「死を思いながら、マイムマイムを踊ろう」70歳のゲイが提案する老後の生き方

最終的にはパートナーがいてもいなくても、支え合える友達がいるかどうかが重要な鍵になるのかなと思います。

「男同士のパートナーシップにこだわって生きてきました」

そう語るのは、新宿でバー「TAC'S KNOT」を営む大塚隆史さん。

まだゲイの当事者の間でさえ「男同士で一緒に生きること」が珍しかった1970年代から、自身がゲイであることを公表し、その存在をポジティブに可視化してきた。

アーティストとしても長年活動し、1990年代のゲイ・ブームを牽引した。そんな大塚さんが、70歳をむかえる節目に制作した映像作品が、現在Youtube上で公開されている(全5話)。

タイトルは「トモちゃんとマサさん」

"ゲイの老後"が中心となる作品だが、描いたのは男性同士のパートナーシップではなく、「その周囲の人との関係」だ。

長年こだわって発信してきたパートナーシップではなく、なぜ"周囲の関係"に焦点をあてたのか。昨今のLGBTをめぐる社会の動きや、同性婚についての考えを伺った。

死はいつも意識しているけど、楽しくやっていく

ストーリーは、友人の葬式から帰ってきたゲイの「マサさん」が鍵をなくしてしまう所からはじまる。静止画が紙芝居のように続く映像に、あるテレビCMが思い起こされる。

「ボラギノールのCMを思い出して、この手法良いかもと思って作りました」

老後というと、「何か挑戦したり、頑張っているところばかり評価されているようで『もっと楽でいいじゃん』と思うんです。年をとって、物覚えも悪くなっているから、無理してセリフを覚えたくないんです。でも、むしろそれを活かしてできることがあるんじゃないかと思って。ものの作り方も含めて作品として成立したら良いなと思い、この手法で制作しました」

『トモちゃんとマサさん』より
『トモちゃんとマサさん』より

脚本は大塚さんのパートナーが担当した。

「描かれているものはほとんど実体験ばかりです。トモちゃん役の方は脳梗塞を経験し、僕も脳腫瘍の手術をしたことがあります」

トモちゃんとマサさんの終始笑いの絶えない会話の中で、時折病気や老いを憂うシーンもある。しかし、不思議と重々しい空気にはならず、コミカルなやりとりに、思わずクスッと笑いがこぼれてしまう。

「伝えたいメッセージは『死はいつも意識しているけど、楽しくやっていこう』ということなんです」

それを体現しているシーンが、「実は、エンドロールです」と大塚さんは話す。

「喪服を着た人たちがマイムマイムを踊っています。すぐ近くの新宿公園で撮影したのですが、僕はマリオ・ジャコメッティという写真家が好きで、特に雪が降っている中、修道僧が楽しく踊っている写真が印象に残っていて。新宿公園は地面が白いんですよね。それがいいなと思って取り入れました」

『トモちゃんとマサさん』より
『トモちゃんとマサさん』より

明日自分の身に何が起こるかわからない。でも、だからといって憂鬱になっていても仕方がない。

「この歳で、もし病気になると、ヘタをするとそのまますーっと死にいたってしまうかもしれない。だから『メメント・モリ』、ラテン語で『自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな』という言葉がすごく響いているんです。

でも、憂鬱になってたって生きていけないから、できるだけ楽しくやっていきたいなと思っています」

なぜカップルではなく「周囲の関係」を描いたのか

映像の中で、ゲイの友人どうしで自宅の鍵を預けあっているというシーンがある。これも、大塚さんや実際に友人の間で鍵を預けあっていることがきっかけで描かれた。

「僕らの周りはカミングアウトしていない人の方が多いから、もし自分の身に何かあった時に、親が家にくるより前に誰かが行って、見られちゃマズいものを隠してもらうんです。

コミュニティの中で鍵を預け合うことってまさに信頼ですよね。あの人だったら大丈夫だよと、紹介してあげたりすることもあります」

ゲイに限らず、複数人で支え合えるコミュニティの存在は重要だ。しかし、なぜこれまで「男同士のパートナーシップ」を発信してきた大塚さんが、カップルではなく、友人関係を描いたのか。

「カップルの関係は何が起こるかわからない。そこをベースに人生組み立てるのはちょっとリスクが高いんじゃないかなと。最終的にはパートナーがいてもいなくても、馬鹿馬鹿しいことを言い合ったり、支え合える友達がいるかどうかが重要な鍵になるのかなと思います」

『トモちゃんとマサさん』より
『トモちゃんとマサさん』より

メインストリームではないもの

大塚さんは、これまで制作してきた作品に「メインストリームではないもの」を共通して表現してきたという。

「自分のマイノリティ性と関係があるかもしれないけど、何かメインストリームじゃないものに共感することが多いんです。それに加えて世の中に『ゲイ的に表現されたもの』が少なすぎると思うと自分で作りたくなってしまいます」

アメリカのゲイリブ(ゲイ解放運動)を直に経験してきた大塚さんだからこそ、ゲイが社会や制度から阻害されてきたことを、むしろ逆手にとる表現などに多く触れてきた。

「世の中のメインストリームには迎合はしないぞと。それでこそ我らの文化があるという意識がアートにも表れていると思います」

ここ数年で、LGBTに関する世の中の意識は確実に変化してきている。平等な制度を整える動きも加速している。

「もともと僕も"あたりまえ"とされる世界に近づきたいというか、そのための平等な権利が欲しいと思っていました。でも、そのためにこっちの文化を捨てちゃうの?と。現在の(LGBTをめぐる社会の)状況に、実はアンビバレントな気持ちもあるんです」

2月14日に、同性婚を求める同性カップル13組が全国で国を一斉提訴する。同性婚についても、実は大塚さんは憂う部分がある。

「叔母が4年前に亡くなったんですが、僕に何かあったときにマンションなどの財産が遠い親戚に流れてしまうので、そのタイミングでパートナーと養子縁組をしました。

本来養子縁組は親子になるために結ぶものではありますが、養子縁組という形で自分たちの生活を守っていこうとしている所に、僕の中で『してやったり』みたいな感覚があるんです。

社会が我々をこういうふうにまとめていきたいという所から少し外れて、彼らが思ってもみない形で制度を使っている自分、みたいな」

「もちろん僕は同性婚の実現を心から望んでいます。でも、制度の実現を待っていて、必要なときに法的に保障されないというのは良くない。完全な平等ではないけれど、バイパス的に使えるものは使っても自分の生活を守るべきだと思うんです」

平等な権利は欲しい。けれど、"主流化"に対して違和感もある。

「そもそも既存の『結婚』が良いものなのかどうかを、その次に議論すべきかなと思います。私たちが(制度に)入っていくことによって、結婚そのものの形も変わっていくだろうし、変えていかないといけないと思うんです。

もちろんノンケの人たちはできて、僕らができない、というような二級市民扱いになるのはおかしい。

けれど、むしろノンケの人たちが羨ましいと思うようなパートナーシップ制度のようなものができることを期待したいです」

死をいつも思いながらも、共にマイムマイムを

"主流化"とともに「ゲイカルチャーを発信してきた新宿二丁目の文化がなくなってしまうのではないか」という声もある。

大塚さんはこの問題をどう考えているのか。

「僕の読みでは、二丁目の文化がゲイに支えられるという状況から、セクシュアリティではなく『社会からちょっと外れた人たち』が集まって継承していくのではないかと思っています」

これからも、社会からはじき出された感覚を持つ人はどんどん出てくるだろう。

「僕たちゲイが作ってきた文化の中には、その人たちが応用できるものもきっとあると思います。

例えば、権力に対して物を言ったり、諧謔的に表現したり。こうした、"ゲイテイスト"な文化や表現だったものが、"はみ出した人テイスト"という所に継承されていくんじゃないかな」

さらに、マイノリティの存在が社会に見えるようになることは、マイノリティの中にも様々な考えや立場の違いがあることが明るみに出てくることでもある。

以前は「ゲイであるというだけで、仲良くなれたり、連帯することができた」と話す大塚さん。

「今はゲイであることよりも前に、いろんな格差の方が問題になる。同性婚についても、これからは議論がさらに複雑で難しくなっていくでしょう。ひとりひとりが自分はどう思うのかを考えて、議論できるようになっていくといいなと思います」

平等な制度を整えることは早急に求められることだ。一方で、手放しにメインストリームの中に入っていくことが果たして良いことなのか、違う形がないのかと模索するべきという声もある。

大塚さんが強調するのは、パートナーという特定の関係性のみを絶対視するのではなく、ゆるい繋がりも大切ということだ。

「最期はひとりという言い方は好きじゃないけど、死ぬ間際のことばかりを考えて生きていくなんて馬鹿馬鹿しい。

できるだけ『今を楽しくすること』を積み重ねて、その先の最後が一人、それでいいんじゃないかと僕は思います。

だから、最期までは周りのゆるい繋がりの人たちと一緒にマイムマイムを踊り続けましょうということで。『死を思いながらも、楽しくお迎え待ち待ち生活』です(笑)」

(2019年1月29日fairより転載)