楽観主義、つまり、しっかりしたデータに基づいた楽観主義を打ち出して、悲観論者の予測には信ずるに足る根拠がないことを、徹底的に示した。

そして2012年の秋、米国の気鋭の評論家スティーブン・ジョンソン(1968-)の最新作 Future Perfect (未邦訳)が出版された。ジョンソンは、これまでにも『創発-蟻・脳・都市・ソフトウエアの自己組織化ネットワーク』(04)、や『感染地図-歴史を変えた未知の病原体』(07)など多くの話題作を世に問うてきた。彼の論旨は平明で、語り口もうまい。読者をぐいぐいと引きつけて離さないところがある。

今回のジョンソンの著作は、まずこの20年の米国社会の生活の質が、「政府」と「市場」の両面での数々の失敗にもかかわらず、悪化しているどころかさまざまな面で大きく改善しているというデータの提示から始まっている。

たとえば、商用航空機の事故による死者の数は減少する一方で、2007年から8年にかけての二年間では一人の死者も出ていない。2009年1月の「ハドソン川の奇跡」でも、鳥の大群に衝突して川に不時着した1549便の乗員乗客全員が、大きな怪我もなく無事に救出された。ジョンソンによれば、これは決して偶然でも奇跡でもなく、多年にわたって多くの人々や官民の組織が協力して、持ち場持ち場で少しずつ進めてきた、安全で快適な運行への努力と、その過程で積み重ねられた「集合知」の賜物なのである。

この二十年間に見られた進歩や改善の大きな特徴は、それらが漸進的になされてきたところにある。高校の中退率、大学進学率、SAT(米国の大学進学適性検査)の平均点数、少年犯罪、飲酒運転、交通事故死、幼児死亡率、平均余命、一人当たりガソリン消費率、労働災害、大気汚染度、離婚率、男女の賃金格差、慈善事業への寄付、投票率、一人当たりGDP、十代の妊娠率、などの社会指標のほとんどすべてが、飛行の安全性ほどではないが、この20年間で20%以上の改善を見せている。もちろんその他に、医薬と医療技術の進歩も目覚ましい。

さらに驚くべき事は、こうした改善--とりわけ生活水準や幼児死亡率、平均余命などの改善--が、米国のような先進国だけではなく、多くの途上国においてさらに劇的な形で進展しているところにある。しかし多くの人々は、こうした漸進的な進歩には気がつかず、現状は昔のままか、それとも悪化していると思い込んでいる。

その理由としてジョンソンは、メディアがその種の進歩には無関心で、悪化の側面にばかり注意を払いがちなことや、政治の舞台での「リベラル」の凋落の後に台頭してきた自称進歩主義者たちが極端な悲観論を唱えがちなこと、政府の広報予算は進歩の実績を告知するためにはほとんど使われていないこと、などを挙げている。

ジョンソンはこうした傾向に反発して、人々の生活が近年おおむね改善の方向に向かっていることを指摘するだけでなく、そうした改善をさらに持続させるための新しい仕方を夢見ようではないかと説く。それこそが本来の進歩主義者の楽観的な伝統に従うことに他ならないのである。

しかしジョンソンは決して孤立しているわけではない。彼は自分の周辺に、伝統的な「市場」対「政府」の制度対立や、「右」(市場寄り)対「左」(政府寄り)のイデオロギー的対立からは自由な思想、すなわち「インターネット」に象徴されるような「仲間同士(ピアツーピア)」の思想、「共働と交換のネットワーク」の思想、に立脚して進歩を実現させようと努めている人々が少なくないことを発見して勇気づけられる。

彼らは、自分たちの思想や行動を表現し定式化するための、共通の言葉をまだ持っていない。そこでジョンソンが考え出したのが、「仲間(ピア)ネットワーク」を最も強力な手段として社会進歩を実現することが可能だという信念を通有する人々、すなわち「仲間進歩主義者(ピア・プログレッシブズ)」の概念だった。ジョンソンはこの概念を中核として、本書の中では、仲間進歩主義を体現していると彼がみなす人々やグループの思想や行動の数々を紹介している。本書は、次のような言葉で結ばれている。

仲間進歩主義者であることとは、ウィキペディアはほんの始まりに過ぎず、その成功に学べば、教育、ガバナンス、健康、地域コミュニティ、その他人が経験する無数の領域で、問題解決のための新しいシステムを構築できる、という確信をもつことだ。われわれはそれが可能なことを知っている。われわれが楽観的なのはそのためだ。さし迫った社会問題領域の全体が、参加、平等、および多様性という中核的価値によって活性化された仲間ネットワークによって、改善できるのだ。それこそがめざす価値のある未来だ。いまこそ未来を発明する時なのだ。

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