「ようやく子どもの世界にも革命が起こせた」児童福祉法改正の立役者となった奥山眞紀子さんは語る

ただ大人本位でかわいがったりするのではなく、子供が権利の主体であることを認識することが大事。
成育医療センター こころの診療部 統括部長/日本子ども虐待防止学会理事長奥山眞紀子先生
成育医療センター こころの診療部 統括部長/日本子ども虐待防止学会理事長奥山眞紀子先生

平成28年6月に改正された児童福祉法の大きなポイントは、子どもが権利の主体として位置づけられたことです。

これは大きな視点の転換であり、「革命的」とも評される改正でした。翌年の平成29年8月には『新しい社会的養育のビジョン』が発表され、改正児童福祉法の具体的な実践に向けての方向性が示されました。

この新ビジョンの中心執筆者である奥山眞紀子先生は、長年に渡り、小児精神科医として臨床の現場で親子に寄り添いつつ、アタッチメント等の研究、子どもの虐待問題にも取り組んでこられました。

今回、改めて新ビジョンのご執筆に至る経緯、その中に込めた知見と思い、そして子どもの成長に責任を持つ私たち大人がどう考えて、どう行動していくことが大切なのか、お話をお聞きしました。

◇留学先のアメリカで児童虐待問題を学ぶ

――奥山先生が社会的養護のお子さんたちと関わりを持たれたのはいつ頃ですか?

1990年の始め頃からですね。大学生のころは心理的な分野を志していましたが、実家が小児科医だったこともあり、精神科ではなくまずは小児科に入りました。当時の日本は主に不登校が問題視されており、子ども虐待については大きく取り上げられることは少なかったです。

その後、1986年にアメリカへ留学しましたが、あちらでは子ども虐待が大問題になっており、私が入ったボストンのタフツ大学付属病院でも、チャイルド・セクシャル・アビューズ(子どもへの性的虐待)の問題に取り組んでいました。最初はアメリカの問題と思ったのですが、関わるうちに、日本でも潜在的に起きているであろうと推察しました。

1990年に帰国して埼玉県立小児医療センター付属大宮小児保健センターに勤め始め、その翌年からは、大規模な児童養護施設内の小児科クリニックに勤務して、こころの診療を行うことになりました。そこは児童養護施設の職員さんとお子さんを対象に、午後のみ診療するクリニックです。このときから、社会的養護の子どもたちとの関わりが始まりました。

同じ頃、東京に子どもの虐待防止センターが設立され、そこで熱心に取り組んでいた先輩のからの誘いで、虐待防止センターの活動にも関わるようになりました。1年後には『埼玉子どもを虐待から守る会』を民間団体(現在はNPO法人)として立ち上げて、医療者としてアメリカで学んだことの啓発も含め、地域での虐待防止活動に取り組んできました。

――児童養護施設に併設されたクリニックでのお子さんたちのご様子はいかがでしたか?

児童養護施設に関わって驚いたのは、子どもたちの多くが虐待を受けて施設入所しており、対応が難しい精神状態であるにもかかわらず、職員さんたちが「普通の子」として扱おうとしていたことです。女性の職員さんの中には「この子の親になりたいけれど、そうしてあげられない」というジレンマを抱えている人もいましたし、「みんな平等に扱う、特別扱いはしない」という方針も見えました。

これはアプローチの仕方が違うのではないかと疑問に思いました。私としては、子どもたちの背景を踏まえた接し方、親ではなく養育のプロなることが大事だと思っていました。

しかし、職員さんたちはプロとして研鑽を積むような余裕もなく、次から次へと入所する子のお世話で精一杯のようでした。当時は施設の小規模化の必要性も考えられていませんでしたし、とりあえず最低基準ギリギリで運営しているという状況だったと思います。そうしたなかで、施設内の子ども同士のセクシャルな問題も含めて問題は山積みでした。

職員が少しずつ増員されて、虐待対応ができる心理職、ファミリーソーシャルワーカーなどの専門的役割を担う職員も配置されるようになったのは、2000年を過ぎてからだったと思います。

私が特に気がかりだったのが、乳児院から引き続いて児童養護施設に入所するお子さんたちの様子です。現在の乳児院ではアタッチメント(愛着関係)を念頭に置いた接し方がなされているとは思いますが、当時の私が関わった施設では、幼児と特定の大人の「一対一の関係」は、ほとんど作られていませんでした。お風呂も食事も流れ作業のような状態でしたし、乳児院から赤ちゃんを連れてきた保育士さんに「担当のお子さん?」と訊いても「うちは担当制ではないです」と答えます。

そうなると、全員ではありませんが、まったくアタッチメント形成ができていないお子さんも出てくる。そうした子たちは、大きな困難を抱えていました。

――どのような困難さがあるのでしょうか?

アタッチメントが作られていないと、心から安心できる愛着対象と一緒にいることができる枠組み、その子にとっての「安全基地」がないため、無謀な行動をとってしまうのです。他人を求めるのですが、信頼できないというジレンマを抱え、周囲が不快になったりどうしてよいかわからない接し方しかできず、ぶつかることも多くなったり、自分をコントロールできずにかっとなると燃え上がってしまう傾向があったりします。

家庭に居れば、親子関係がたとえ不完全であったとしても、アタッチメント形成そのものはあるわけです。子どもを叩くのは良くありませんし、体罰はなくしていくべき大きな課題ですが、少なくとも育児をするなかで、一対一の関係性があって起きてくることです。私は虐待をする親のところに居るより施設に居た方がいいと思っていましたが、そうとは言えないケースもあると考えるようになりました。

アタッチメントについて継続して調査したミネソタ大学の研究では「unavailable mother(対応してくれない母)」という言い方がされていましたが、そのような子どものニーズに応えてくれない親に育てられた子どもの予後がもっとも悪いという結果だったのです。

◇精神医学の分野でもアタッチメントが主流に

――精神医学の分野でアタッチメントが重視されるようになったのはいつ頃ですか?

アタッチメントが国際的に主流になってきたのは90年代半ばからです。それまで精神医学の主流であった精神分析は、心の中を解釈するだけで実証はできませんでした。アタッチメントは実証的に捉えていくことができたため、研究者もそちらに流れる動きがあり、国際的にも重視されるようになりました。

悲しい出来事として、チャウセスク孤児院問題があります。ルーマニアのチャウセスク政権下で「産めよ増やせよ」計画があり、その結果家庭で養育しきれない子どもが大勢出て、ストリートチルドレンや劣悪な孤児院の増加があり、多くの放置された子どもたちがいたことに、チャウセスク政権が倒れてルーマニアに入った西側の国々の人々が気づきました。

その子どもたちの状態は、高度のアタッチメント障害で、1960年代に実験がなされた隔離猿(餌だけ与えて関係性をはく奪して育てたサル)と同じような状態だったのです。初期には国際養子縁組などが行われましたが、その後、現地で良い養育を行えるように、「ブカレスト早期介入計画(Bucharest Early Intervention Project: BEIP)」がなされ、施設より家庭が良いことが実証されました。

それらの影響もあり、低年齢の子どもには一対一の人間関係を築ける家庭が必要であることが常識となっていったのです。10年以上前の国際子ども虐待防止学会(ISPCAN)で、アタッチメントの話題の際に、質問するつもりで、「日本にはベビーホームがあって...」という話を始めると、「それは、あってはいけない」と、一蹴されてしまいました。

日本では、被虐待児のトラウマの研究家でもある西澤哲先生(山梨県立大学教授)とも協働する中で、虐待を受けた子どもは「トラウマとアタッチメントの両方が問題だ」という議論をしたものです。また、日本総合愛育研究(現日本子ども家庭総合研究所)にいらした里親養育の識者である故・庄司順一先生とも「一対一の関わりができない養育は不適切である」と話し合いました。

社会事業大学長でいらした故・髙橋重宏先生や90年代の半ばに厚生省の児童福祉専門官であった故・栃尾勲さん、みなさんお亡くなりになってしまいましたが、今でも覚えているのは、既に1990年代の半ばに「子どもたちはすべて施設ではなく里親養育に移行すべき」とその3人がおっしゃっていたことです。「日本でそんなことができるの?」と問う私に口を揃えて「やるんだよ」とのことでした。

私自身は、アメリカ留学時代に里親の困難さも目の当たりにしていました。当時はもっとも酷い時期で、虐待を受けた子どもは実親と離されて里親に預けられ、その里親家庭で年長の里子からの虐待が起きていました。複数の里親をたらい回しにされる「フォスター・ドリフト」も問題視されていました。アメリカはこの後、パーマンネンシー(永続的なつながり)を重要視して、養子縁組の方にシフトしていくことになりましたが。

とはいえ、日本に帰国して施設の状況がわかると、決して施設の方がいいとは思えません。「どうにかしなくては、でもどうすればいいのかわからない」という思いを抱えながらも、小児精神科の医師として親子の診療の現場で、施設で育ってお母さんになった方と、患者と医師としてお会いすることがあると、やはり家庭で育つことの重要性を突き付けられるのです。

――そこから家庭養護の方向に向かっていかれたのですか?

90年代から虐待の問題にかかわってきた私たち虐待対応第一世代にとっては、2000年に児童虐待の防止等に関する法律(以下、防止法)が施行されたことは大きな進展でした。防止法の附則に3年後の見直しがあったことから、厚労省で対応する委員会が立ち上がりました。その中でも社会的養護の委員会は、その見直し後も継続されることになりました。

そのときすでに、「施設の小規模・地域分散化、里親養育を中心にして施設本体はそのサポートに回るべきである」という構図は描かれていました。この時点で、現在の新ビジョンの方向性はできていたとも言えます。

並行して、国際的な家庭養護への流れもありました。イギリスや大陸の方は、ややゆったりと施設から家庭へと移行していったのですが、アメリカでは施設ではだめだとして、一気に里親に移行した。それはそれで、先ほど述べたような里親ドリフトが増えるなどの問題もありました。

アメリカでは1997年に「Adoption and Safe Families Act」という法律ができ、親子の再統合を目指しつつ、養子縁組も検討するなどの、子どものパーマネンシーを最優先させる動きになりました。

ただし、日本では家庭養護へ大きくシフトする流れは起きなかったことが、先ほど申したような国際的な場で批判を受けることにもなりました。

◇2016年児童福祉法改正から「新ビジョン」へ

――改正児童福祉法につながる専門委員会から、奥山先生は関わってこられました。新ビジョンのとりまとめに至るまではどのような流れだったのですか?

2015年の9月に『新たな子ども家庭福祉に関する専門委員会』ができて、当時の塩崎泰久厚労大臣が「虐待問題も大きくなり、子どもと家庭をめぐる状況も多様化、複雑化している。子どものためには何としても児童福祉法の抜本改正が必要だと思う。この委員会で方向性を示ししてほしい」と、おっしゃったのです。

委員会のコアメンバーでたたき台を作り、グループごとにディスカッションし、12月までに方向性を示し、3月に報告書が出て、法案が国会に提出されて5月に国会を通りました。この間はとても密度の濃い期間でしたね。

(※日本財団も児童福祉法改正にあたっては、乳幼児は原則家庭養護とすることと、特別養子縁組を推進することを盛り込んでほしいとオンラインで署名を呼びかけました。結果として1万7千人の署名が集まり、それを塩崎前厚生労働大臣にお届けしました)

その後、児童福祉法改正により、政治的なところでの区切りがついたと思っておりましたら、再び塩崎先生が国会でお約束をした、『新たな社会的養育の在り方に関する検討会』という、新ビジョンに至る検討会を構成するということでお声がかかりました。単に法律の条文があるだけでは、現場がどう動いてよいのかわかりませんから、法律改正の考え方を理念化し、具体的にどのように運用していくかというテキストが求められたのです。

全体をまとめるこの検討会以外に、『司法関与』と『特別養子縁組』の検討会、そして『子ども家庭福祉人材の専門性確保』と『市区町村の支援業務のあり方について』のワーキンググループが進められました。

私は法改正が終わった後に、ビジョンの検討会が始まったことで、塩崎先生は我々子どもの専門家以上に「子どものために変える」という信念をお持ちだということが伝わり、心打たれました。また「改革のためにはここが重要だ」というポイントを捉えてのご発言と行動には敬服しています。

さらに申せば、識者の声、現場の声もお聞きになりつつ、「それが本当に子どもに向き合っていることなのか、子どものためになるはどうすればいいか」を第一義的に考えていらっしゃる。「当事者は誰なのか、それは子どもである」ところに立脚し、常にそこから離れない姿勢。いま振り返ると、私が申し上げるのはおこがましいかもしれませんが、「子どものために」という意味で働かせていただいた「同志」のような気がしています。

2018年9月の日本財団主催シンポジウム「全ての子に愛ある家庭を」で登壇する奥山先生
2018年9月の日本財団主催シンポジウム「全ての子に愛ある家庭を」で登壇する奥山先生

ようやく「子どもの権利」を明確に記せた

――新ビジョンのとりまとめを果たされたときの、奥山先生の言葉が印象に残っています。

「ようやく子どもの世界にも革命が起こせた」と申しましたね。「革命」とは、子どもが守られる立場ではなく、「子どもが権利の主体である」こと、つまり子どもそのものに権利があることを明確化したことを指しています。

フランス革命に始まる市民革命は、市民が権利を得るための革命でした。大人は自分で権利を獲得できますが、子どもが権利の主体であることを明確にするためには、認識も含めて大人が変わり、大人が変えなくてはならないのです。

日本が『子どもの権利条約』に批准したのは1994年でした。しかし、それを担保する法律はできなかった。2000年に虐待防止法に関わったときも、私は「権利」という言葉を入れて欲しかったけど叶いませんでした。ようやく、子どもの権利を法律に記すことができました。

――日本では「子どもの権利」ということ自体が伝わりにくいのかもしれません。

そもそもの権利意識がなじまないのでしょうね。歴史を振り返っても、日本には市民革命が起きていません。上から与えられたものばかりです。市民革命を通ってきた国は、「自分たちが勝ち取った権利なのだから、大切にする」という意識があります。

新ビジョンでも、「日本に住む子どもは、どこに住んでも同じ権利を持っている。それを保証するためにすべての地域で実行する必要がある」ことを訴えていますが、行政では「地域の実情に応じて」という話になってきます。それでは、ごまかしではないでしょうか。住むところが違うだけで、権利が保障されないことはあってはならないのです。

そもそも、弱者の権利を考えたとき、日本では女性の権利の保障ですらおぼつかない。言いだしたら切りがありませんが、いずれにしろ、子どもに権利があるのだということ、権利をないがしろにしたり、ただ大人本位でかわいがったりするのではなく、権利の主体であることを認識することが大事。その中に、「家庭で育つ権利」もあるのです。

『新ビジョン』が発表されたときには、7年以内に就学前の子どもの里親委託率を75%以上にするなどの数値目標が取りざたされましたが、子どもの権利が根底にあっての里親委託なのです。数値目標についても、やはり目標がないと進みませんから、掲げる必要はあるのです。

――家庭養育への流れについては、日本はガラパゴスであったと評する方もいらっしゃいますが。実際に福岡市では、赤ちゃんの里親にターゲットを絞って民間機関と連携したリクルートを行い、3歳未満の里親委託率はすでに50%を超えていますね。

そういう意味では、ガラパゴスだったのでしょう。ただし、後発隊の良さがあります。他国は何年もかけてそこに辿りついたわけです。不要な迷走をせずとも、海外の事例を参考にしながら、日本にとってより良い形を作ることができます。

例えば、一気に施設を開放し、「フォスターケア(里親養育)へ」と動いてしまうと、非常に混乱してしまいます。そこは海外の経験を踏まえて、フォスタリング機関をきちんと作り、そこを中心にチームケアができるような形にしていくことができます。

◇社会的養育とは「育児の社会化」を示している

――新ビジョンは「社会的養育」という言葉が表題にもなっていますが、これが意味するところは?

法改正から新ビジョンに至るまでの流れは、狭義の「社会的養護」を発端としていますが、ここを解決しようと目指すとき、広い意味で「日本の養育をどうしていくのか」という視座が必要になったのです。

本来、子どもの養育は家の中だけでなく、社会が子どもを育てるのだという「育児の社会化」が必要だということは、以前から言われ続けてきました。その点では、「介護の社会化」はある程度できてきて、かつては家の中だけでしていた介護を、社会で介護をする方向になりました。

一方、育児はその負担も責任もすべて家庭の中に背負わせています。とはいえ、現実社会の方は必要性に迫られて一部は進んでいます。保育園、がそうです。昔は「保育に欠ける家のため」の保育園でしたが、今では一般のご家庭が保育園に預けていますよね。

社会的養護の問題を解決するためには、日本が「社会全体でより良い養育をする」というポピュレーションアプローチ(全体としてリスクを下げていくという健康保健分野の考え方)が必要で、それは「社会的養育」と呼ぶべきでしょう、ということになりました。

それはつまり、保育園も社会的養育であるし、地域の子育て支援も社会的養育であるし、なかでも困難な養育環境にあるご家庭には、社会が強くサポートする「社会的養護」も社会的養育の中の一つである、という位置づけです。

この概念整理のなかで「社会的養護」には、親と分離する必要のあるお子さんが、里親や施設で育つ「代替養育」と、実家庭にいながら社会が子育てを強くサポートする「在宅措置」があるということも新ビジョンのなかで示しています。厳密に言えば、社会的養護の定義は在宅措置を含むことを強調する形に変わったのです。

――つまり、『新ビジョン』は特定の困難を抱えた家族だけでなく、多くの子育て世代に伝えたいことなのですね。

本来はそうあって欲しいのです。家で子どもをみている家庭への支援、妊婦さんへの支援も必要であって、その一部として社会が強い責任持たなくてはいけないグループが、「社会的養護」である、ということです。

イギリスにおける『インケア』という考え方に近い。最終的に自立支援を考えたときに、インケアという考え方をしておけば、自立支援は現在施設にいる子どもの支援だけでなく、家庭での在宅措置で福祉司指導を受けたお子さんたちの自立支援も考える必要があります。その部分も社会の責任として担っていこう、ということです。

◇民間と行政が一緒に「子育ての地域づくり」を

――社会的養育を良いものにしていくためには、どのような地域社会が、個々人の意識が必要ですか?

子どもにやさしい社会、子どもにやさしい地域は、誰にとってもやさしい地域ではないでしょうか。それぞれの地域の中で、子どもが大切にされるような取り組みがあることが大事だと思います。そのためには、民間も行政も一緒なって、地域づくりに取り組んで欲しいです。

前述の市町村のワーキングの中で提示された、「子ども家庭総合支援拠点設置要綱」や大改訂された「市区町村子ども家庭支援指針」には具体的に支援の在り方が提示されていますし、地域づくりの重要性も記載されています。

支援拠点を作り、そこが中心になって地域づくりをして、子ども家庭をサポートできるようにする。それこそ、各地域にすでにある保育施設などの社会資源と地続きで、工夫して作っていってくださるといいと思います。

――最後に、奥山先生がこれから取り組みたいことをお聞かせください。

これからも子どもたちにつきあっていく、ということですね。近年の児童精神科では、ともすれば「症状だけから診断して、投薬治療をする」ことが中心となっている傾向があります。私は、親御さんやお子さんと対話をしながら、その子の一生のことを考えながら、寄り添っていくような治療をしていきたいと思っています。医療者として、家庭の問題や親子関係の問題などにもコミットしながら、その知見を踏まえて、地域で困っている方々とも関わっていければと思います。

私の関係する地域でも新しく児童相談所を作る計画がスタートしており、そこでも話し合いに参加します。『新ビジョン』を世に出した一人として全体を見守りつつ、地域の一員としてもサポートをしていくつもりです。

――まだまだご活躍ください。本日は貴重なお話をありがとうございました。

・新しい社会的養育ビジョン(厚生労働省)

・子どもの権利条約について(ユニセフ)