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2014年06月25日 09時27分 JST | 更新 2014年08月19日 18時12分 JST

【男が道に迷ったら】とある石油会社の重役に、利根川で鯰を釣りながら教わった人生の指針。

先日、「三畳一間のアパートで元ヤクザ幹部に教わった、『◯◯がない仕事だけはしたらあかん』という話」の記事が多くの方に読まれ反響を呼んだ。

23歳で鬱病、寝たきりとなり、企業で働けなくなった一人の男性の物語の一つだ。この男性(阪口裕樹さん)には、世界を自由に旅するという夢があった。世界一周という言葉こそ今はよく耳にするようになったが、世界を旅して回るには、多くの費用がかかる。

「自由に旅をしながら生きていく力が欲しい。」

鬱病で寝たきりとなっても、彼はそんな強い想いを胸に抱え続けていた。

そして2年後、彼はPC一台で世界を旅しながら仕事をするというライフスタイルを確立する。

彼はこのライフスタイルを叶えるまでに、二つの大きな出会いを経験している。一つは先日紹介した三畳一間のアパートで出会った元ヤクザ幹部。

そしてもう一つが、元ヤクザ幹部に出会う一年ほど前、鬱病で全てを失い寝たきりとなっていた頃に利根川の桟橋で出会ったある一人の釣り人だった。

この一人の釣り人との出会いと言葉が彼の人生を大きく動かした。

【男が道に迷ったら】とある石油会社の重役に、利根川で鯰を釣りながら教わった人生の指針。

薬でボケた頭と身体をベットに沈ませる日々。

2010年、23歳の夏の終わり。

薬でボケた頭と重い身体を引きずりながら、僕は無気力な毎日を過ごしていた。

鬱病で仕事を辞め、夢を諦め、恋人にもフラれ、自暴自棄になったのがその3ヶ月前。

大量の薬を飲んで自殺をしようとした僕は、それにも失敗し、薬の副作用か、喪失感からか――身体が動かなくなり、寝たきりの状態になってしまった。

夏の終わり、利根川の桟橋で。

夏が過ぎると、少しずつ身体が動くようになり、夕方気温が下がってから、外を出歩くことができるようになった。

僕の実家は千葉と茨城のちょうど県境にあり、自転車で10分も走らせれば利根川に出ることができる。

利根川の河川敷は人気がなく、土を固めただけのすすき野原に囲まれた小道を抜けると、古ぼけた桟橋に出ることができた。その桟橋に座って、何時間も呆けて何も考えずに座っていた。

人との繋がりを完全に絶っていた僕は、もう何ヶ月も、家族と医者以外の人と話をしてなかった。

人に会うのは怖かった。誰かと言葉を交わすことを考えただけで目眩がした。情けないこんな自分の姿を、誰かの目に晒したくなかった。

だからその日――その桟橋で、とある石油会社の重役と肩を並べて釣りをすることになろうなんて、まったく想像もできないことだったのだ。

釣り、してもいいかい?

夕方、いつものように桟橋に座ってぼおっとしていると、すすきに覆われた小道を掻き分けて、一台のバンがやってきた。

車が来るのは珍しかったが、いつものように素通りしていくだろう。そう思った時には、バンは桟橋の真後ろで止まって、運転席からおっちゃんが現れた。背後を塞がれた。逃げられない。身体が硬直する。声が出てこない。

「こんちは」

おっちゃんは、よく日に焼けた顔を緩ませてそう言った。

おっちゃん 「隣、いいかい?」

僕「あ、え、は、はい。 」

久しぶりの人との会話に口の筋肉が回らない。

おっちゃん 「釣り、してもいいかい?」

僕「釣りですか? 」

おっちゃん 「そう、釣り。」

おっちゃんは、トランクを開けて釣り道具を持ち出し始める。僕のとなりに胡座をかいて、慣れた手際で釣り道具のセットをはじめた。

おっちゃん 「まだまだ暑いよなあ。」

おっちゃん 「このあたりは何が釣れるか、お兄さん知ってる?」

おだやかに話しかけてくれるおっちゃんに対して、僕は「ええ」とか「はい」とか「まあ」とか、ろくな相槌も打つことができない。利根川で何が釣れるかなんて考えたこともなかった。

おっちゃんは年の頃は50前後。背は低いが、Tシャツから覗く二の腕や身体つきはガッシリしていて、よく日に焼けているので若々しく見える。短髪の髪は白髪が混じっていたが、ふさふさとしていた。なによりその目だ。おっちゃんの瞳は、まるで釣り好き少年がそのまま大きくなったような面影があった。僕が一瞬で警戒を解いてしまったのも、その瞳が原因だった。

社長になれなれ言われて、逃げまわっているのさ。

おっちゃんの名前は伊波さんといった。

僕「伊波さんは今日は休みなんですか?」

日にちの感覚はもうなかったが、今日は平日だったハズだ。

伊波さん 「まあ、いちおう仕事だよ。今日はもう終わったけど。」

僕「どんなお仕事なんです? 」

伊波さん 「石油会社だよ。」

僕「石油会社...というと? 」

伊波さん 「○○石油ってところ。知ってるかな?」

知ってるも何も、その名前をつけたガソリンスタンドなら、その辺にいくらも見つけることができる。最大手の石油会社の名前だった。

伊波さん 「この辺にいくつか支店を開く予定があってね、その下見や調整で来てるのさ。」

僕「へえ......なんだか凄いお仕事ですね。 」

伊波さん 「そうでもないよ。土地の人に話を聞いたり、色々走り回って土地の様子を見たり。ついでにその辺の支店を回ったりね。まあこの辺は友達も多いし、そんなに忙しい仕事でもないから。」

僕「なんだか自由な感じですね。重役みたいじゃないですか(笑 」

伊波さん 「重役か...まあそうだね。会社にいると、社長になれなれ言われるからなあ、こうして逃げまわってるんさ。」

僕「......はあ。 」

なんだか聞き逃せないことを、さらっと言われたような気がする。

伊波さん 「いまは取締役にしてもらってるけど、こうして釣りしてる方が気が楽でいいよね。」

そうか...きっとこれは冗談に違いない!

いくら薬で僕の頭が回らなくても、あの会社の取締役が、こんな利根川の辺境地で、僕と肩を並べて釣りをしているのはおかしいことくらいわかった。

僕「でも、そんなお仕事だったら普通は忙しいんじゃないんですか?」

伊波さん 「昔はね。入社して20年くらいはバタバタやってたなあ。でも今はもう、こんな感じでも大丈夫なんだよ 」

伊波さんはまるで、前世の記憶を辿るような目をして言う。胡座をかいて釣りをしている姿があまりに堂に入っているので、仙人のようにも見える。

伊波さん 「おにいさんは学生?」

僕は苦笑いをしながら「今は休職中なんです」と正直に言った。

僕「5月までは働いていたんですが、鬱病で辞めてしまいまして......まだ休んでいるところです。」

伊波さん 「そうか、鬱は辛いよなぁ。今はいくつ? 」

僕「23です。」

伊波さん 「若いなぁ。難儀だなぁ。そうかそうか。 」

伊波さん、しみじみと噛み締めながら言った。

伊波さん 「俺も鬱はやったけど、たまらんかったなあ。2年間、動けなかったぜ。」

僕「2年間.....ですか!? 」

淡々と言うその言葉にぞっとした。鬱になってから4ヶ月経ったが、それが2年に引き伸ばされたらと思うと......。

伊波さん 「鬱のときは釣りをするといいよ。」

僕「釣り......ですか? 」

伊波さん 「そう、釣り。やったことある?」

僕「昔は...でももう何年もやってませんね。 」

伊波さん 「僕も阪口くんくらいの年はずいぶん無茶をやったけど、釣りをする時間だけはつくってたんさ。だから仕事には押しつぶされなくて済んだ。」

伊波さんはバンに戻ってトランクを開けると、もうひとつの釣り竿を持ってきた。

伊波さん 「釣り、しようぜ。」

ふわっとやるんよ、ふわっと!

伊波さんに言われるがままに、釣り竿を振るが、なかなかうまくできない。

「ふわっとやるんよ、ふわっと!」

「手元ばかりを見ないで自分が投げ入れたい水面を見て!」

不器用な僕に、伊波さんは飽きもせず指導をしてくれた。

どうにか水面に糸を垂らしていると、30分くらいで当たりが来た。

ズシンと重い手応えが竿を伝って手のひらに響く。

僕「来ました!」

伊波さん 「ゆっくり! 」

伊波さんの誘導に従って、緩急をつけながら魚を手前に引っ張っていく。桟橋の下に伊波さんが網を用意している。竿を引っ張りあげて......その網の中へ魚の身体を放り込んだ。

「ほれ!」

伊波さんは網を上げて僕に差し出してくる。

かかったのは小さな鯰だった。

僕は恐る恐るその中に手を入れて、鯰の身体を掴む。

ぬめりとした粘液の感触。指が傷つきそうな硬いエラの触感、生暖かさ。

自分以外の生き物に触れたのは本当に久しぶりだという気がした。

伊波さん 「よかったなあ。そいつ、どうする?」

僕「どうしましょうか...どうしたらいいです? 」

伊波さん 「まだ小さいし、放してやるか。」

僕「そうですね。」

鯰は針を飲み込んでいた。吐かせようとするが、針は内蔵の奥深くまで入っているようで取れない。

伊波さんに手渡すが苦戦している。鯰の元気がなくなってくる。

伊波さん 「可愛そうだけど、こいつはもう、駄目だな。」

伊波さんは鯰を川に放った。鯰は泳がず、そのままとぽんと濁った川の底に沈んで見えなくなった。その沈みゆく身体を二人で見送った。

翌日もまた、伊波さんと肩を並べて釣りをする。

伊波さんは翌日も暇だそうで、夕方にまた会う約束をして、僕は桟橋に訪れた。

誰かと約束をするのは久しぶりだった。

おずおずしながら声をかけると、伊波さんは「釣れたぜー!」と、子どものように瞳をきらきらさせながら振り返った。

伊波さん 「鯰が多いなあ、ここは!」

僕「鯰ですか。 」

伊波さん 「ほれ、こんなに!」

伊波さんはニコニコしながら桟橋の下を覗きこむように促す。見るとそこには、丸々と太ったこぶりな鯰が3匹、網の中をぐるぐると旋回していた。伊波さんは「ドヤァ!」という効果音が聞こえてきそうな顔をしていて、思わず笑ってしまった。

伊波さんによると、この1ヶ月ほどは関東近辺の下見でぐるぐる回って、たまに本社に報告に戻るのだと言っていた。

僕「今日もお仕事だったんですか?」

伊波さん 「ああ。でも午前中には終わったから、午後は印旛沼の方の釣り堀に行ったよ。なかなかいいなあ、ここは。 」

僕「伊波さんって、このあたりに家があるんですか?」

伊波さん 「いや、ないよ。 」

僕「じゃあ、ホテルとかに泊まってるんです?」

伊波さん 「いや、車の中で。 」

僕「...車の中?」

伊波さん 「車の中に荷物とか、食料とか、寝袋も詰めてるんさ。 」

僕「え...伊波さん、車で寝泊まりしてるんですか?」

伊波さん 「おお!だって、ホテルとか疲れるだろう。そんなら夜まで釣りして、近くの銭湯に行って身体流して、そのまま車で寝泊まりして、翌朝また釣り場に出かけるほうが気楽でいいだろ?」

ワゴン車を開けて見せてもらうとそこには、食料が入ったクーラーボックスや釣り道具や、着替えなどの日用品や寝袋が詰め込まれていた。車中泊、という言葉は知っていたが、それを実際にやっている人と出会うのは初めてだった。

僕「家に帰らないんですか?」

伊波さん 「家に帰ったってなあ......子供ももうみんな出て行ったし、帰ってもやることないしなあ。これが気楽だなあ。 」

僕「世捨て人の、旅人みたいじゃないですか(笑)」

伊波さん 「そうだなあ。旅人、というよりは、釣り人だなあ。 」

そうか、と僕は気がついた。

伊波さんに親近感を持ったのは、この自由な雰囲気だったのだ。

夢を志して就職活動を放棄。僕は旅人になった。

小説家とミュージシャンになることを志して就職活動を放棄した僕は、大学最後の年の夏を、バックパッカーとして過ごした。タイ、ラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポール、インドネシア、バングラデシュを4ヶ月間かけて歩いた。

「日本以外の生き方」を知りたかった。

大学を卒業したら、どんなにやりたいことや好きなことがあっても就職しなければならない。そうゆう、拘束力というものが日本にはある。それに違和感を感じてならなかった僕は、一度日本というものを外から眺めてみたかったのだ。

伊波さんの自由奔放さは、僕に旅をしていた時のことを思い出させた。

それに伊波さんは――行き場のない僕を拾ってくれた、大学時代の恩師によく似ていた。

旅先で拾われた、最初で最後の就職先。

「あなた、たしか就職活動してませんでしたよね。小説家になるとか言って」

旅をしていたある日のこと、大学で国際協力の授業を担当していた先生から連絡を受けた。柔和でやさしい、見るからにお人好しそうな笑顔のおじいちゃん先生だ。僕はその授業のアシスタントをしていたこともあり、仲が良かった。

「大学卒業後の進路とか、決まったんですか?」

「いえ...お恥ずかしい話、白紙の状態なんです」

と僕は苦笑いをしながら言った。

「僕の団体、アジアの貧困層を支援してるんですけど、よければうちで働きます?」

「...え?」

「広報活動を強化したいんですが、うちは若い人がいないんで、その辺弱いんですよ」

「いいんですか? 僕、そんなこと全然やったことないですけど」

「まあ、あなたにはあなたの夢があるでしょうから、無理にとは言いませんけど。どちらにせよ生計は立てないといけないでしょうから。他で働くなら、それがうちでもいいでしょう」

僕は1週間考えたあとで、そのありがたい申し出を受けることにした。

先生の言うとおり、卒業後の食い扶持は稼がなくてはならなかったし、旅が終わった後も海外に関わる仕事は魅力的だったからだ。

11月に帰国した僕は、さっそくそこで事務作業を手伝うことになった。エントリーシートも履歴書すら提出せず、卒業をしてから僕は正式にその団体の職員となった。

僕の最初で最後の就職先は、そんな風に決まった。

鬱病になった、それぞれの理由。

伊波さん 「仕事はどうして辞めてしまったんだい?」

僕「仕事に対する不満とかはありませんでした。面白かったですし、普通では会えない色んな人と会えましたし。ただ... 」

伊波さん 「ただ?」

僕「ただ、誰かと一緒に仕事をする、という環境が駄目だったみたいで。毎日同じ場所に通って、同じ人と顔を合わせているうちに息苦しくなってしまったんです。」

最後の方、僕はうまく呼吸することすらできなかった。

誰かと一緒に長時間いることができない、同じ空間を共有することに息苦しさを感じる。相手が誰にかかわらず。それは昔からの僕の性格的な問題だった。

自分が志した小説と音楽が、上手くいかなかったこともある。芸術とは、自分を追い詰めることでしか良いものは出せないと思い込んでいたから。そんなときも、職場の人たちは「阪口くん、だめだよ無理しちゃ」と優しく接してくれたのだった。

4ヶ月前の2010年5月、張り詰めていたものが切れ、僕は自殺をしようと思って失踪事件を起こした。

結局、死に場所を見つけきれずに終わったが、仕事は辞めることになった。付き合っていた恋人にもフラれた。携帯電話を壊し、友達と音信不通になった。僕は精神科に通い始め――その1ヶ月後、服薬自殺をしようとして、それにも失敗した。

僕「伊波さんはどうして鬱病になったんですか?」

と僕は聞いてみた。

僕「2年間も動けなくなるのは――僕にはとても想像できません。そんなに仕事が忙しかったんですか?」

伊波さんは黙って首を横にふった。そしていつもの調子で、優しい、淡々とした口調で、

「奥さんが亡くなったのさ。」

時が、止まった。

悲しみを抱えたまま生き続けることを選んだ男の強さ

「俺が23歳の時に出会った人でな。綺麗な人だったんさ......一目惚れだったなあ。」

「あの当時はずいぶん色んな女の子を渡り歩いていたけど......全部やめてしまった。あんな人と結婚できて、俺は宇宙一の幸せもんだと思ったぜ。」

伊波さんはこちらを見ずに、じっと浮きを見つめていた。瞳の色が薄くなる。枯れ果てた涙の跡が透けて見えるような気がした。

「白血病だったんさ。」

「なんの冗談だろうって思った。調子悪いなーくらいにしか思ってなかった奥さんが、いきなり白血病ですって告げられるんだぜ。たまらんぜ...。そんなん、ドラマの中の話だろって。ふざけるなよなあ。」

「だんだんな、大好きな人が弱っていくんよ。それをな、もう見ていることしかできないんさ。いくらお金があっても、どうにもならないものはならない。」

「奥さんが死んでからな、もう何も考えられなくなったんさ。なんであいつなんだ、なんで俺を殺さなかったんだって...なんど神様を呪ったかわからん。」

「もう動けなくなってしまってな。仕事は休職させてもらった。蓄えもあったし、会社からの手当もあったから、子どもは3人大学に行かせたけれど......もう無気力になってな。身体にも心にも何も力が入らないんさ。」

「何度死のうと思ったかわからん。こんな人生は無意味だってなあ。でも、子どももいたし、結局死にきれんでなあ。そこから立ち直るのに、2年かかったんさ。」

立ち直ってなんかいない。この人は全然、立ち直っていない。立ち直らないまま、その悲しみを抱えたまま、しかし生きることを選んだのだ。

その悲しみを、それを抱えて生きる伊波さんの強さを、僕は想像することもできなかった。

自分の方向性がわからないんです。

翌日も、利根川の桟橋に行くと、釣りをする伊波さんの後姿があった。

伊波さんはこの近辺での仕事も終わり、明日には別の場所の下見に行くと言っていた。今日が、肩を並べて釣りをする最後の日だった。

僕らは肩を並べて糸を垂らす。かかるのは相変わらず鯰ばかりだった。しかし伊波さんは、別に気にしない様子で、魚がかかる度に「来た!来た!」とはしゃぎ声を上げていた。

僕は伊波さんと別れる前に、どうしても聞いておきたいことがあった。

僕「僕は自分の方向性がわからないんです。」

垂らした釣り糸を揺らしながら僕は言った。

僕「夢もありました。目標もありました。大好きな人もいました。でも......それを失った今、何を支えに生きていけばいいのかわからないんです。」

精神科の医者には、「とりあえず今は、休みなさい」と言われていた。

しかし――休んで元気になったあとで、一体何をしていいのか僕はわからなかった。

何を目的にしていいのかわからない。夢を失い、恋人を失い、死にたいと思っていた、その願いすらも叶わなかった。もう、自分の心の中はひからびて、どんな感情も、情熱も、夢のひとかけらすらも、湧き上がっては来なかった。しかも――そのことに危機感を感じていない自分がいた。

鬱病であれば、夢や人生の目標がないことの、言い訳ができた。社会と交わらなくても良かった。逆に、鬱病と診断されている期間は、社会保険で守られた。友達も恋人もいない、ひとりの自分を肯定することもできた。鬱病であることを盾に、自分を傷つける全てのものから逃げることができた。

社会生活から日に日に遠ざかり、人間としての機能を失っていく自分。その自分に対してすら、もう何も感じなくなりはじめていた。本当に――僕はどうしたらいいか、わからなかったのだ。

伊波さん 「仕事をすることさ。」

僕の言葉に伊波さんは優しく、しかし力強く即答した。

逡巡する間も、なかった。

伊波さん 「どんな仕事であってもいい。正社員じゃなくても、コンビニやガソリンスタンドの店員でもいい。どんな職業や職種であってもいいから働くことさ。」

僕「......働かないのは駄目ですか。 」

伊波さん 「駄目だな。それじゃあ何も見つからない。男の場合は特にそうだ。どんなことでもいいから社会と繋がっておくことが大事なんさ。繋がりがなくなったら、本当に何も考えられなくなる」

僕「僕はいま、働くことがすごく怖いと思ってます。 」

と僕は正直に言った。

伊波さん 「わかるぜ。でも、それでも働かなくちゃいけない」

伊波さん 「男はな、働いていないと何を見つけることも、何を手に入れることもできないんさ。今すぐ、とは言わない、でも仕事をしなさい。それ以外に救われる道はないよ。」

自分が思い描く「仕事」をゼロから作ってきた3年間。

伊波さんは別れるとき、僕に釣り竿をくれた。それは見るからに高そうな、黒光りする釣り竿だったが、「次にまた落ち込んだら、釣りをしなさい」と渡してくれたのだ。

その釣り竿は今も、実家に大切に置いてある。幸いなことに、あれから3年半が経った今も、僕はこうして元気に仕事をすることができている。

伊波さんと別れてから1ヶ月後、僕は車中泊で日本を縦断する旅をはじめた。

自分の夢に決着をつけ、自分のやりたいものを、思い描く仕事を、ゼロから見つける旅だった。駅前や路上でベース一本で音楽を奏でたり、車の中で小説を書き進めたり、そんな毎日を送った。

そうして気がついたのは、僕はただ、自由に旅ができるような仕事であれば、それが音楽でも小説でもなんでも良いのだということだった。

旅が終わってから僕は、小説を書くことを止め、楽器を売り払った。そして、旅をしながらできる仕事、PC1台でできるWEBの仕事をゼロから始めることにした。伊波さんと出会って2年後の夏、僕は日本を出国した。

僕は、スペインのバルセロナでこの文章を書いています。

冬のバルセロナの空は、宇宙が透けて見えるほど透き通っていて、高台から街を見下ろすと、ぎっしりと詰まったレトロな街並みの向こうで、地中海の深い碧色がキラキラ輝いている。僕はそんな景色を眺めながら、文章を書いたり、WEBサイトを作ったり、そうして旅を続ける仕事を続けています。

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痛みを抱えて、それでも生き続けることを選んだ男の言葉が、一人の青年の背中をそっと押した。

【男が道に迷ったら】とある石油会社の重役に、利根川で鯰を釣りながら教わった人生の指針。

鬱病で寝たきりだった頃から、苦しみながらも胸の内に抱えた阪口さんの「自由に生きる事」への思いは、ネットを通じて60万人の元へ届き、今では「鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。」として書店に並んでいる。

人生はどんなきっかけで変わるか分からない。彼の生き方は、自分の本当に求めることを強く心に描くことの大切さ、そして、人は出会った多くの人に支えられて生きているということを伝えてくる。

筆者・阪口裕樹さんへのインタビュー

阪口裕樹さんのWEBサイト

三畳一間のアパートで元ヤクザ幹部に教わった、「◯◯がない仕事だけはしたらあかん」という話