スティーブ・ジョブズ、稲盛和夫、川上哲治・・・ かの偉人たちは、なぜ禅に魅せられたのか。

禅の代名詞と呼べる"坐禅"を日々のルーティンに取り入れている著名人は多く、代表的な人物を上げれば、400戦無敗の男で知られる総合格闘家のヒクソン・グレイシーをはじめ、京セラの創業者でありJALの再建を担った稲盛和夫氏、打撃の神様として崇拝された故・川上哲治氏・・・

Apple、京セラの創業者、打撃の神様が魅せられた、禅の魅力。

今、ブレイクスルーを求めて禅に傾倒する人が増えている。

禅の代名詞と呼べる"坐禅"を日々のルーティンに取り入れている著名人は多く、代表的な人物を上げれば、400戦無敗の男で知られる総合格闘家のヒクソン・グレイシーをはじめ、京セラの創業者でありJALの再建を担った稲盛和夫氏、打撃の神様として崇拝された故・川上哲治氏・・・

そして欠かしてはいけない人物が、Appleの創業者であり、伝説となった故・スティーブ・ジョブズ。あのiPhoneのデザインにも、「シンプルと集中」という禅の教えが盛り込まれているという。

しかし、多くの人が禅について深くは知らないだろう。今回は、禅の魅力、そして坐禅がもたらすモノを大澤山 龍雲寺の住職であり、禅の普及に務める細川晋輔氏にうかがった。

禅とは、「本当の自分」を見つけるための、1つのツールである。

- ジョブズと禅に関わる本などの影響により、禅という言葉自体がひとり歩きし、いわば「マジックワード」となっていると思います。あらためて、「禅とは何か」という問いにお答えいただけますか。

細川 禅とは、「本当の自分」を見つけるための1つのツールと考えて頂ければいいかと思います。自分と向き合うことによって、人間が生まれた時からそれぞれ持っている本当の自分に気づき、目覚めるための手段とお考えください。

- 本当の自分に気づく・・・簡単なようで誰もが苦労しているところだと思いますが、これは具体的にはどういうことなのでしょうか?

細川 元々、人間は鏡のようにとてもキレイな心を生まれながらに持っています。ただ、年を重ねて、学校に行ったり会社に行き、色々な人との接点が増えることで人間関係に悩んだりすると、重りのようなモノを背負ってしまいます。

禅は、この重りを振り払うためのものなんです。ピアノをやったりダンスをやったりすると得るモノがありますが、禅の基本とも言える坐禅をしても何も得られません。これが坐禅の一番いいところで、むしろ置いて帰るということなんです。

- 何も得ない?つまり、空っぽにすることが禅、坐禅の良いところという事ですか?

細川 はい。ストレスや悩みといったマイナス面だけでなく、「仕事が上手くいった」、「恋人ができた」といった、いわゆるポジティブなことも置き去ります。

失敗も引きずらないし、成功も引きずらない。失敗も成功も全て、血となり肉となり、自分のためになっているという考えです。

そのために自分と向き合う時間を自らでつくる、それがいわゆる"坐禅"です。鏡に犬の糞を映した時は当然汚いですが、次に美しい花を映したら美しい。この犬の糞の臭いや汚さを、あとかたもなく消し去り残さないということ。それが禅的な生き方です。

名監督としての川上哲治のルーツは、坐禅にあった。

- すみません、まだ正直、上手くイメージが掴めないのですが、何か坐禅に関する具体的なエピソードなどありますか?

細川 「打撃の神様」として有名な元巨人の川上哲治さんは、引退後、真剣に坐禅を組んでいましたね。川上さんの言葉ですごく印象的だったのが、たとえば守備の時に、「このボールを捕って、どう一塁に投げよう?」と、先のことを考えてしまうと、ボールを捕球できないことがあったらしいんです。

そんな、打撃の神様として頂点に立たれても解決できなかった問題の答えを、引退後に坐禅を組むことで導き出し、世界のホームラン王である王貞治さんやミスタープロ野球こと長嶋茂雄さんといった名選手の育成に活かしたと思います。

目の前の一つひとつに集中する。これは川上さんが掴んだ奥義だと思います。

- 一つひとつ、目の前のことに集中することが禅であり、その方法が言ってみれば坐禅である・・・イメージがわいてきました。

細川 そう ですね。普段の生活に置き換えてもそうなんですが、寝る時は寝ること、好きな人との時間は、好きな人とのことだけを考えるという風に、その時々を大切にするということです。

一つひとつ、鏡に映すのと同じで、次のことをあまり考えない。過去のことも考えない、跡を残さない。その鏡を常に磨いていこうというのが禅の考えです。ひとつのことでアタマの中が100%になった状態が、いわゆる"無"。一つのことに集中すると無になれるんです。

そうすると、きっと限られた人生が輝かしいものになると私どもは思っています。

如水・・・ 水の如く自在に生きられれば、きっと苦しみは少ない。

- そういう、いわば"潔さ"に惹かれて、多くの人が禅に興味を持ち始めているのかもしれないですね。

細川 きっと今の時代、多くの人がシンプルになれずに、苦しんでいるのだと思います。よく私は心の状態を、「水」と「氷」に例えるんです。悩んでいる自分が「氷」、悟った状態の本当の自分が「水」と考えてください。

氷をコップに入れようとすると、サイズによっては氷もコップも傷つけてしまいます。このコップは自分を取り巻く環境とでも、親しい相手とでも、自由に捉えてください。

しかし、水になると、ピタリとコップに収まります。氷とコップ、どちらもを傷つけることなく埋めることができます。

- つまり、坐禅は、その氷を溶かすための方法だということでしょうか。

細川 はい。心の氷を溶かすために坐禅をしていただけたらと、私どもは思っています。誰でも、基本は氷なんです。住職であり禅の道を生きる自分も、間違いなく氷なんです。いつでも水のような状態であるのは、今の時代を生きる上で難しいと思います。

ただ、坐禅を通して氷となった自分を溶かす練習をしていると、自分の引き出しが開きやすくなるんです。イライラした気持ちを沈め、昨日のイヤな事も、良かった事も忘れて、ニュートラルな状態で仕事なりスポーツに取り組んでいただけたらと。

あらためてですが、「禅とは何か?」との問いの答えは、本当の自分を見つけるためツールです。スポーツやヨガと同じで、決して特別なものではありません。氷をとかして、水の如く自在に生きる、それが禅の、坐禅が果たす役割だと私は考えています。

(つづく)

細川 晋輔 Shinsuke Hosokawa

臨済宗「龍雲寺」住職。都内で働くビジネスパーソン向けに展開している、『渋谷の朝学』で朝坐禅を企画・実行するなど、禅の魅力を幅広い世代に伝え、その普及と定着に務めている。

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