大企業と大きな政府による「ビッグ」な社会は終わるのか

第二次産業革命が進展した20世紀は、「ビッグ」の全盛期だった。寡占的な大企業が市場を支配し、巨大な政府がそれを補完していた。いわゆる「混合経済体制」への移行である。

第二次産業革命が進展した20世紀は、「ビッグ」の全盛期だった。寡占的な大企業が市場を支配し、巨大な政府がそれを補完していた。いわゆる「混合経済体制」への移行である。その基盤の上に、ビッグな産業技術や科学技術がめざましい発展を遂げ、人々の生活状態は一変した。いわゆる「豊かな社会」の到来である。

この体制に行き詰まりが見えたのは、1970年代に入るころからだった。急速すぎた経済成長のために、環境が汚染され資源が枯渇し始めたのである。そこから、「成長の限界」論その他、さまざまな悲観論が唱えられるようにもなった。「ビッグ」の支配に反発する人々は、「くたばれGNP」と叫び、「スモール・イズ・ビューティフル」に癒しを求めた。だが前者は言ってみれば単なる呪詛であり、後者は空念仏だった。共に、現実的な影響力はほとんど持たなかった。

20世紀の最後の四半期を通じて、「ビッグ」は、少なくとも一時的に「成長の限界」に直面したにせよ、それによって壊滅することはなかった。内部的な問題によって自壊することもなかった。ソ連の崩壊が、唯一の例外だったといえるかもしれない。

様子が変わってきたのは21世紀に入ってからだった。ニコ・メレ(『ビッグの終焉』)のいう、ラディカル・コネクティビティ――つまりはインターネットの普及――が、さまざまな「スモール」な個人や組織に新しいパワーを与え、彼らの多面的な活動が既存の「ビッグ」の支配の岩盤を堀り崩し始めたのである。

しかし新たに台頭してきた「スモール」たちは、既存の「ビッグ」にとって代わることを直接の目標として行動しているわけではない。ましていわんや「ビッグ」が一時期果たしてきた重要な社会的機能かのすべてを、自分たちが代わって果たそうとしているわけでもない。犯罪やテロ行為なども含めて、ラディカル・コネクティビティが切り開いてくれたさまざまな可能性を、貪欲に試し追求しているだけだというのが実情だろう。

そればかりではない。メレも認めているように、「スモール」の台頭は、AmazonやGoogleに代表される「ビガー」な組織の急速な台頭と符節を合わせている。これらの「ビガー」な組織は、多種多様な「スモール」たちの活動のための、便利なプラットフォームを提供している。それを通じてスモールたちが生み出すさまざまな情報を無償で収集し、それを加工して商品化することで、巨大な利益を上げている。つまり両者は、「ビガー・スモール共働」とでも呼ぶことが適切な、共働関係を形作っているのである。

だが、この共働関係は、果たして対等な関係といえるだろうか。共存共栄の関係といえるだろうか。かなり疑わしい。力関係でいうと、「スモール」よりも「ビガー」の方が断然強いのかもしれない。「ビガー」は、「スモール」に対して各種の有用なサービスを、自らのプラットフォーム上で無償で提供しているように見えるが、他方では、価値の高いさまざまな情報を、プラットフォームのユーザーとしてのスモールから無償で入手し、それを加工して商品化することで巨大な利益を得ている。その意味では、両者の交換関係には、「ビガー」による「スモール」の搾取という性格が強いのではないか。

当面、この「ビガー・スモール共働」が大きな効果を発揮し、既存の「ビッグ」が本当に終焉に向かうとしたら、その結果として何が起こるだろうか。勝ち抜いた「ビガー」の雇用吸収力は極めて限定されたものに違いなく、「スモール」の活動は金銭的な収益の面では限定されたものにとどまるとすれば、多くの人は失業してしまうか、低所得状態に甘んじるしかなくなるだろう。富と所得の分配がますます不平等になるだけでなく、ジャロン・ラニアーが懸念しているように、経済は全体として縮小均衡に向かうだろう。

とはいえ、「ビッグ」もそう簡単には終わるまい。むしろ、なんとか生き延びようとして、新しい事態への対応に努めるだろう。たとえば、Googleのシュミット会長が『第五の権力』で指摘しているように、既存の政府は、サイバー軍を創設したり、秘密保持システムを強化したりするなど、対策に余念がない。既存の企業は、ICTのさらなる導入や、知的財産権のいっそうの強化に邁進している。「ビッグ」がなすことなく自壊していくとは、ほとんど考えられない。

しかし、少なくとも1つだけ確かなことがある。それは、既存の「ビッグ」たちは成長とイノベーションの最先端にはいないということだ。時代を切り開くような新しい試みは、もっぱら新興の「ビガー・スモール共働」の中から生まれてくるだろう。既存の「ビッグ」にできることは、たかだかその後追いだろう。もちろん個別には、それにも失敗して早々に終焉してしまう「ビッグ」も少なからず出てきそうだ。だが全体としては、少なくともまだまだかなりの期間にわたって生き延びるだろう。それに現時点では、「ビガー・スモール共働」にはまだまだ提供できない、多くの社会的に有用で必要なサービスがある。さらにいえば、「ビガー・スモール共働」の台頭によって深刻化する大きな社会問題もある。上述した格差の拡大や経済の縮小均衡化はその最たるものである。だとすれば、政策としていま望まれるのは、危殆に瀕している「ビッグ」を支えることではなく、「ビガー・スモール共働」の未来を適切に制御することではないか。つまり、20世紀の「ビッグ」の台頭に対応して導入された独禁政策や再分配政策の、新時代に対応したバージョン・アップが望まれるのだ。

Google共同創業者、ラリー・ペイジ

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