平凡なサラリーマン記者として、後藤健二さんの事件に向き合うということ

会社員の地位を捨てて戦地に身を投げ出す勇気もなく、平々凡々とサラリーマン記者として過ごしてきた私には、後藤さんのような勇気あるジャーナリストが、人間の生命を駆け引きの道具に弄ぶ連中の犠牲になったことが悔しくてならない。
Roly Peck Trust

2月1日午前5時すぎ、スマートフォンからけたたましい音が続けて鳴り、目が覚めた。悪い胸騒ぎがして、画面をのぞいた。そこには、見たくない最悪の結末があった。

過激派組織ダーイシュ(「イスラム国」)に拘束されたジャーナリスト後藤健二さんの人質交換を巡る動きが緊迫した1月末から、ハフィントンポスト日本版編集部では、ダーイシュ(「イスラム国」)の関係者や、現地ジャーナリストのソーシャルアカウントを、24時間態勢でウォッチしていた。ただ、交渉期限とする1月29日の日没時間が過ぎ、人質関連の情報発信は目に見えて少なくなっていた。

そんな1月31日、土曜日の昼ごろ、鍵になるとみられる人物の一人が「私と直接話したければこちらへ」と、グループチャットアプリに登録するよう呼びかけているのを見つけた。試しに自分の携帯にインストールしてみた。グループのメンバーが何かメッセージを発信するたびに大きな音が鳴ったが、ここでも情報発信は多くなかった。

不規則な長時間勤務で疲れが溜まっていた。「これは長期戦かな」と思い始めていた。2月1日に日付が変わった頃、職場を出て自宅に帰り、缶チューハイを1本飲んで午前3時ごろ眠りについた。

2時間もせず、その静かだったグループチャットが立て続けに鳴りだした。ダーイシュ(「イスラム国」)関係者が興奮状態で動画をシェアし「神のご加護を」といった文句を連呼していた。大慌てでパソコンに向かったが、手が震え、パソコン起動時のパスワードを3回打ち間違えた。同僚数人にも電話したが、どうやら間違い電話だったらしく通じなかった。

あのイギリス式の英語で喋る低い男の声が、まだ耳の奥底にこびりついて離れない。後藤さんと直接の面識があったわけではないが、1週間たってもまだ体が重く、仕事が手につかない。

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そういえば自分も、戦争ジャーナリストに憧れていた時期があったと、今回の事件を契機に思い出した。

中学生の頃だっただろうか。当時よく見ていたテレビ番組で、紛争地の取材中に死亡したジャーナリストの業績を何度も特集していた。「なんてかっこいいんだ」と思った。韓国は軍事政権の時代、民主化を求める大規模なデモ隊や焼身自殺のニュースが連日、放送されていた。朝日新聞阪神支局では記者1人が散弾銃で殺害された。そんな現場や仕事に無邪気に憧れていた。

やがて大学を出て、運良く新聞記者となったが「海外特派員になりたかったら、まずは社内で記者として認められろ」と上司や先輩に言われて、目の前の仕事を一つ一つやっていると、やがて目指す方向と実際に進む方向がずれてくる。10年、15年が過ぎて、自分の仕事は国内が中心になった。イラク戦争の直後に東京で海外特派員を後方支援する部署にもいたが、先輩記者の泊まったホテルに迫撃弾が命中したり、すぐ近くで銃撃戦が始まったりということは日常茶飯事で、直接目にしていなくても、具体的な恐怖として迫ってくる。

後藤さんと自分の仕事に通じるものが一つあったとしたら、どんなに大量に人が死ぬ事件や紛争でも、一人一人の死に至るまでの道のりはそれぞれ異なると伝えようとしたことだろうか。

新聞社に入社して1カ月ほどたった頃、ある地方都市で、女児が川で溺れて死んた。事実関係だけの短い記事で終わることが多いケースだが、遺族のもとに通い、自治体の防護施設に不備があった可能性を指摘したことがある。「ベタ記事で終わらせるな。背景に迫れ」と先輩記者に指示されたからなのだが、その後は何の因果か、大阪では107人が死亡した福知山線脱線事故の遺族や負傷者、6434人が死亡した阪神・淡路大震災の遺族、といった取材に多く関わってきた。

阪神・淡路大震災20年 何も変わらない『死』の群像」で弁護士の津久井進さんも指摘していることだが、107人、6434人といった巨大な「死」の数字が積み重なることで、人間は「理不尽な死」に鈍感になり、その政治的、社会的な背景について思考を停止していないか。日本から遠く離れた中東で、何万、何十万人が死んでいる紛争には、さらに無関心になっていないか。積み重なった大量の死や苦境にはそれぞれ、自分の家族や友人と変わらない同じ痛切な背景がある。

気の遠くなる作業だが、一つ一つ伝えていくことで、悲劇を繰り返さないことにつながるのではないか。後藤さんが伝えたかったことは、きっとそういう、当たり前のことだった。図らずも、自らの悲劇で、多くの人にそれを伝えてしまった。

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会社員の地位を捨てて戦地に身を投げ出す勇気もなく、平々凡々とサラリーマン記者として過ごしてきた私には、後藤さんのような勇気あるジャーナリストが、人間の生命を駆け引きの道具に弄ぶ連中の犠牲になったことが悔しくてならない。そして後藤さんが止めようとしていたはずの、報復や暴力の連鎖が拡大する一方だということも。

2歳と0歳の娘に会いたいという願いが叶わなかった後藤さんのために、私ができることがあるとしたら、海外であれ国内であれ、一つ一つの死に向き合って伝えていく地道な作業をおろそかにしないことだろうか。自分の家族を大事にしながら。

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