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2019年01月08日 18時21分 JST | 更新 2019年01月08日 18時21分 JST

自信を持って向上心を放棄しよう。36年後の合格報告が私に教えてくれたこと

高度1万メートルから目薬が命中するようなご縁がありました。

daizuoxin via Getty Images
business people handshaking

高度1万メートルから目薬が命中するようなご縁がありました。

インド・グルガオンで偶然、出会った機械メーカー現地法人社長イマイさんが、20年来の盟友ガクさんの高校同級生と分かったのです。

自賛しますが私のファインプレーです。岐阜出身、55歳というだけでつなげたのですから。

「〈首都を東京から東濃に〉っていうキャッチフレーズがあって、いまでも19号線の土岐の下りのカーブに巨大な看板があって...」。

あれ、どこかで聞いたな。イマイさんの故郷への自虐を込めた物言いが、新聞社時代の同僚ガクさんとかぶりました。

「岐阜のどちらですか」。返ってきた地名は「瑞浪」でした。

あ、ガクさんと同じ(多治見)じゃない。おまけに私が元朝日記者と言っても「あ、ボクの同級生にもいて...」といった反応はありませんでした。

なら、違うか。

それにしてもイマイさんの会話の引き出しは深く、広かった。武者小路実篤を語ったかと思えば結界の話になり、少女マンガまで転がりました。

翌日の昼休み、Facebookで検索しました。出身高校にピンと来ました。「多治見北」。ガクさんと同じだ。ビンゴでした。

あとでガクさんに言われました。「タダチャンには言ってたよ、同級生がインドにいるって」。ああそう言えば、と思い出しました。

でも私も連絡先を聞こうとしませんでした。ガクさんの口調から近しさを感じなかったから。

「12月29日午後6時、ナナちゃん人形の前で会おうね」。2人は名古屋で約束をしました。36年ぶりです。

会うまでの1カ月で2人の関係が分かりました。

ガクさんいわく「けっこう親しかった」。家にイマイ君が泊まりに来たこと、浪人して迎えた慶応受験時、現役で入ったイマイ君の東京の下宿に泊めてもらったこと。

けっこう、なんて控えめに言う理由はあとから知るのですが、それほどの仲なのに36年間、音信不通だった。「そんなもの」かもしれないけれど...。

どうしてガクさんはイマイ君がインド駐在と知っていたのだろう。知っていたのになぜコンタクトしなかったんだろう。私には伝えていたのに。

邪魔かな、でも見たい。元同僚ヤッシーも誘って36年ぶりの再会に乱入しました。私も一時帰国中でした。12月29日、滞在先の福岡から名古屋に向かいました。

「よう」。ガクさんはトレードマークの帽子を外し、琵琶を弾くナナちゃんの前で手を出しました。着ぶくれしたイマイ君がニコニコと握ります。

えー、それだけー。後ろから叫びました。36年ぶりはあっけなかった。

「で、うかったの」。歩きながらイマイ君が訊きました。下宿に泊めてもらっておきながら、合格を伝えていなかったのです。「きょうは合格報告の会だったんですね、36年後の」。ヤッシーが言いました。

高校時代の話は痛快でした。

授業をサボって高橋惠子の映画を観に行ったこと。柔道では黒帯の小兵ガクさんが身長差18cmのイマイ君を投げ飛ばして勝ったこと。クラスで制作した映画の監督をイマイ君が務めたこと。ガクさんは映画の冒頭、梶井基次郎の小説「檸檬」をモチーフに、レモンを放りながら登場したこと...。

肝心なのは「あんじゃらすか」というグループがあったことです。東濃弁で「どんまい」「たいしたことない、気にするな」といった意味で、自他共に目立つ存在だったそうです。

「イマイは<あんじゃらすか>に近かった」。ガクさんが言いました。クラスで制作した映画の監督を務め、学級委員長で、花形のハンドボール部だったから。

イマイ君がインドにいることは友人からの情報ではなく、単にFacebookで調べて知っていたそうです。じゃあ友達申請すればいいのに。

「いやあ、まあ...」。自分でも分からないふうでした。「いつかタダチャンとつながるだろうと」。デリー・グルガオン界隈に住む日本人は5000人、かなりの楽観です。その通りにはなったのですが。

イマイ君はイマイ君で、ガクさんを気に留めていなかったのかもしれません。何せ「あんじゃらすか」ですから。記者になったとは知っていたようでしたが。

なぜイマイ君に合格を話さなかったのか。下宿に泊めてもらっておいて。さんざん問い詰めたせいでしょう。

翌日、長文が届きました。自分の高校時代も重なって、いとおしさで胸が熱くなりました。

合格を話さなかったのは、もしかしたら高校時代の居心地の悪さを早く忘れて、記憶を一新したかったからかも。

36年ぶりに会って、やっぱりイマイは大きかった。背格好はもっと大きかった記憶だったけど、中身はよりスケールアップしていて、うれしかった。高校当時、ボクはイマイにものすごくコンプレックスを抱いていたんだ。

やっぱりね、多治見北で出会った同級生の中でも、イマイはすべてをひっくるめて1番「大きかった」からね。映画監督だったし。そしてコンプレックスを抱く自分を認められなかった。

相変わらずイマイにはかなわんなあと思うけれど、昔はイマイと比べて自分の器の小ささに自己嫌悪に陥るところもあった。

でもさすがにもう自分の器の小ささは受け入れた。もともと持っているものが違うんだから、しゃあないよねって。

要は向上心を失ったのだけれど、失って楽になった。オレはオレでいいんだな、と自信を持って向上心を放棄できたのは、タダチャンたちがガクさんはいまのままでいいんだよ、と絶えず言ってくれたから。

大学・社会人時代は、もう自分の周囲は自分にはかなわない人だらけ。でも自分がかなわないと思う人が案外、自分のこともどこかで認めてくれているみたいで、いちいちコンプレックスを気にしてたらキリがないということを36年間で覚えたのかな。相当に肩の力は抜けたな。

36年前の自分に「お前、そんなに肩ひじ張っていたら疲れるぞ。お前なんか大したことないんだから肩の力を抜いていけよ」と言ってやりたい。

高校時代のイマイはとりわけ大きくてね、ボクだけじゃなくみんなそう思ってたんじゃないかな。タダチャンは1カ月前に出会ったばかりだけど、何となく片鱗は感じてもらえると思うんだ。

そんなイマイと並んでほめてもらえるようになった。感無量というか。人生は奥深いねえ。

グッときました。

ガク少年にとってイマイ少年はとても大きくて、仲良くし(てもらい)つつもコンプレックスがあり、かなわない相手だった。36年ぶりに再会したイマイ君はさらにスケールアップしていた。

うれしかった、そしてやっぱりかなわない相手だと思った。でもそれを受け入れられた自分もやるじゃん、と思った...。

「あんじゃらすか」な人たち、私の高校時代にも確かにいました。キラキラしていて手の届かない系です。

「イマイ君」はキラキラしつつも、異彩を放つガクさんのよさに気づき、一目置いていた。私には「イマイ君」はいなくて、ただの地味な子でした。

「同じ高校生なんだからそんなに劣等感を持つことはないよ」と、いまなら30年前の私に言えるのに。そしていまだに、ないもの探しをしてしまう。

私も自信を持って向上心を放棄しよう。自分を否定するのはやめよう。無名の知の巨人で、森羅万象を語り合えるガクさんが大丈夫だよ、と言ってくれるのだから。自然体でいこう。

「いやいや私なんか」というのは、大好きな人の言葉をはねつけることになってしまうから。

やはり人生には2つある。性別を超えた友のある人生と、そうでない人生。わたしは前者で本当によかった。人生の滋味を新年早々、かみしめています。