メディアが国益を意識し始めたらおしまいである

メディアは、事実を伝えるということは、長い目で見れば、結果的に国益に資するということを肝に銘じなければいけません。

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メディアと戦争、マスコミと「国益」という言葉

――一九四五年の敗戦に至るまで、日本の国民は軍部や政治家、そしてマスコミにも煽られ、騙されていたと言われてきました。

森達也(以下、森) 半分は正しいけれど、マスコミが煽った理由は、国民が喜ぶからです。マーケット(国民)の支持がなければ、メディアは煽りません。結果としては国民が煽られることを望んだのです。煽り煽られという相互関係が前提です。

池上彰(以下、池上) メディアが視聴者や読者を増やすのは戦争報道です。日本放送協会というラジオ専門の放送局が戦前にありました。昔はラジオの受信機を持っている人は限られていて、受信機を持っている人が聴取料というのを払って、日本放送協会はその聴取料で成り立っていたのです。

日中戦争を報道すると、出征しているうちのお父さん、うちの夫、うちの息子たちは中国戦線でどうなっているのかと案じている人たちが聴きたがる。日中戦争の戦況を刻々と伝えるから、みんなラジオを持って、聴取料を払い、ラジオが普及していったのです。

それからいろいろな新聞が突然、イケイケドンドンになり、日本は中国大陸で勝っている、勝っていると囃はやし立てることによって部数が爆発的に増えていきました。戦争報道によって、メディアは部数を伸ばしてきたのです。

これは今も変わっていません。アメリカで一九八〇年にCNNという二四時間のニュース・チャンネルができたときは、「誰が見るんだ、こんなものは?」と言われました。実際、最初は苦戦していました。それが一九九一年に湾岸戦争が始まって、アメリカ兵が派遣される、あるいはピーター・アーネットが現地から伝えるということになって、CNNの視聴者が爆発的に増えていく。そこでCNNはようやく経営的に安定したのです。

日本だけじゃない。メディアと戦争はずっと蜜月です。

池上 どこも同じです。その後、一九九六年にFOXニュースという二四時間のニュース専門局ができました。CNNよりずっと右寄り・保守的・共和党寄りのメディアで、最初は相手にされていなかった。しかし、イラク戦争でアメリカがイラクを攻撃するときに、FOXニュースはアメリカ軍のことを「我が軍」と呼んだ。Our armyと言ったのです。CNNはU.S.army、U.S.air force。FOXはOur army、Our air forceだった。そこで一挙に視聴者数は逆転したのです。

それぞれの戦争報道でメディアは視聴者や読者を増やしてきた。今、日本にこれだけ新聞があるのも、過去にそういうことがあったからだということです。

あの時期、FOXはブッシュ政権の旗を強く振った。なぜならアメリカ国民の多くがこれを支持するからです。

池上 そうなんです。好対照だったのはCNNの姿勢です。CNNの報道の仕方で画期的だったのは、国際・外交問題をそれまではアメリカ国内のメディアではforeign affairsと言っていたのを、CNNは世界で展開するときに、「foreign(外国・他国の)という言葉を我々は使いません。international(国際的)と言います」と、変えたことです。foreignという言葉は、例えばアメリカのCBSやNBCなどの国内向けニュースでは普通に使われるけれど、CNNでは言いません。internationalを使います。これは、自国中心の視点を少しでも改めようという努力の一つです。

あるいは逆に、戦争を人気取りのために利用しなかったマスコミもあります。一九八二年にフォークランド紛争があったときのBBCです。アルゼンチンがフォークランド諸島を占領したといって、イギリス軍がフォークランドのアルゼンチン軍を攻撃した。これをBBCは「イギリス軍対アルゼンチン軍」と報道していた。そうしたら議会にBBCの会長が呼び出されて、保守系の議員から、「なんで〈我が軍〉と言わないのか? なんで〈イギリス軍〉なんて他人行儀な言い方をするのか? 〈我が軍〉と言うべきだ」と追及されました。それに対してBBCの会長はなんと言ったか? 彼はきっぱりと、「愛国心について、あなたからお説教される筋合いはない」と答弁しました。かっこええと思いました。マスコミとして毅然としていますね。

イラク戦争のときにもBBCは、ブレア政権が大量破壊兵器の存在について誇張したと批判した。それをめぐって政権と大喧嘩になって会長が辞めたけど、結果的にはBBCは正しかった。今の日本の公共放送と比べるとため息しか出ない。

池上 私がNHKに入った頃、政府が何かをやるときにNHKでは「我が国は」という言葉をニュースで普通に使っていました。ところがあるとき、突然「我が国は」という言い方をやめ、「日本は」「政府は」という言い方に切り替えますと、言い方を改めました。

池上さんが入った頃のことですか?

池上 そうです。私が入った当時、NHKはニュースで日本のことを、「我が国は」と言っていました。

そんな時代もあったのですか。

池上 ええ、昔はNHKニュースでは「我が国は」と言っていたのです。何年だったかな、入って地方で勤務した後に東京に戻ってきてからだから、入って十数年後、八〇年代だったと思います。その頃、突然、「これからは〈我が国〉という言い方はやめます、客観的に報道します」と方針が変わったんです。

言葉一つの問題ではなく、大きな転換ですね。

池上 ええ、大転換です。だから現在、NHKは絶対「我が国」とニュースでは言いません。もちろん、例えば自民党とかの発言を引くといった場合は言いますけど、NHKの地の文として「我が国」という表現は使わない。「日本は」とか「日本の政府は」と言う。ちょっとよくなったかなと思いましたね。

そういえば昔のNHKは、原発問題なども含めて、かなり政権と闘っていましたね。元NHKの小出五郎さんと対談したときに聞いたけれど、核兵器をめぐる番組で国会に会長が呼び出されたとき、会長は決して屈さずに現場を守り続けたそうです。政府が右と言ったものを左と言うわけにはゆかないと言った今の会長とは雲泥の差です。

スポンサーの意向云々という問題もあるけれど、市場原理がメディアには絶対働く。世界中そうです。だから公共放送は重要なんです。もっとNHKを支えるべきだといつも思っています。

池上 でも今の会長では......。

そうなんです。

――池上さんのご著書でアメリカのジャーナリスト、ウォルター・クロンカイトの言葉「愛国的であることはジャーナリストの任務ではない」を知りました。しかし、今の日本では、果たしてテレビでこういうことをジャーナリストが言えるのでしょうか?

「ジャーナリストの任務」で思いだした。テレビ東京の選挙特番です。候補者や政治家たちに池上さんが際どくて鋭い質問を繰り返したことで高く評価された。池上無双ですね。ところが池上さん自身はインタビューで、「自分がやったことはジャーナリズムでは当たり前のことで、もし評価されるのならば、ほかのジャーナリズムがダメなんじゃないの」といったことをさらりと言った。この「さらりと」が池上さんの身上です。このときは思わず拍手しました。

池上 今、メディアではさかんに「国益、国益」と言うでしょ。朝日の従軍慰安婦に関する報道について、「国益に反する」という言葉をほかのメディアが使うのは、天に唾する行為だと思います。国益を意識して、大切にしろとメディアが言い出したら、どうなるでしょうか? そもそも、その「国益」というのはいったい何でしょう? ということこそ、まず考える必要がある。

このことを考えるために重要な歴史的事件があります。かつて、ケネディ政権ができたばかりの頃に、CIAがキューバの亡命者を使ってキューバに攻め込ませる、ピッグス湾事件というのが一九六一年に起きました。あのとき、『ニューヨーク・タイムズ』は一週間くらい前に、その作戦の存在を嗅ぎ付けて書こうとしたら、政府から「国益に反するからやめてくれ」と圧力を受けて、結局、書かなかったのです。その結果、ピッグス湾事件が起きて、CIAが支援していたキューバの亡命者部隊があっという間に負けて、作戦は大失敗、政権への評価もボロボロになりました。そのときにケネディは、この侵攻作戦について「私は知らなかった」と言った。実際に、ケネディが大統領になる前から進んでいたプロジェクトでした。そして、「もし『ニューヨーク・タイムズ』が報道してくれていれば、こんなことにはならなかったのに」と、ケネディは言ったのです。

それ以来、『ニューヨーク・タイムズ』は「国益」という言葉に大変神経質になりました。政府にとって何か不都合なことを報道しようとすると、必ず政府は「そんな報道は国益に反する」と言ってくる。しかし、だからこそ、その報道が本当に国益に反するかどうかは、我々が考えなければいけない、と考えるようになったのです。ピッグス湾事件の経験があったから、ベトナム戦争の発端となったトンキン湾事件に関する極秘報告書、ペンタゴン・ペーパーズ(注)を入手したときも、国益に反するから掲載をやめろと言われたけれど、それをはねつけて報道しています。

(注)一九七一年、ベトナム戦争開戦のきっかけになったトンキン湾事件についてのアメリカ政府の秘密報告書。これを入手した『ニューヨーク・タイムズ』が内容を報道したことも大きな注目を浴び、アメリカ政府は掲載差し止め請求を起こしたが、連邦最高裁はこれを却下。ほとんどのアメリカのマスコミは『ニューヨーク・タイムズ』を支持した

メディアは国益を意識し始めたらおしまいなのです。事実を伝えることがメディアの役割です。「国益に反する」というのは、そのときの政府が何かやろうとしていることが、うまくいかなくなることです。

政府は自分がやることに支障が出れば、「国益に反する」と言うに決まっている。客観的に見て、本当に国益に反することもあったりしますが、そうではない場合がほとんどです。それは、後にならないとわからなかったりする。メディアは「国益に反するから、その報道はやめろ」と言われたときに、「そうだよね。それでは口をつぐみましょう」と従うのではなく、事実を伝えるということは、長い目で見れば、結果的に国益に資するということを肝に銘じなければいけません。噓を言ったり、知り得たことを隠したりしてはいけないということです。それがジャーナリズムのあり方です。「国益に反する」という言葉を安易に使うことは危険なことだと、私は思います。

日本のメディアの転換点

日本のメディアの歴史において大きなメルクマールの一つは、一九七一年の沖縄密約問題(注1)です。同じ年にアメリカではウォーターゲート事件(注1)があり、前年にはペンタゴン・ペーパーズのスクープがありました。いわばメディアが政権の不正行為を暴いて勝利した。

(注1)一九七二年、戦後長らくアメリカの統治が続いていた沖縄が日本に復帰になったが、実は沖縄返還にはニクソン政権と佐藤栄作内閣の間に密約が交わされていた。アメリカが支払うべき沖縄現状復帰費用四百万ドルを日本が負担、さらに有事に際しアメリカ軍が沖縄の基地に核兵器を配備すること等が含まれていた。「沖縄返還密約」とも。

(注2)一九七二年、アメリカのワシントンにあるウォーターゲートビル内の民主党全国委員会本部に盗聴器が仕掛けられようとした事件。実行犯の背後には共和党政府高官、そしてニクソン大統領の関与まで疑われる大事件に発展。ニクソンの圧力に司法・マスコミが抗し、ついに現職大統領の辞任に繫がる。この事件を追及した『ワシントン・ポスト』の取り組みは国際的に有名になり「大統領の陰謀」として映画化もされた。

ところが日本では、沖縄密約文書を入手した西山太吉さんは被告人になって有罪判決を受け、記事を掲載した毎日新聞は国民に謝罪した。有罪判決の理由は情報を漏洩したということですが、自民党のスタンスは「密約などありません」なのだから、存在しないはずの密約の情報を漏洩した容疑で有罪になっている。子どもが考えてもおかしな判決です。そしてつい最近まで歴代の自民党政権は、密約はなかったと言い続けていました。民主党政権になってやっと密約があったことが認定された。アメリカの公文書館では、日本政府から口止めされたという資料まで展示されているのに、自民党政権は密約はないと言い続けた。国民を騙し続けたわけです。

アメリカでは、ペンタゴン・ペーパーズやウォーターゲート事件を報道したニール・シーハンやボブ・ウッドワードは国民的英雄です。一方で西山さんは有罪判決で記者を辞めています。まったく同じ時期に起きたことですが、その結果には明らかに大きな違いがある。

池上 当時、毎日新聞の記者だった西山さんが、入手した情報を社会党議員(当時)の横路孝弘さんに渡して、国会で追及させたことは残念でした。でなかったら、違った展開になったかもしれない。彼は毎日新聞に小さく書いているけど、本来は毎日新聞の一面トップで展開するべき話です。

その問題は確かにあります。さらに、ニュースソースである女性事務官を守らなかったことも間違いです。そうした要素は確かにあったけれど、自民党政府が国民に対する不信行為をおこなったことは事実なのに、なぜメディアは追及しきれなかったのか。日米の差異の最大の要因は、国民の意識の違いです。アメリカでは、国民が『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』を応援した。政府の不正を暴くべきと世論が高まった。ところが日本では、「情報漏洩」に関わったとされた西山さんと外務省女性事務官の不倫問題にみんなが関心を向けた。

池上 ペンタゴン・ペーパーズの場合は、まず『ニューヨーク・タイムズ』が書いて、裁判所に差し止めされたら、すぐ『ワシントン・ポスト』が追っかけて報道する。今度は『ワシントン・ポスト』も差し止めをする。マスコミが次々に声を上げた。あれは凄かったですね。

アメリカのメディアは、思想信条が違っても、公権力に対して闘うときには連帯する。だってメディアの最大の任務は権力監視ですから。でも日本では、昨年の朝日バッシングが典型だけど、連帯どころか足を引っ張り合う。

池上 アメリカでは新聞社どうしライバルだけど、ちゃんと互いをジャーナリズムとして認めている。今、日本で見られるような他紙に対する批判のように、『ワシントン・ポスト』が『ニューヨーク・タイムズ』を批判するようなことはしません。

これもまた、日本ではジャーナリズムよりも企業の論理が前面に出てきている証左の一つだと思います。要するにジャーナリズムの原理よりも競争原理なのです。

■ 本記事は『池上彰・森達也のこれだけは知っておきたいマスコミの大問題』から一部転載したものです。

著者/訳者:池上彰・森達也

出版社:現代書館( 2015-09-25 )

定価:¥ 1,512

単行本(ソフトカバー) ( 232 ページ )

ISBN-10 : 4768457622

ISBN-13 : 9784768457627

ikegami池上彰(いけがみ・あきら)

ジャーナリスト

一九五〇年、長野県松本市生まれ。ジャーナリスト・東京工業大学教授。七三年、NHK入局。報道記者として松江放送局、呉通信部を経て東京の報道局社会部へ。「週刊こどもニュース」でお父さん役を務め、わかりやすい解説で人気を博する。二〇〇五年に独立。著書に『伝える力』(PHPビジネス新書)、『おとなの教養』(NHK出版新書)、『超訳日本国憲法』(新潮新書)、 『ニュースの大問題』(さくら舎)、『世界から戦争がなくならない本当の理由』(祥伝社)、他多数。

mori森達也(もり・たつや)

映画監督

一九五六年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。明治大学情報コミュニケーション学部特任教授。テレビ・ドキュメンタリー作品を多く制作。九八年、ドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン映画祭に正式招待。「A2」では山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。二〇一一年、『A3』(集英社インターナショナル)で講談社ノンフィクション賞受賞。著書に『放送禁止歌』(知恵の森文庫)、『死刑』(角川文庫)、『「僕のお父さんは東電の社員です」』(現代書館)、他多数。

(2015年10月22日 「SYNODOS」より転載)

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