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2018年09月17日 12時26分 JST | 更新 2018年09月18日 16時06分 JST

おやつ記者、47歳で「アジア就活」に励む。50社落ちて、頭に浮かんだことは

インドからバンコク、香港....日本にこだわる理由がなかった。祖父母も父母も「あの世だよ!全員集合」している。

Chikako TADA

デリーの台所・INAマーケットにも栗が並び始めた。日中は35度あるけれど。2年前までは真っ先に買い占め、ペーストにし、モンブランづくりに励んだのだった。

Yoshiki Shinya
インドで悶絶モンブラン。コーヒーとともに

「選考の結果、2社とも、お見送りとなりました」。ま、ヨンジューナナだしな...。

「派遣契約を更新しない」と7月末、告げてからシューカツを始めた。3週間で決めないと。雇用ビザが切れれば不法滞在になる。

人材エージェントに紹介された日系企業は書類で落ちた。

下手な鉄砲も国を替えたら当たるかも。インドにはキャリア的に、日本には私的にこだわる理由がなかった。祖父母も父母も「あの世だよ!全員集合」している。

思いきり働けるならどこでも。インドからバンコク、香港、そして日本と「アジア就活」になった。とはいえビズリーチにマイナビ、リクナビ、Linkedinといったアプリからポチるだけだ。アマゾン並みに翌日、結果が届く。素早い返事はたいてい、落ちていたのだが。

50社は応募した。いくつかスカイプ面接にこぎつけ、1社は最終まで進んだ。面接のために2泊で帰国した。

東京勤務が現実になろうとして足が止まった。おじけづいた。相方は当面、インド駐在だ。7歳のケイは私が連れ、帰国することになるだろう。やっていけるだろうか。

Chikako TADA
一時帰国中に開業60年を12月、迎える東京タワーへ。見下ろして考えた

ケイが1歳10カ月まで暮らした文京区で、保育園は文字通り100人待ちだった。バギーを押してJR山手線に乗るのは予定調和を乱した罰ゲームのようだった。どこでもスミマセンスミマセンと米つきバッタだった。イオンモールとファミレスの意味が分かった。

もう7歳になった。赤子のころもトホホだったが「小1の壁」を思うとクラクラした。インド育ちのケイと13年ぶり正社員の私、頼れる人はあの世チームばかり...。綱渡り365日だろう。いや東京のせいじゃない。そこまでしてやりたい仕事か、どうか。

デリーの気候は厳しい。5,6月は45度を超える酷暑となる。冬の空はスモッグで真っ白だ。北京を上回る世界最悪の大気汚染都市といわれ、マスクが手放せない。それでも、と思う。空気は東京の30倍ひどいが、子育ては東京の100倍、やさしい。戻ろう。

腹をくくったら歯車がかみ合った。いろんな意味で、日本じゃなかったんだなあ。「オカーサンはどこで働き出したの?」「コンサルティング」「オカーサンはベイク(Bake)の仕事がいいよ。ゆで卵とか、エビチャーハンとか」。それってベイクの仕事かっ。