教室で、子どもの座り方はこんなに違う。成長期を6ヵ国で過ごした電通・ナージャさんが語る「教育論」

CINRA代表・杉浦太一さんが聞きたい「第三の教育の場のつくり方」
QONVERSATIONS

世界中に学校をつくりたい。

CINRAという会社をはじめた学生の頃から持っていた夢です。

CINRAは、カルチャーニュースサイト「CINRA.NET」などの自社メディアを運営したり、企業や行政のオウンドメディア制作や、世界から日本への旅行者に向けたインバウンドマーケティングを手がけています。

そんな僕たちが「学校をつくる」というのは、少し突飛に聞こえてしまうかもしれませんが、夢の実現に進むためにできることは十分進めてきたつもりです。

では実際にどういう学校を作るのか? そもそも今、日本や世界ではどんな教育が行われているのか?

インタビューサイト「QONVERSATIONS」を通して、教育フィールドで活躍中の方々を体当たりでインタビューし、新事業のヒントとなり得る事例や考え方を探っていきます。

記念すべき連載第一回は、電通のキリーロバ・ナージャさん。

世界各国の教育をご自身で体験してきたナージャさんに、世界の教育の違いを伺いました。

今回お話を聞く人

ロシア、日本、イギリス、フランス、アメリカ、カナダの6ヶ国を転々としながら多感な時期を過ごし、各国の地元校で教育を受けてきたというナージャさん。

大学卒業後は電通に入社し、数々の広告賞を受賞するとともに、各分野で一流の「B面」を持った社員たちによる「電通Bチーム」に名を連ね、同じく電通が立ち上げた「アクティブラーニング こんなのどうだろう研究所」においても自らの経験をもとにした精力的な活動を展開しています。

どんな教育を受けてきたのですか?

――まずは、ナージャさんがこれまでに受けてきた教育について、順を追って教えて頂けますか?

ナージャ:私はロシアで生まれ、6歳で自国の小学校に1年間通いました。2年生にあたる年に日本の京都に引っ越してそこで1年間暮らし、その後はイギリスに移住して小学校に1年間通い、さらにフランス、日本、アメリカ、日本で1年ずつ過ごしました。

そして、中学生になってからはカナダの学校に2年間通って、高校受験を控えた中3の2学期頃に日本に戻って札幌の学校に通い、名古屋の高校を経て、大学、社会人と日本で過ごしています。

――凄い遍歴ですね。どうしたら、そんなことになるのでしょうか?(笑)

ナージャ:数学者と物理学者だった親の仕事の関係ですね。当時まだ社会主義の国だったソ連では、きらびやかな指輪をして葉巻を吸っているようなブルジョワたちが資本主義の象徴として描かれることが多く、実際はどうなっているのかということに興味があったみたいです。

でも、どの国に行っても住むのは大学都市ですし、そこにそんな人たちはいないわけです(笑)。親は研究者なので、極端な話、紙とペンさえあればどこでも仕事ができてしまうのですが、子どもたちには現地の学校に通わせるという方針でした。

――日本では、子どもが小学校に入る頃までには定住場所を決めて、なるべく転校をしないようにする風潮がありますが、ナージャさんの家はむしろ逆だったんですね(笑)。

友人関係はもちろん、言語が異なる国を1年ごと転々とすることは、子どもにとって非常にストレスフルな環境のような気がしますが、当時はどんな心境だったのですか?

ナージャ:自分にとってはそれが普通の環境だったわけですが、毎年言葉がわからない国に行って、ようやく覚えてきた頃にまた別の国に移るというのは、最初はやはり少しストレスでした。

ただ、子どもからしたら、その環境を楽しむしかないんですよ。私はもともと人見知りで、自分から積極的に話すタイプではなかったこともあり、転校してもまずはじっと観察するしかないんです。

観察をしながら、どうすればそこに馴染むことができるかということを考えるということを続けてきたので、国ごとのさまざまな違いが見えてきたところはあったと思います。

国ごとに教育のスタイルは違いますか?

――日本と他の国の教育の違いがわかるようなエピソードを、いくつか聞かせて頂けますか?

ナージャ:まず、私が生まれたロシアは日本と似ているところが多く、基本的に生徒たちは教壇にいる先生の言うことを聞いて、真面目に学ぶというのが基本でした。

私の時代は、個性が異なる男女が隣に座り、お互いに助け合いながら二人三脚で勉強をがんばるという感じでしたね。また、イギリスでは丸テーブルに5、6人が座って学ぶスタイルで、成績の評価もどうやらそのテーブルごとでした。

得意科目が異なる子どもたちが同じテーブルになる場合が多く、お互いに勉強を教え合うようなグループワークが多かったですね。フランスの場合は、移民でフランス語が話せない子どもたちも多いので外国人クラスがあり、1年くらいかけて言語を学んでから、普通のクラスに移るんです。

そこでは、みんなで議論しながら言葉を覚えていくことが基本で、席も国会のように向かい合って座るんです。先生から与えられたお題や同級生の疑問に対して、国ごとの違いなどを話し合うのですが、みんなフランス語ができないなりに身振り手振りで自国のことを伝えようとするから上達が早いんです。

ここでは先生がファシリテーターのような役割でみんなを観察しながら、意見がぶつかって喧嘩になりそうな時に入ってくる感じでした(笑)。

――やはり国によってまったくスタイルが違うんですね。

ナージャ:そうですね。例えば水泳にしても、ロシアでは何よりも速さが重視されるんですが、日本に来てみると、いくら速くてもまずフォームがしっかりしていないと怒られるんです。

ロシアでスピードを、日本で形を学んだ私は、もうこれで何も文句はないだろうと思っていたのですが、次に行ったアメリカでは、まず最初に深さ3メートルくらいのプールで15分くらい浮いてみなさいと言われたんです。

要はアメリカで教わった水泳というのは、いかに水の中でサバイブするかということが重視されていて、洋服を着たままプールに飛び込んで、そこから這い上がるということもしました。

――ある意味、それが最も実用性の高い水泳と言えるのかもしれないですね(笑)。アメリカというのはやはりリアリストの国で、実用的な意味がないことはしないという考え方なんでしょうか?

ナージャ:そもそも、その「意味」というのが国によって違うのだと思います。水泳の教育における意味が、ロシアでは人よりも速く泳ぐ世界トップクラスの水泳選手を生み出すことで、日本ではまず全員が同じように美しいフォームで泳げるようにすることなんですよね。

要は、教育における意味というのは、その国の文化に根ざしているということなのだと思いますが、仮に日本だけで水泳を学んだ人は、他の国の水泳について知るよしもないですよね。自分たちが当たり前だと思って学んできたことが、他の国では全く異なる形で教えられていて、それはどれが良い悪いという話ではありません。

大切なことは、そうした文化の違いがあり、色んな考え方の人がいるということを理解することで、それができれば相手を否定することなく、わかり合うことができるはずなのですが、逆にそれができないと、フランスの小学校のようにケンカになってしまうということなんだと思います。

日本の教育の特徴は何ですか?

――これまでの経験をもとに見えてきた、日本の教育の特徴について教えてください。

ナージャ:日本の学校に来てまず驚いたのは、運動会や学芸会などのクオリティの高さでした。クラスみんなで合唱をするようなことはロシアではほとんど成立しませんし(笑)、アメリカなどにしてもさまざまな思想の人たちが集まっているから、一体感を得ることは難しい。

例えば、ロシアでは運動会にしても合唱コンクールにしても私の時代は得意な人だけが選ばれて、それ以外の人は見るだけなのですが、日本では苦手な子も取り残さずに、みんなで準備をして高いレベルのものをつくっていて、それは凄いことだと思います。

あと、掃除や給食当番などもよくできたシステムですよね。最初の頃は、掃除なんて私の仕事じゃないと思っていたのですが、いざやってみると掃除道具の使い方を覚えることはもちろん、なぜきれいにしないといけないかということも学べるし、掃除の仕事をしている人たちのこともリスペクトできるようになる。

これは他の国では見たことがないシステムだったし、ランドセルをはじめみんなで同じ道具を使い、足並みをそろえて成長していくというのは日本ならではの教育の形だと思います。

――日本の教育のネガティブな点についてはいかがですか?

ナージャ:いまの話と表裏一体ですが、私のような子どもが来ると、どう接すればいいかわからなくなってしまう先生が多かったんです。周りとは違う子や主張が強い子は和を乱してしまうから、あまり良しとされないことも多くて、それは子どもよりもむしろ大人に多い反応でした。

例えば、周りよりも派手なリュックで登校してきた子に対して先生はダメと言うけれど、明確な理由は説明できなかったりするし、ベジタリアンの私を野菜が嫌いで食べられない子と同じように扱う先生や、周りの子と同じように髪を黒く染めろという先生なんかもいて、その辺は正直疑問でしたね。

――イレギュラーなものや異分子を受け入れる土壌というものが、日本にはないのかもしれないですね。

ナージャ:そうかもしれません。だからこそ私は、あえて異分子でいるために、日本で働いているところがあります。例えば、私がアメリカのような国に行けば、おそらくもっと馴染めるはずです。

一方、日本では自分のアイデンティティがより明確になり、そこには周囲とのコントラストも生まれる。日本ならではの変なこともたくさんあるし(笑)、それについて自分なりに考えたり、何かを組み合わせていくことで、より変なものが生まれたら面白いなと思っているんです。

先ほどもお話ししたように、私はもともと人見知りで、環境が変わる度に周りをよく観察していたのですが、同じように人見知りでうまく友達がつくれない子はどこにでもいるんですよね。

でも、本当はそういう子どもの方が物事をよく見ていたりする。世界には色んな人たちがいるんだと伝えていくことで救われる子はたくさんいて、そういう仕事もしていきたいなと思っています。

グローバル教育には何が大切ですか?

――お子さんができたら、自分と同じように色んな国の教育を受けさせたいと思いますか?

ナージャ:色んなやり方を知ることはとても重要ですが、同時に子どもには安定した環境も必要だと思うので、難しいところですね。私には弟がいるのでわかるのですが、子どもによって性格や学びの姿勢はまったく違い、それぞれに合うやり方と合わないやり方があるんですよね。

ただ、少なくとも私に言えるのは、何が自分に合って何が合わないのかということを早い段階で知れるのは良いことだということ。その点当時のロシアの教育というのは、先ほど話したように、運動会にしても合唱コンクールにしても上手な人しか出られないから、向き不向きが早い時点でわかり、自分が得意なものを突き詰めていきやすいんですね。

ロシアに限らず、欧米では大学で専攻した分野に関連する企業にしか就職できないことが多いから、学ぶ意味や目的が明確になる。一方で、日本はその部分が曖昧なので、スペシャリストよりもジェネラリストを育てることに向いているように感じます。

キリーロバ・ナージャさんが考案した、高校生向けのプログラム「グローバルの授業」。

――日本では、グローバルな人材になってほしいという願いから、英語教育に力を入れる親も多いですが、英語の必要性についてはどのように感じていますか?

ナージャ:もちろん話せるに越したことはないですが、自分のことを振り返ってみると、言語というのはそれが本当に必要だと感じられなければ、なかなか習得できないんですね。

私の場合は現地でコミュニケーションを取るために必要性を感じていたわけですが、例えば何か自分が興味のある分野を掘り下げていく時にも、英語の必要性というのは感じるはずです。ただ、これからはAIなどが進化していくことで英語が不要になる可能性もあるし、グローバルということを考えた時に何よりも大切なことは、それぞれの文化や環境の違いを知るということです。

たとえ英語が流暢に話せても、自分とは違う人たちの気持ちや文化を理解していなければ、他者とコミュニケーションを取ることは難しい。グローバル教育の本質は、自分が何者かということに気づくことで、言語はあくまでもツールに過ぎないんです。

――「違い」を体感できる場というのは、今後CINRAが教育事業を展開するにあたっても大切にしたい視点です。

同時に、これからの時代を生きていく上で、国境というボーダーを超えて、誰もが身につけるべき共通の何かというのもあるのではないかと思っているのですが、それはある意味では「違い」を否定することにもなりかねない気がしています。その辺りについて、何かお考えがあれば聞かせてください。

ナージャ:世の中には、国語や算数などの科目とは関係なく、答えがない問題というものがたくさんありますよね。そういうものに対して自分なりに答えを出すということが大切で、そこで導き出された答えというのは、他者が否定できるようなものではないんですよね。教育を提供する側は、そういう答えを出していけるような刺激を与えられると良いのではないかと思います。

例えば私が小1の頃に、少し変わった数学者の人が来て、なぜ1+1が2なのかということを延々とハイテンションで説明されたんですね(笑)。難しすぎて内容は理解できなかったのですが、その人の数学を愛している気持ちというのは子どもながらに強く感じました。そういう体験こそが学びに対する意識を変えるのだと思います。

インタビューを終えて

このインタビュー連載の第1回目をナージャさんにお願いしたのは、これからの教育を考えたときに、最も重要なキーワードが「多様性」もしくは「異なるものへの寛容」だろうと思ったからでした。

多様性や寛容は、人工知能では生み出せない人間固有のクリエイティビティの源泉になるのだろうと考えています。

とは言え、日本の教育をずっと受けてきた自分からすると、「多様性」といったところで説得力がない。

ナージャさんはそれを身をもって経験なさっていて、「グローバル教育の本質は、自分が何者かということに気づくこと」というのは、まさにだなぁと。

とても面白かったです!

杉浦さんが、教育を通して目指している「アタラシイ時間」。

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